胸を張って、ぶん殴れ

 そう言いながら、頭を下げてかつての上司に対して最後の感謝の言葉を述べたライオが、リズムを取るようにトントンと軽く跳躍する。

 体の調子を確認するかのように小刻みなジャンプを繰り返した彼は、数度目の着地の瞬間に地面を蹴るとモモを取り押さえる男たちの方へと目にも留まらぬ速度で移動してみせた。


「シッ!」


「ぽっ……!?」


 多分、男たちは自分が何をされたかもわからなかっただろう。

 まばたき一つの間に十分に離れた位置にいたはずのライオが目の前にやって来ていて、次の瞬間には意識を刈り取られていたのだから。


 鋭く息を吐くと同時に左拳を振るい、左から右へとフック気味に顎を殴り抜いたライオの一撃によって脳を揺らされた男たちが、奇妙な呻きを漏らすとその場にがくりと崩れ落ちる。

 無駄なく、一瞬でモモを捕えていた男たちを制圧したライオは、ジタバタともがいていた彼女へと手を差し伸べながら口を開いた。


「モモ、大丈夫かい? 怪我はない?」


「ありがとう、ライオ! 私は平気だよ。写真は燃やされちゃったけど……」


 燃え尽き、灰になった写真たちを一瞥したモモが悲しそうな表情を浮かべて言う。

 いくらでも現像できるとはいえ、努力の結晶である写真があんな無残な姿になったことを彼女と同じく悲しむライオであったが、突如として精悍な顔つきになると背後を振り返り、その空を手刀で薙いでみせた。


「シッ……!!」


「んなっ……!?」


 拳に触れる、熱い何か。

 それを手刀で断ち切ったライオの姿にシヴァーナが驚きの呻きを上げる。


 不意打ちで放った自分の火球がいとも簡単に粉砕されたことを驚愕する彼女へと、熱さをごまかすように右手を揺らすライオが声をかけた。


「これ以上はもう止めましょう。僕もモモも、ザルードを出ていきます。それならあなたが僕たちを無理に捕らえる必要もなくなるはずだ」


「お黙りなさい! いたずらに人心を惑わせ、色欲を煽り、最後には暴力に訴える! お前たちは人の皮を被った悪魔です! このザルードの司祭として、お前たちのような存在を許しておくわけにはいきません! 神の名において、裁きを下します!!」


 そう叫びながら、二度、三度とライオとモモへと火球を放つシヴァーナ。

 しかし、ライオは平然とした表情を浮かべながら視線の高さまで上げて伸ばした右手で彼女の魔法を防いでみせる。


「クキィィィィィッ!! な、生意気なあああっ!! 異端児と淫魔の癖に、私に盾突いてえええっ!!」


 自分の魔法が通じないことに苛立ちを覚えたシヴァーナは、ヒステリックな叫びをあげながら更に激しく火球を連打し始めた。

 一度に十発以上の弾丸を作り出した自身の姿にようやくライオが血相を変える様を目にしたシヴァーナは、軽い愉悦の感情に浸りながらそれを放つが……彼が焦ったのは、その魔法の威力ではない。


 空を切り、唸りを上げ、一度に放たれた火球たちの中には、狙いが逸れてライオとモモを擦り抜けるものもある。

 それらの攻撃が何処に飛ぶかといえば――?


「こ、こっちに飛んでくるぞ!?」


「うわあああっ!?」


 大勢集まっている見物人たちが、突如として飛来してきた火球を目の当たりにして悲鳴を上げる。

 逆上したシヴァーナの、狙いもへったくれもない魔法による被害が自分たちに向かってきたことに恐怖する彼らであったが、それを救ったのはやはりライオであった。


「ふっ、はっ……!」


 十発の火球の内、回避しても人々に被害が出ないものを瞬時に確認したライオは、モモをお姫様抱っこすると後方へと跳躍した。

 そのまま、見物人たちに迫る火球をボレーシュートのように蹴り飛ばし、別の火球へとぶつけることで対消滅させた彼が、モモを下ろすと共にシヴァーナへと向き直る。


「もう止めろ! あなたのせいで、無用な被害が出ていることをわかっていないのか!?」


「黙れと言っているでしょう! 悪魔であるお前たちを倒そうとする私の戦いは聖戦! その中で犠牲になった者たちも納得してくれる! 神の使途であり、正義の執行者である私の前にひれ伏しなさい、悪魔っ!」


