第31話:危ない人

 ◆


 怪物の頭が半分吹き飛んだ!


 血と透明な何かが混じりあった生ぬるい感触に、君は相手に大きな打撃を与えた事を確信する。


 これだけのダメージを負えば人間でも怪物でも大抵は死ぬのだが、ここで惨心を崩す様では君はとっくの昔に死んでいただろう。


 ちなみに惨心とは残心と似ているのだが、よりアグレッシブで、分かりやすく言えば攻めの残心と言った所だ。


 ったと思った時こそ攻撃のチャンス!


 君は血飛沫に酔う事もなく、拳に万力を籠めた。


 偉大なるレイ・ブ・ケルス(閑話:ライカードの人って怖いよね参照)の竜鱗を素手で叩き割る……とまではいかないが、そこらの木っ端竜程度なら鱗どころか骨肉までも粉砕する拳で殴りつけるつもりだろうか?


 いや違う。


 殴りつけるのではなく、鉄槌の様に叩き潰すつもりだった。


 君は拳を縦拳の形にした。


 いわゆる鉄槌という形だ。


 そして地面を打ち付けるようにして振り切る。


 怪物の首部分から床面までの肉と骨を千切り、粉砕しながら。


 ・

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 ジャーヒルに恐怖という感情は存在しない。


 "囁く者" は他者に恐怖を与えはしても、受ける事は無い。


 精神が強靭だとかそういう問題ではなく、機能そのものがないのだ。


 囁く者の尖兵であるジャーヒルの機能は破壊と混乱に特化しており、自己を複製しつつ対象の文明圏を侵食し、防衛機能を弱体化させる。


 それから先の仕事はまた別個体が引継ぎ、この様にして彼らは多くの文明を破壊し、喰らって来た。


 勿論彼らに目をつけられた者達もただ漫然と喰らわれるのを待っていたわけではないが、抵抗の全ては水泡に帰した。


 ジャーヒルは殺しに殺した。


 人間も亜人は勿論、天使や悪魔、魔神でさえも殺してきた。


 しかし今回の "侵攻" では既に2度、退けられている。


 いつもとは違う。"次" は、あるいは本体を顕現させる必要があるかもしれない


 そんな思いがジャーヒルに芽生え、そして意識が暗転する。


 ◆


 君の惨心が残心へと移行した時、背後で物音がした。


 気配は複数。


 しかし君の感覚は敵ではないと告げている。


「主様ぁっ!!!」


 そんな叫びと共に現れたのはルクレツィア達だった。


 君が施した浮遊の魔法を破って穴へ飛び込んできたのだろう。


 そしてルクレツィアに続き、キャリエル、モーブも飛び込んでくる。


 皆が皆、部屋の不気味さに言葉が無いようだ。


 空気は生臭く、重たい。


 床に散乱する骨々は、いうまでもなく犠牲者のそれだろう。


 床や天井、壁には生肉めいた何かが張り付き、あろうことか脈動さえしていた。


「まさかこの部屋は……生きているのか?」


 モーブが眉を顰めて呟く。


「調べるのは後にして、とりあえずお兄さんの所へ……ってルク、あんなに早く走れるんだ!?」


 キャリエルも部屋の様子には辟易している様子だが、モーブよりは余裕が見える。


 モーブが腰抜けだからではなく、まだトラウマが治っていないのだ。


 何せ彼はルクレツィアの上半身がぱぁんと弾け飛ぶ光景を見てしまっている。


 勿論下手人は君である。


 それから生肉の類が苦手になってしまった。


 ・

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 ・


「お、お怪我は……」


 見れば分かるだろうと言う君に、ルクレツィアは絶句する。


 全身血塗れになるほどの大怪我を負っているとは思えない冷静さに驚愕したのだ。


 ──この方をここで死なせてはならないッ!


