第2話:異世界転移


 ふらり、ふらりと私は見覚えのない町並みを歩いていた。

 地面はアスファルトではなく石畳。周りには大勢の人が歩いていて、その流れに沿って私も流されるままに歩いていく。

 ふと空を見上げて、不思議なことに気が付いた。

 空が、奇妙なほど広い。

 電柱とか、ビルだとか、見上げれば視界を塞いでいた東京の建造物が、ここには何もない。


「どこ、ここ?」


 首を傾げる私。

 横を『馬車』がゆるゆると過ぎていった。

 唖然となる。

 ここ、本当にどこ?


「う……」


 頭、痛い……!

 今までのことを思い出そうとすると、なぜかとっても頭が痛い。

 13連勤とかしてたし、列車で乗り過ごした?

 いや、道を歩いていた覚えはあるから、列車からは降りたのだ。そのあと、乱暴な運転をするトラックが、明らかにアクセルベタ踏みの勢いで突っ込んできて――。

 右手でバッグを探る。

 ――ない。


「え、うそ」


 知らない土地で、お財布も、スマホもない……?

 私は仕事用のジャケットとスカートのまま、謎の街に放り出されているようです。


「竜車が行きますよ!」


 後から声がする。また馬車かと思ったら、今度は自動車くらいの特大トカゲが荷車を引いていた。

 かなりのスピードで、しかも道のこっち側に寄っている。


「うわわ!」


 またひかれてはたまらない!

 他の通行人と一緒に道脇へ飛び跳ねる。

 そこにいたのは――


「ひっ」


 またしても、トカゲの顔だった。

 直立したトカゲとしか言いようのない人が、道を歩いていたのだ。

 ウロコの一枚一枚まではっきり見えて、目がぎょろりと動く。

 その人は――人? 人でいいの?――私から目をそらし、無視して歩き去った。忙しい都会人みたいな仕草。

 この街も大きな街かもしれないと、ぼんやり思う。


 私はしばらく動けず、呆然となった。

 大勢の通行人は、よく見ると古臭い――というか、いかにも『それ』っぽい。まるでゲームの登場人物のようなのだ。

 序盤装備っぽいレザーアーマーだったり、ずんぐりしたチュニックだったり。


「そこのあなた」


 今度は何だ……!?

 私が振り返ると、兵隊さんが立っていた。

 そう、兵隊さんである。

 鋼の鎧兜を着て、腰には剣らしきもの。

 こちらもまたゲームで出てくる、最初の街にいる兵士にそっくりだ。


「……名前は? 職業は?」

「い、異世界で職質ショクシツ……?」


 私の反応に、兵士さんは『こりゃ面倒そうな相手だな』という顔をした。


「とにかく名前は?」

「な、なまえ……」


 私は、絶叫しそうになった。

 名前を思い出せない。ただ、下の名前は『エリ』で、日本人で、23歳。

 自分でもいうのもなんだけど、ブラック企業に勤めていた。

 兵士の人は私をじっくりと見る。


「……そこの角が見えるかい?」


 指差されたのは、曲がり角。

 直進するとさらに大きな通りで出れそうだ。この人は、その前に右へ曲がれと言っている。


「君のような人を受け容れてくれる商会がある。グランツ商会だ。そこに行きなさい」


 あ、これ、路頭に迷った人と思われてるな。

 それで話は終わりとばかりに、兵士の人は歩き去った。

 唖然としたけれど、


「あと、この辺りは治安がよくない。できるだけ急ぎなさい」


 振り向きもされずにそう言われて、慌てて言葉に従った。

 私は見知らぬ街をずんずん歩く。

 薄々と気付いてきた。

 これ、異世界転移……?


「本当にあるんだ……」


 異世界転移したことより、ライトノベルやアニメで見た典型的な『転移後に路頭に迷う人』になっていることが悲しかった。

 私は自分の顔をぺたぺた触る。体にもちょっと違和感があったから。


「メガネが……ない?」


 周りの景色はくっきりと見えている。

 どんな仕組みかは知らないが、転移の時に体質が変わってしまったのだろうか。そもそも、そういう事情がなければ、異世界の言葉なんて聞き取れないだろうし――。

 思っている内に、言われた場所へ辿り着いた。

 大きめのスーパーくらいの、一階建てである。看板が掲げられていて、『グランツ商会』という文字が乾燥した風に揺れていた。


「……さて……」


 いや、迷っていても仕方がない。

 突撃だ。


「お邪魔しま――」

「この働き口はダメだぁ!!」


 はい、バタン。

 私はドアを閉めた。

 メガネのない目をこすって、看板を見返す。ここが言われた『グランツ商会』だ。


「誰だ!?」

「ひっ……!」


 中から、建物全体を揺らすような大声。

 私はおそるおそるドアを開けた。

 そして、やっぱり力一杯閉めたくなった。どころか、閉めた後、台風が来る前みたいに板で×印に目張りしたくなった。


「……なんだね、あんたは」


 そう言うのは、机につく狼男だ。

 ふさふさの灰色の毛に、鋭い目。日本のビジネスパーソンみたいなジャケットを着ているけれど、上等そうなシャツが体格と毛皮ではじけ飛びそうだった。

 同じ机に、シャツを着た小柄な男性が座っている。

 肌は緑色だ。


「………………」


 ……なにか、しゃべって、くれませんか?

 肩を上下させて、汗をかいているから、この方がさっきの怒鳴り声の主だろう。

 緊張は苦手だ。自分が見つめられていると、特に。

 またドアを閉めて逃げたくなる。

 部長にセクハラされた時も、ドアを閉めて必死に逃げたっけね。


「……あ、れ?」


 緑色の、肌?