「……自分の願望のためにルールを無視し、自分の行いのせいで他者が傷付こうともそれを正義の一言で済まそうとする。そんな人間のどこに正義がある!? あなたは正義なんかじゃない。あなたこそが、自分を悪と理解していない、最も忌むべき邪悪だ!」


「ムッキィィィッ! 私が悪!? 邪悪ですって!? 異端児がっ! ふざけたことを抜かすなっ!!」


「ら、ライオッ! なんかヤバくないかなっ!?」


 両手を頭上に振り上げたシヴァーナが、全身全霊の怒りを込めた巨大な火球を生成する。

 この場に集まった人々ごと自分たちを焼却せんとする彼女の見境の無い行動に流石のモモも焦りを抱く中、深呼吸を行ったライオが背を向けたまま、口を開いた。


「モモ、前に君は言ってたよね? 自分に胸を張れる人間になること、自分を好きになれる人間になることこそが、大切なんだって……僕はずっと、自分の在り方に悩んでた。こんなふうに生まれた自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。でも、君と出会って僕は変われたんだ。正直に言うよ。僕はもっと、君のことを見ていたい。この世界で夢を追う君と一緒に歩いていきたい。そんなふうに思える自分のことが少しだけ好きになれた。それは全部、君のお陰だ」


「ライオ……」


 ゆっくりと、拳を握り締める。不要な固さと気負いを吐き出しながら、力と想いを取り込むように息を吸う。

 静かに、ただ静かに全ての準備を整えたライオは、僅かに振り返ってモモを見つめると、ニヤッと笑いながら彼女へと言った。


「今なら胸を張って君に言えるよ。モモ、僕が生まれてきた意味は――」


「消えろぉぉぉっ! 悪魔ぁぁぁっ!!」


 ライオが全てを言い切る前に、シヴァーナが上級魔法を解き放つ。

 地面に向け、大勢の人々が集まっている広場に向けて、巨大な火球を放った彼女へと視線を向けたライオが、飛来するそれへと一直線に駆け出す。


 下から上へ、掬い上げるような一撃だった。

 魔力を込めた左拳でのアッパーカットが、完全なる球形を作り出している火の玉へと叩き込まれると共に、その形を揺らす。


 一瞬、楕円に。そこからライオに内部に魔力を注ぎ込まれたことで調和が乱れ、球の形が崩れ始める。

 内部からバランスを破壊された火球に触れている左手を更に強く握り締めた彼は、そのまま腕を伸ばし切って上空へとそれを殴り飛ばしてみせた。


「あ? ええ? そそそ、そんな馬鹿な……!? わ、私の上級魔法を、こ、拳で……っ!?」


 武器も魔法も使わず、純然たる拳の一撃で自分の魔法が破られたことに衝撃を受けるシヴァーナであったが、ライオはまだ止まらない。

 彼が火球を殴り飛ばすために使ったのは左腕……もう一発の、本命の一撃が残っているのだから。


 彼女が気が付いた時、ライオはもう目の前にいた。

 引いた右腕を腰の捻りと共に打ち出し、自分の顔面へと拳を叩き込まんとする彼の動きが、シヴァーナの目にはスローモーションのように映っていた。


『ライオ、こんな体に生まれたことを呪う必要はない。いつかきっと、この力が役に立つ日が来る。その日を待ち続けなさい。神の下で己の心を磨くことで、その力を正しいことに使える人間になりなさい』


(司祭さま……あなたは正しかった。あなたの教えのお陰で、僕は沢山の人を守れました。あなたのお陰で、自分の生まれた意味を理解できました。本当に……ありがとうございます)