 ルクレツィアは慌てて君に駆け寄り、魔力を練り上げ、彼女の行使しうる最大の癒しの奇跡を発現しようとした。


 しかしそれは君の指が彼女のおとがいを指でもちあげる事で妨害される。


 多少の傷は君の装備品によって癒されるし、なにより更に下層へ向かうのだから魔法は可能な限り温存しておかなければならない。


 そう君は思うのだが、このあたりはライカードの冒険者としての気質にやや引っ張られている。


 君の魔法使用回数には制限がある。


 9回だ。


 何でもかんでも9回。


 その回数に至るまでは一切の疲労なく、どれ程高い階梯の魔法でも使う事ができる。


 例えば、君はもっとも下級の回復魔法でさえ9回しか使えないのだが、ルクレツィアは100回使った所で魔力が尽きないだろう。


 しかし全身全霊の回復魔法となると、ルクレツィアは1度か2度使えれば良い方だ。


 だが君はそんな回復魔法でも9回使える。


 君にはこういった縛りがあるため、必要最小限の規模での魔法行使を好むのだ。


 そして、君が小技ばっかりセコセコと使う理由もその辺にあった。


 それはともかく、君に顎を持ち上げられたルクレツィアはたちまち頬を赤く染めていった。


「お、お戯れを……。と、とにかくすぐにその傷を癒さねばッ」


 ここでようやくルクレツィアが何か勘違いしている事に気付いた君は、血は全て敵のものだという事を説明する。


「そ、そうでしたか。しかし、なんという……主様がどれほど邪悪で恐るべき敵と相対したか、この場に揺蕩う魔力の残滓でよく分かります」


 ルクレツィアは吐き気を催す魔力を感知していた。


 魔力とは個人個人で異なる顔を見せるのだが、魔力にびんな者はこの違いを第六感──…霊感で感得する事が出来る。


 言うまでもなくルクレツィアは "敏な者" だ。


 カナン神聖国の戦闘聖女バトル・プリーステス、"降る雪の" ルクレツィアの戦闘者としての実力は高い。


 そんな彼女の精神の肌は今、怖気を震う蟻走感に襲われていた。


 部屋の隅々にまで及ぶ魔力はまるで腐肉が蠢くように感じられ、ルクレツィアに強烈な負のイメージを植え付ける。


 ──これは、この敵は


 ルクレツィアの負のイメージはしかし、一瞬で霧散した。


 "俺を敵にまわすのと、どちらが恐ろしい?" そんな事を君が言ったからだ。


 ルクレツィアの応えは決まっている。


 ・

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 ・


 君は脳筋だが、相手が雑魚ではないことはよくよく理解してる。


 自身を傷つけるのみならず、殺める事すら出来るだろうと理解している。


 良い事だ、と君は思った。


 自分だけが相手を嬲り殺せるというのはフェアではない。


 君は "善(GOOD)" であるので、正々堂々とした闘いを好むタチに出来ている。


 だから、敵手が強敵である分には一向に構わないのだ。


 ◆


「じゃあ私が先に行くね。ええと、ここは7層だよね?落とし穴の先だから。じゃあ下にいく階段を探せばいいわけだ」


 キャリエルが軽い調子でいう。


 彼女の危機感知能力は、少なくとも彼女自身の無事だけは保証しているようだった。


 だがそれは油断が過ぎるというものではないだろうか?


 そう思った君が苦言を呈すと、キャリエルは笑いながら答える。


「それくらいは分かってるよ、ここは危ない。本当に危ない場所だとおもう。だけど、こんなところよりもっともっと危ない人が私たちのリーダーなんだから、私たちはその分安心できちゃうよね。まあ油断はしないようにするから安心して!私、斥候役は結構自信あるんだからっ」


 危ないと言われた君はやや解せない様子だった。


 ライカード魔導散兵の数はそこまで多くないが、君より危ない者は少なくない。


 というより、君は一番まともな性格をしている……と自分では思っている。


 しかしキャリエルの言葉にルクレツィアは困ったような表情を浮かべるも否定せず、モーブに至っては大きく頷いていた。


 そんな様子に軽くため息をつき、君はキャリエルの背を追って歩きだす。


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