第24話:妖霧

 ◇


 君はぐるりと仲間達を見回した。

 深手を負っているものはいない。精々がかすり傷だ。


 君はここで思案をする。


 ――進むべきか、戻るべきか


 逡巡は一瞬だ。

 君は広い玄室の中央に打ち捨てられている灰の元まで歩み寄り、一握の灰を手に取った。

 その灰を布で包むと、腰に固定してある物入れへ仕舞う。


 キャリエルが小首を傾げていたので、君はギルドに提出する意図を明かした。


 迷宮で変事が起きている事は明らかであり、君たちが対峙した異形は聖王国が言う所の大悪の萌芽の可能性が高い、ついては探索者ギルドの判断を仰ぎたい、だからここは引き返すとしよう…君がそう言うと、キャリエルは非常に失礼な事を君に言ってのけた。


「え!?お兄さんってそういうの配慮する人なんだね…」


 今度は君が小首を傾げる番であった。

 キャリエルはなおも言う。


「だってお兄さんって国とか組織とかの意向なんて従わずにわが道を往くって感じじゃない?」


 とんでもない事に、キャリエルの言葉にルクレツィアやモーブまでもが頷いていた。


 酷い誤解に君の気が遠くなる。

 君は自身の事を遵法精神に富む理知的な人間だと考えている。

 ギルドや国の方針、施策には極力従うつもりであったし、独善的な行動は慎む意思を持っていた。


 なぜならば“善”であるからだ。

 倫理的姿勢、社会生活を送る上での行動規範。

 そういったものへの向き合い方で善、中立、悪が分かたれる。


 仮に悪路を前に老婆が進みあぐねているとしよう。


 善の者ならば共に道を歩んでやり、中立の者ならば自身もその道を渡るならばついでに助けるであろう。

 そして悪の者は手助けが自身のメリットとなるならば助けてやるはずだ。


 その考えで言えば、キャリエルの言う君の生き様は悪ではないか。


 これは誤解だし、言葉を尽くしてその誤解を解く必要がある。

 そして、どうしても誤解がとけないのならばキャリエルを殺害する事もやむを得まい。


 仮に“そう”なってしまったならば、これまでの付き合いもある。

 人道的に一撃を以って首の骨を圧し折ってやろう。


 君がそう心に決めた瞬間、キャリエルの両眼がカッと見開かれ、再々度口を開いた。


「で、でも~!お兄さんと接していたらお兄さんはちゃんと筋を通すというか、我侭な人じゃないっていうのは分かるし!わ、私の事も助けてくれたもんね。ただお兄さんは目つきが鋭すぎるから誤解を受けたりする事も多そうで、そこら辺は大変そうだなって思う、な~…?」


 何故か語尾が疑問調なのが気になったが、君はキャリエルの言葉にさもありなんと頷いた。

 自身の目つきの悪さはこれは自覚していた事であり、どうにかならないものかと思い悩んでいた事でもある。


 だが、大魔術の数々を一呼吸に乱打し、拳1つで鋼鉄をぶち抜き、更には死者の蘇生という奇跡を行使できる君といえども、目つきの悪さだけはどうにもならなかった。


 それは如何なる状態異常でもないからである。


 ◇


 転移の術を使っても良かったが、君は徒歩で地上を目指す事を提案した。


 と言うのも、上層でもなにかしらの変異、異変が発生している可能性があったからだ。

 それに対応するかどうかはともかくとして、全員無傷である以上、徒歩での帰還も問題ないだろう。


 君がそういうと、ルクレツィア、モーブはレッドカウの様にウンウンと頷いていた。

 レッドカウとはアヴァロン南西の荒地に生息する赤い体毛が特徴的な牛の魔獣だ。

 まるで頷くように首を上げ下げしつづけるという奇癖を持つ。


 基本的にこの二人は君の言には一切逆らわない。

 裸で踊れといえば踊るであろう。

 だが、キャリエルは違う。

 彼女は結構ズバズバと物を言うため、君の目は自然とキャリエルへ向いた。


「…ん~…そうだね、私はそれで良いと思う。もしかしたら怖い魔物に襲われているひよっ子がいるかもしれないしね」


 キャリエルは君とは異なるタイプの“善”であった。そしてルクレツィアやモーブの“善”もキャリエルや君のそれとはまた異なる善であろう。君達は各々が異なる、各々なりの“善”を持ち寄って、それをよすがとし、魔道の底へと挑もうとしている。


 君の心の何かがぶるりと震えた。

 冒険者魂に火がついた君は、やおら地面を蹴りだし、物陰に潜み奇襲を窺っていた豚面の魔物の顔面を蹴り飛ばす。


 空気を引き裂く戦慄の上段回し蹴りは、豚面の魔物…この世界においてはオーク・ジェネラルと呼ばれている魔物の顔面に着弾し、オーク・ジェネラルの首から上を血飛沫と僅かな肉片へ変じさせた。