 持つ力を正しいことに使う。呪いだと思い続けていた力が、人の役に立つ日がやってくる。

 今、ようやくその時の到来を迎えたライオは、自身が生まれてきた意味を心の底から理解しながら、シヴァーナの顔面へと真っ直ぐに右の拳を突き出した。


「モモ、僕はきっと……君に出会うために生まれてきたんだ。この力で君を守るために、僕は――!!」


「ぴゅぎいいいいイイイイッ!?」


 絶叫、あるいは断末魔。

 そんな表現がぴったりな叫びをあげながら、シヴァーナが後方へと吹き飛ぶ。


 ただし、ライオの拳は彼女に当たっていない。その顔面すれすれでストップしていた。

 渾身の右ストレートが生み出した凄まじいまでの風圧によって、彼女は吹き飛ばされてしまったのである。


 壁に叩きつけられ、それでもよろよろと立ち上がったシヴァーナであったが、そこで今の自分の格好を目にして、絶望の叫びをあげた。


「ぎ、ぎやああっ! わ、私の服がああっ! 神聖なる修道士の、司祭の衣がああっ!!」


 風圧によって吹き飛ばされたのは彼女だけではない。彼女が着ていた服もまた、綺麗に破れ、ただの布となって吹き飛んでしまっていた。

 人々の想像の何倍も派手な下着姿を曝け出す羽目になってしまったシヴァーナが顔を真っ赤にして叫ぶ中、そういう事態を招いたライオが皮肉るようにして彼女へと言う。


「破廉恥な姿を曝し、人々を色欲に惑わせる者は悪魔……でしたっけ? なら、今のあなたも立派な悪魔の仲間入りですね。あなたの下着姿に欲情する人間がいるかどうかは別の話ですが」


「こここ、このっ、いいい、異端、異端児があぁ! しっ、司祭である私を愚弄してぇ……!」


 羞恥と怒りによって顔をゆでだこのように赤く染めたシヴァーナが、ぼろぼろの状態になりながらも再び火球を放とうとする。

 そのタイミングを見計らったかのように人々を掻き分けて憲兵たちが現場に到着し、わけのわからない状況に困惑し始めた。


「な、なんだ? この被害はどういうことだ? それにあれは、司祭のシヴァーナさま? どうして下着姿になって……?」


「あっ、お巡りさん! 助けてください! あの女の人、急にあんな格好になって暴れ始めて……私たち、死にそうになってたんです!」


「ややっ! お前さんは確か、珍品通りで絵を売ってたモモちゃんじゃあないか! にわかには信じ難いが、この状況は……」


 駆け付けた憲兵へとサラッと状況を誤認させるような報告を行ったモモの話を聞いたのは、なんと彼女のブロマイドを初めて購入してくれたあの男性客だった。

 なんの偶然かはわからないが、憲兵として働いていた彼は彼女の報告を聞き、状況を見て、今もライオへと火球を放たんとしているシヴァーナの姿に大きく頷くと、仲間たちと共にその身柄を拘束しにかかる。


「そこまでだ! 暴れるのはやめろ!!」


「なっ、何をするのです!? 放しなさい! 取り押さえるべきはあっちの異端児と淫魔でしょうが!!」


「どこからどう見てもお前の方が不審者だろう! お前、状況と自分が何を言っているのかわかっているのか!?」


「放せえええっ! 私は悪魔を滅ぼすための聖戦に身を投じているんだっ! なぜそれがわからない!? この愚かで臭い男どもがああっ!」


「ああ、くそっ! 精神が錯乱しているのか? 言っていることが無茶苦茶だぞ!? もしかしたら、何か怪しい薬をキメているのかもしれん!」


 最後の最後までヒステリックだったお陰で、完全におかしくなった人間として憲兵たちに拘束されたシヴァーナの叫びが段々と遠くなっていく。

 挑発するように彼女へと手を振って、かつての上司が没落する様を見送ったライオは、自分へと近付いてきたモモへと声をかけた。


「ありがとう。先んじて憲兵を説得してくれたお陰で、スムーズに片が付いたよ」


「それはよかったけどさ、これからどうするの? さっきあのおばさんにこの町から出ていく、って言ってたよね?」


「ああ。これだけのことをしたんだし、もうザルードには居られないよ。すぐに帰ろう。それで、旅支度を済ませて、面倒なことになる前にここを出ていこう」


「オッケー! そうと決まれば善は急げだ! 走れや走……きゃっ!?」


 ひょいっ、とモモを担ぎ上げたライオが並ぶ家屋の屋根を伝い、最短距離で自宅までの道を進んでいく。

 自分の力を何の躊躇もなく使うようになった彼の姿に驚いたモモは、その後で嬉しそうな笑みを浮かべ、彼に身を預けるのであった。

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