 私は異世界ファンタジーの読者として、言わないわけにはいかなかった。


「……ご、ゴブリン?」


 ゴブリンさんが口を開いた。


「そうだが、どうした?」


 おお、低くていい声じゃないか。

 ゴブリンさんは不思議そうに首を傾げる。

 それにしても、狼男に、ゴブリンか。異世界という言葉がずんと重さを増して迫って、私はフラフラだった。

 よろめいた拍子に、入ってすぐのベンチに腰を落としてしまう。

 もう一度立ち上がる元気は、さすがにもうちょっとない。


「ここは……」


 呻くと、狼男が答えてくれた。


「グランツ商会。まぁ、職業斡旋所みたいなもんだが……」


 目を丸くして、毛だらけの手をぽんと叩く。


「なるほど」


 にっと笑う。立てた指には缶切りみたいな爪がついていて、私は『この世界にも缶があるのかな』と考えた。

 ただ、笑った狼の顔は――以外にも、愛嬌たっぷり。

 ニコニコ顔で本当に嬉しそうな顔をするんだもの。


「お客さんか! そうか悪かった……そこで待ってて――ごほん、お待ちくださいませ」


 狼男は何度か咳払いする。ゴブリンさんと狼男は向かい合って、会話に戻っていった。

 さすがにさっきのような大声は出さないらしい。

 2人とも机に向き合って座り、書類を挟んで大事な話をしているようだ。


 ――職業斡旋所?


 頭に、そんな言葉が過ぎる。

 言われてみれば、部屋の雰囲気は日本の職業斡旋所にそっくりだった。私は失業関連の手続きで何度か訪れたことがある。

 働いていたブラック企業は、就職2社目なのだ。だから辞めづらかった。


 ここではコンビニくらいの部屋に、机と椅子が5セット並べられている。狼男とゴブリンさんはその一つを使っていて、他は無人。

 忙しい時には、5つの机全てで相談がなされるのだろう。机と机の間には、木の衝立が置かれていた。

 ……パーテーションだよね、あれ。

 壁際に紙が積まれ、掲示板に色々な求人票が貼り出されている。


「……で、どうですか?」


 狼男が、机に載った紙を指した。


「これ以上の条件はないでしょう。あなた方108人の仲間、全員が同時に就職するのは無理ですが、年齢、経歴から、半分くらいなら」

「う……む……」


 腕を組むゴブリンさん。つるりとしたおでこに、皺がたくさん寄っている。


「気に入らないなら、それも仕方がありません。ですが……仕事が決まれば、気持ちも落ち着いて、働きながら身の振り方を考えられるって面もあります。前向きに考える術もあるってことです」


 ゴブリンさんはとても悩んでいるようだった。

 後ろ姿だけでも、なんとなく私にはわかった。

 おそらく、この人は、告げられた仕事があまり納得いっていない。けれども時間とか、指定された条件とか、色々考えて、決断を下そうとしている。


 どうしてわかるかって?

 私も二度目の就職をする時に、とてもとても苦労をしたからだ。

 きっと、世の中にはたくさんの仕事が――職場がある。でも、どこに辿り着くかは、努力もあるけど、運にもある程度は左右されていて。

 ブラック企業で心をすり減らしながら、私はどんな『縁』が私をここに連れてきたのか、ずっと考えていたものだった。


「だがよ」


 ゴブリンさんは言いつのる。背中が震えていた。


「あいつら、みんな仲間なんだ。俺は隊長だ。バラバラになったり、就職から漏れたら、やっていけねぇヤツも何人か出るだろう。108人、一緒に雇ってくれるところはないか?」

「残念ながら……その規模で募集するのは、特殊な専門職ばかりでしょう。船大工や石工、そんなところです」


 ゴブリンさんは肩を落とす。

 私に、昔の記憶が過ぎった。あれは、職業斡旋所でちょっと言葉を交わした――そう、ゲンジさん。

 工場を畳むんだって言って、自分の就職と同じくらい同僚のことを心配されていた。

 ゲンジさんの痩せた背中が、ゴブリンさんの背中と重なった。


「……仕方ない」


 ゴブリンさんが書類から目を上げた。


「あんたの言うとおり――」

「お仕事は、納得して決めないとだめ」


 そんな言葉がどこかから聞こえた。

 というか、私のすぐ近くから。

 というか、私から。


「え」


 狼男も、ゴブリンさんも、どちらもぽかんと口を開けていて。

 狼男が眉間に皺を寄せて怖い顔をした。

 幻聴じゃなかった!


「なんだ、あんた」


 そうだよね!

 決心しかけた相手に水を差すって、一番面倒なやつだもんね!


「あの……」

「転職に口を挟もうってのか?」


 ああ、いつも要らないことを言ってしまう。

 「この会社はやめた方がいい」と転職に背中を押した後輩は、勇気を出して辞めていった。その仕返しとばかりに、私にもっと多くの仕事が降りかかるようになったけど。

 目線が泳ぐ。

 私は、不思議なものに気が付いた。


 糸だ。


 壁に貼られた紙――求人票から、一本の緑色の糸が、ゴブリンさんのところへ伸びている。


 ――ご縁。


 そんな言葉を思い出して、私はその紙を手に取る。

 テーブルからゴブリンさんが離れて、私の紙を覗き込んだ。


「こりゃ……」


 ゴブリンさんが目を丸くする。

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