第4話 エピローグ

 天使が消えた日から、一年がたった。


 突然ひっくり返った世界の中で人々が戸惑い、大いに混乱したことは想像に難くない。

 しかし、それでも人間は日々を生きることを選択した。生まれ変わりのない世界を受け入れ、自分たちの足で歩みだした。


 彼らの日常は巡る。ささやかな、でも穏やかな暮らしの中で彼らは本当の人間的な営みを取り戻していく。


 イグニスはゆったりと流れる、涼やかな風を浴びながら都を歩いていた。

 駆け回る子供たちを軽く避けて、畑でじいさんと世間話をして、石材を運ぶ男たちを遠目に眺めてぶらぶらと。


「平和だなぁ……」


 みんなが満足そうに笑っていた。自分もこの、のんびりとした空気は好きだ。なのに。

 胸に手を当てる。

 なのに、今まであったものがなくなっているような気がするのはなぜだろう? 大事に持っていたはずの、大切な何かが欠けている。胸にぽっかり穴が空いたような、なんて使い古された言葉がなぜだかしっくりくるのだ。


 イグニスは寂しげに都を出てぶらぶらと歩く。上へ、上へ。空に近い山頂を目指してただ歩く。そこで探し物が見つかるような、そんな予感がして。


 頂上から見上げると視界いっぱいに青空が広がった。大きな太陽が照り輝き、乾燥した風にかすかに花の香りが混ざる。


 辺りには何もない。イグニスは肩を落とし、くるりと背を向けた。


「ねえ、きみ。忘れ物だよ」


 息が止まった。聞き覚えのある澄み透った声に、ゆっくりと振り向く。そこには。


 暖かな陽だまりの中、絹のように美しい白い髪を風になびかせてたたずむ一人の少女がいた。


「壊れてたから直してみたの。もう手放しちゃダメだよ?」


 そう言って、その少女は藍色の首飾りを掲げ、屈託のない笑みを浮かべるのだった。





 ──日はまた昇る。再び世界を照らすために。再び誰かに会うために。


 これはかつて『終わり』を求めた青年と少女の物語。

 終わって始まる、二人の物語。

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君を殺せと、天使が笑う 水永なずみ @mizu1234

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