 首のない死体がピュウピュウと血の噴水をあげている。

 君は体に血の雨を浴び、その温かさから命の尊さを感得する。


 そうだ。

 命とは尊いものなのだ。


 君が先刻立ち会った醜悪な怪物は、君の眼をして生物への冒涜だと見てとれた。

 命を穢さんとする邪悪が迷宮の底で待ち構えている。


 君は仲間達の方へと振り返り、自分達の手で大業を為す事を、命を穢す邪悪を必ずや打倒する事を告げた。


 ルクレツィアは全身を雨に打たれた子犬のように震わせ、片手で自身の乳を揉んでいた。


 モーブは跪き、まるで王へ対するような様子。


 キャリエルは布を取り出し、君に差し出した。


「拭いたほうがいいとおもうよ」


 君は礼を言って布を受取り、体についた返り血を拭い取った。


 ◇


 探索者ギルドのマスター、豚鬼種の英雄剣士であるサー・イェリコ・グロッケンは手勢の齎した情報の数々、その不穏さに豚面を歪めた。


 ここしばらくの迷宮未帰還率は日に日に高まっており、しかも帰還した探索者もそれまでの性格が一変しているものも珍しくなく、発狂にまで至ってしまっている者もそれなりの数がいる。


 だがこれほどの変事を探索者ギルドのマスターである自分がなぜこれまで把握できなかったのか?


 これは一部の探索者ギルドの職員が情報を差し止めていたからだ。


 その職員達は王宮からの息が掛かっているものばかりで、此度の変事は迷宮そのものもそうだが、王宮が貴族が、王があるいは一枚噛んでいるのでは、とグロッケンは思案に目を細めた。


 探索者ギルドの受付嬢にしてグロッケンの個人秘書であるハノンは心配そうに彼を見つめていた。そんな視線に気付いたか、グロッケンはくしゃりと笑った。


「ブフ~…大丈夫です、ハノン。なにやら陰謀が渦巻いている様ですが、問題とは1つ1つ解決していけばいずれは消えてなくなるものです。幸い私にも色々ツテはある…この国だけではなくね」


「はい…しかし私はどうにも不安でなりません。ここ最近の街の空気は余りに淀んでいるとおもいませんか。私も過去は探索者でした。だから分かるのです、この街から今、迷宮の匂いがする、と」


 グロッケンはその言葉をする事は無く、窓の外に目をやった。


 霧が濃い。

 そう、霧が出ているのだ。

 グロッケンがアヴァロンの探索者ギルドのマスターとなって初めての事であった。


 ◇


 地上への帰途、君はモーブが腕に風を纏うのを見て拍手し、賞賛した。

 迷宮の空気がやや淀んでおり、キャリエルが君にそれを訴えたのだ。


 言われて見れば空気の味が悪い。

 毒性を帯びている、というほどではないのだが、吸気にやや抵抗を覚える、そんなよどみである。

 いずれにしても鬱陶しい事には違いない。


 しかし君にも空調の魔法などは使えない。

 君は少し思案するが、その時モーブが申し出た。

 軽くでいいなら周囲の空気を攪拌し、風通しを改善出来る、と。


 モーブが腕を突き出すとたちまちに風が渦を巻き、君達の周辺の空気はややその淀みを薄めた。


 モーブ曰く、旋風を纏った腕は飛び道具に対する簡易的な盾として機能し、飛矢程度なら逸らしてしまうそうだ。


 モーブは『風渡り』の異名を持つそうだが、なるほど、名に違わぬ妙手の様であった。

 少なくとも君にはこのような真似は出来ない。


 風を操る魔法を使えなくは無いが…君の扱うそれはモーブのそれよりも遥かに破壊的で破滅的なものだ。


 キャリエルは笑顔で凄いよモーブさんなどと言い、弾けるような笑顔を彼に向けている。

 モーブもまんざらではないようでその頬はほんの僅かに赤らんでいた。


「モーブ、お顔がだらしなくなっておりますわよ」


 ルクレツィアが苦笑しながら指摘すると、モーブはたちまちキリっと表情を引き締めた。

 その様がなにやらキャリエルのツボにはまってしまったようで、迷宮に快活な笑い声が響きわたる。


 君はそんな彼等に気を抜くなと注意するどころか、むしろこの空気を引き延ばそうとさえしていた。


 なぜなら君は知っていたからである。

 迷宮という特殊空間において、何が探索者達をもっとも屠ってきたのかを。


 それは恐るべき魔物でもなく、致死性の罠でもない。探索者達は闇に吞まれてその尊い命を散すのだ。そして、その闇は己の心の中にある。


 笑いというものは迷宮に横たわる無窮の暗黒を照らす仄かな光、温かみ。

 ベテランの探索者ならば皆それを知っている。


 ◇


 君達は地上への階段を上り、迷宮を塞ぐ大扉を開く。

 外には濃い霧が立ち込めていた。


「霧!?珍しいなあ。というか初めてだよ!雨でもふったのかな。私は学がないからよくわからないんだけど、雨の後ってこういう靄が出やすいらしいね」


 キャリエルがやや早口で言う。

 ルクレツィアは何か落ち着き無い様子だ。

 モーブはいつもと変わらず。彼は基本的に無口で無言で、やるべき事をしっかりやる男である。


 君がルクレツィアにどうしたのかを尋ねると、彼女は首を振りながら答えた。


「わかりません、わたくしにも…。ただ、何か、私には覚えがあるような…この霧に、覚えがあるような気がするのです。心の奥が震え、怖気づいているのを感じます」


 やや顔色を悪くしながら言うルクレツィアに、君は再び尋ねた。

 “これ”は良いものか、それとも悪いものか、と。


 ルクレツィアは答える。

「……邪悪。その一端を担うものかと」


 君はそれを聞いて破顔する。

 望む所であった。

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