第5話「茜の答え」

「また達也と来たいな……」


 休憩を終え、ホテルから出るとすぐにあかねはそう言った。

 ただ現状付き合っているわけでもなく、飼っているわけでもない以上なんと返事したらいいかわからない。

 困惑こんわくしていることを察したのか、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで「なにも言わなくていいよ」とつぶやいた。


「ごめん……」

「それよりさ、帰る前に私が飼われたいかどうか聞くんでしょ? これでなにも聞いてませんって言ったら陽菜ひなさんに怒られちゃうよ」


 わざと話題を変えようとしてくれたのか、普段以上に明るくそう言う。


「なら聞かせてよ」

「落ち着けたほうがいいだろうし、ベンチに座りながらでもいい?」


 そう言って指さす先には公園があった。


「わかった」

「で、私が飼われるのでいいかってことだよね」


 ベンチに座り人心地ひとごこち着くと、そう切り出してきた。

 歩いてるときよりも距離が近いせいだろうか。

 洗い立ての髪の匂いが思考の邪魔をする。


「そうだね、茜はあのままでいいの?」


 匂いの誘惑を振り切るように、あえて普段以上に真剣な声を出した。


「いいよ」


 まじめな雰囲気を察したのか、彼女も今まで聞いたことがないくらい真剣な声を出した。

 こんな声を聴くのは振られたとき以来だろう。

 その言葉が信じられず、じっと目を見るが、その目に動揺どうよう欺瞞ぎまんの色はなかった。

 しくも陽菜の「別に私がいたからとか関係なく、猫になりたいってのは茜ちゃんの本心だよ」は当たってしまった。

 いや、あれは陽菜がでまかせで言ったわけではなく、いつか本人の口から真実を聞いたからこそ出た言葉なのだろう。

 見通しが甘かっただけだ。


「わかった……」


 なかばあきらめたようにそう口にする。

 現状を拒んでない以上、どうにかすることはできない。

 もちろん俺一人だけあの家から逃げるという選択肢もあるが、陽菜と茜を二人きりにする気にはなれなかった。

 兄としての責任もあるしな。


「じゃあこれで家に帰ったのでいいかな?」


 少し残念そうにそう言って立ち上がったので、反射的に腕を掴んでしまった。


「なに?」


 予想外のことが起きたとでもいうふうに、そうつぶやいた。


「いや、茜はいつから陽菜と知り合った?」

達也たつやが紹介してくれたんじゃん、忘れたの?」


 まるで俺がおかしなことを言っているかのように怪訝けげんそうな目で見てくる。


「いや、そういうわけじゃない……」

「ならどういうこと?」

「いつから陽菜とあんな関係になったってこと」


 少なくとも知っている範囲では、陽菜と茜はそこまで仲がいいわけではなかった。

 あくまで兄の彼女と、彼氏の妹程度の関係しかなかったはずだ。


「あー……ごめんね、それは言えない約束なんだ」

「なら、陽菜になにされた」

「それも言えない。ごめん」


 茜はものすごくばつが悪そうに眼をそらしてそう答える。


「ならこれだけは教えてほしい、俺と別れたのも陽菜のせいか?」

「……、もう遅くなっちゃうし帰ろ?」


 しばらくの沈黙ちんもくのあと、彼女は俺の手を引き歩き始めた。

 顔を見ようと覗き込んでも、かたくなに目を合わせようとしない。


「お、おい」

「大丈夫、すべてうまくいくから」


 振り返ると、哀愁あいしゅうけて見える明らかな作り笑顔でそう言う。

 その笑顔に圧倒され、何も言えないでいると、お互い無言のまま家の前についてしまった。


「本当に飼われるのでいいんだな?」


 念のため、そしてもしかしたら何か心変わりしたんじゃないかと一縷いちるの望みの元、そうたずねてみた。


「うん、ただ私が飼われたいのは陽菜さんじゃなくて、達也にだよ」


 そう言うと赤い革製のバンドを渡してきた。

 ああそうか、休憩の時危ないからって外したのを忘れていた。

 つけろということなのだろう、それを渡した後ぎゅっと目をつぶりあごを上げている。

 そっと彼女の首元に手を回すと、不器用な手つきながらもなんとか首につけることができた。


「苦しくない?」

「大丈夫、ありがとう」


 首輪の感触を確かめるよう、大切そうに触りながらそう言った。

 付き合っているときにはあまり見たことがないような、うっとりした目をする彼女を見て、少しだけ嗜虐心しぎゃくしんが刺激されてしまった。

 その目は本当に俺に向けられたものだろうか。

 首輪の贈り主に向けられたものではないのか。

 そのような疑念ぎねんが残酷な一言を発せさせた。


「なあ、俺に飼われたいなら鳴けよ」


 一瞬驚いたように目をぱちくりとさせると、意を決したように言った。


「にゃぁっ……」


 彼女の頬は傾きかけた太陽よりも真っ赤に染まっていた。

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