Episode Zehn,品のないウサギver.1.1


 …………声が出せない。私は今、どこにいるのでしょう。

 体を動かそうにも──力が、入りません。……いいえ。これは、動かせないというより、体が痺れている感覚です。

 原因は恐らく、首筋に刺さったままのコレでしょう。刺さっている場所を中心に、ビリッ、ビリッという嫌なノイズを感じます。ソレは意識にも干渉するようで──視界の端にパチッ、とした火花が見える──度に、意識が遠のき──途切れる、の、です。


「ほらほらぁ、追いついちゃうよ?」

「しつこいんだよクソッタレ!」

「おじさぁん、本気で逃げてるのぉ……?」

 途切れ途切れの意識の中、複数の音が──聞こえます。明滅する視界はピンボケが、酷く──なにも、わから──ないの、です。そ──こに、揺れも、相まって──思考が、上手く、回りません。

 わかるのはする──今の私は、誰かに──背負われている事。そして、女の人に、追われていて──……女の人? なんだか──凄く嫌な感じがします。

 追跡者の女性──の声は、明らかに──愉しんでいる人のそれ──です。こうなった──経緯は、わかりません。けれど、彼女──に、捕まったら不味い。そう本能が、警鐘を──鳴らし、続けていました。


「兄貴、どうすれば……俺、死にたくないっす!」

「俺もだよ! 一先ず直線道ストレートは避けて逃げろ!」

 意識の嫌な──所へ、ねっとりと纏わり──つく、ような──甘い女の声とは違って、二人の声は──怯えて、います。ひりつくような──焦燥感が、ひしひしと。

 息も荒く、急停止と急発進──それらを繰り返すたび──刺さっている何かが──不規則なノイズ。電流──が、意識を──途切れ、さ──せます。

「ほらほらぁ、頑張れ♡頑張れ♡ もしかしたら逃げられるかもよ〜?」

 その合間──合間、に──聴こ、え──る声、が──悍ま──……甘く、嫌な──声。煩わ、し──いの、です。その声は、着実に迫ってきていて──……。

「ところでハイエナさぁん? その背におぶった女のコ。どこで拐って来たんですかぁ?」

「拐ってねぇよ、拾ったんだ!」

「ならその電撃錐スタンピックはなんなのかなぁ?」

「関係ねぇだろ糞兎(※スラング)!」

「ひっどーい! なんで女性レディーにそんな事言うのぉ?」

 ──ゾワゾワ、します。耳に響く、キン──と、した──声は、知性がなさそ──うで、胃もたれ──しそう、です。

 それに加えて、品の──ない露出が──甘ったるく、馬鹿みたいな喋りを──より、酷いモノに──し、て──い、ます。

 それに、匂う──この臭いは、なんと喩えればよい──の、でしょうか? 膿の臭い──腐っ、た血の臭い──そのどれでもない、のです。

 この、ねっとりと──鼻腔にへばりつ、く──甘い香り。その影に潜んでいる──の、は──何重にも、積み重ねられた──濃密な、死の臭い──です。腐敗臭と、も──異なり、ます──誰でも、忌避感──を、覚える──酷い──モノを、彼女は──纏ってい──まし、た。

 こんな場所であっても、それ──は、匂うの──です。深く、根を張っ──ている、の、でしょう。

 ──私自身、あまり多く──の、帰還者どうぞくと触れ合った事は、ありません──けれど、あの女帰還者レウェルティが、壊れてること──は、わかるのです──


「見てくれが良くても血の匂いが染み付いた奴は御免だね!」

 余計な一言──だと、いうのは──わかりま、す──。けど、何故そのようなことを真似を──される、の──でしょう?

「……ふーん、そういうこと言うんだぁ?」

 背筋を、氷柱でなぞられた、か──と、思い──ま、した。私達の後を──追う、女の声が、とても──冷たく、なっ、た気が──しま、す。声のトーンが落ちた──上、に──カチャカチャと、嫌な──音が、しま──した。女との距離は──離れ、つつあり──まし、た──が、それと同時に──独特な臭いが、した──の、です。あれ──は、恐ら──く、火薬──!


「……っ、あ……」

 女の足が止まってから直ぐに、首筋に強烈な刺激が走りました。それと同時に首筋の違和感は消え、視界の端で火花が散ることもなくなったのです。運良く彼女の撃った弾丸が、首筋の電撃錐スタンピックを壊したか、弾き飛ばしてくれたのでしょう。

「糞っ、飛び道具持ちかよ!」

「そーだよー、次は当てるかんねぇ」

 安堵したのも束の間──間延びした声と共に、弾丸が飛んできます。

 動けない私は頭を撃たれないようにと願いながら、未だ残り続ける痺れの回復を、待ち続ける他ありませんでした。勿論、その間も銃声は止みません。しかし私達の進行方向で何がか弾けたり、電光掲示板がショートしたりするばかりでした。

 明後日の方向へと飛んでいく弾に苛ついているのか「全然当たらないじゃーん!」という女の不満たっぷりな声が聞こえます。それを好機と見たか、男達は速度を上げて細い路地を駆け抜けていきました。一考すると悪手にも思えますが、ここは違法増築の繰り返された魔窟。多種多様な遮蔽物が多く存在していたのです。


 ──男達が立ち止まり、背後を振り向いた瞬間。

 私に声をかけてきた青年の身体が、ぐらりと蹌踉めきました。たたらを踏むでもなく、糸の切れた人形のように、フラリと倒れたのです。

 何が起きたのかは「わかって」いました。けれどその結果を産み出した原因が、一体何処から飛んできたのかはわかりません。

 何処からか飛んで来た弾丸が、青年の頭へ侵入し、その中身をぐちゃぐちゃに食い荒らして出ていったのです。後頭部は弾けて砕けた柘榴のようで、未だにドクドクと果汁を流していました。

 それはあまりにも唐突な「死」であり、現実味がなかったのです。だから私達は、動けなかった。動かなきゃいけないと「理解」していた。けれど男は動かず、私も動く事が出来ません。

 未だに痺れが残る体ではどうしょうもない。お願いだから早く逃げてと、願った瞬間──真横で真っ赤な華が咲いたのです。


「あーしから逃げられると思ったぁ? 世の中そんなに甘くないんだよ、禿頭ボールディちゃん」

 甘ったるい声が聞こえるよりも早く、男の体は倒れ始めていました。

 ぐらりと揺れたかと思えば、どっと下から突き上げるような衝撃。そのまま前のめりに倒れますが、私に出来ることはありません。麻痺が残り、緩みきった体では受け身などとりようもありませんから。

「ゔ──……っ!」

「んー……?」

 転がった先に居たのは、先程の追跡者でした。

「初めましてぇ、真っ白なお姫様。ご気分いかがぁ?」

 不味い、と思った時には手遅れでした。

 娼婦が客にかけるような、甘ったるくて、明るい元気なこえが聞こえたのです。無視してやり過ごそうかと思ったけれど、そんな事は許されません。

「ねーぇ、起きてるんでしょー?」

 髪をひっ掴まれ、強制的に起こされました。初めて感じた痛みと共に、肺のあたりが酷く痛みます。その痛みは、目も開けていられない程でした。「やめて」と言いたくても声にならず、掠れた声にならない音が漏れるばかりです。

「──……返事くらいしなさいよ、ねぇ」

 彼女の言葉が、先程とは異なる冷たさで私に食らいつく。それは甘さの欠片もない、氷のような冷たさと圧を孕んだ声でした。神経を撫でられるような悍ましさの中には「ここで答えなければ酷い事をされる」と確信させるのに、充分過ぎる圧を含んでいたのです。

「──、たぃ……!」

 どうにかして絞り出した声は、意味のない音の羅列にしかなっていません。けれどこれが、今の私には精一杯なのです。

「ふーん……それで?」

「手を、離し……て──!」

「いいよぉ」

 ふと、頭の痛みが消える。しかし次の瞬間にはもう、胸の痛みが私を襲っていた。膝立ちしていたくらいの高さなのに、たったそれだけの高さなのに。打ち付けた胴からは激しい痛みが生じていたのです。

「それで? それで? ここからどうしたいのかなぁ?」

 女は心底楽しそうに笑っていた。あの胸焼けしそうな程に甘ったるい、媚びた声で。この状況の一体、何がそんなに面白いのでしょう?


「──……なに、その目?」

 空気が変わったと、肌で感じた瞬間に聞こえたのは氷のように冷たく、鋭い声でした。

 直後、脇腹に鋭い衝撃が走ります。思いっ切り腹を蹴りぬかれたと「理解」したのと、彼女が仰向けになった私の上に乗ったのはほぼ同時でした。

「──ムカツク目、してんね。アンタ」

 一段と低く、底冷えするような声と共に。彼女の右手が──その指先が。ゆっくりと私の左目に伸びてくるのでした。












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