第39話 婚約

 ガーヴェイン侯爵家の屋敷の庭にて、俺と侯爵は対峙していた。

 互いに持つのは練習用の木剣である。


「ふんっ!」


 まず、先手を取ったのは俺だった。一気に距離を詰め、袈裟斬りを放つ。


「甘いわ!」


 侯爵はそれを横に避けると、こちらに反撃してきた。突き技だ。鋭い一撃が迫る。

 だが……。


「ぬんっ!」


 俺も即座に踏み込み、横薙ぎの一閃を放った。

 侯爵の木剣を叩き落とす。そして返す刀で首元に刃を突きつけた。


「……見事。私の負けです」


 侯爵が言う。俺は構えを解き、そして一礼した。


「ありがとうございます」


 これで今日の稽古も終わりだ。


「すごいです勇者様! 父上も!」


 アラム殿が興奮する。


「今日も素晴らしい腕前でした! 特に勇者様の動きは、私など全く目で追えませんでしたよ! いやあ、凄いですね!」

「いや、まだまだです」


 俺は謙遜して言う。しかし、実際、今のは我ながら良い動きだったと思う。やはり経験を積むのが一番成長できるのだ。

 自分の場合、模擬戦を繰り返し、うまい手加減を身に付けねばならぬ。


「アラム殿。私と父上の戦いをよく見て、それを反芻するのです。そうすることで、より自分の力になるでしょう」

「はい!」


 元気の良い返事だ。

 彼は素直だ。素直な人間は吸収も早い。よい兵士……ではない、戦士になるだろう。


「フィリム、アラム殿に稽古を」

「はい!」


 フィリムが駆け寄ってくる。そして、彼と向き合った。


「よろしくお願いします」

「はい! よろしくお願い致します!」


 そして、フィリムが木槍を構える。


「では……始め!」


 俺が合図を出す。そして――戦いが始まった。

 まずは、両者ともに様子見といった感じだ。そして、徐々に動き始める。


「はっ! せいっ!!」


 アラム殿は、やや荒削りな印象を受ける。

 まだ身体が出来ていない少年だからな。しかし、才能はある。


「ぐっ……」


 彼の放った穂先が、わずかにフィリムの肩をかすめる。


「そこだっ!!」


 そして、彼が繰り出した攻撃は、見事に命中した。


「勝負あり、ですね」

「ああ」


 俺は言う。


「見事でした、アラム殿。上達してますね」

「いえ……そんな」

「この調子で励んでください」

「はいっ」


 嬉しそうな表情を浮かべる。この子もまた、根は真っ直ぐな少年のようだ。


「槍は苦手なんですよね……」


 フィリムは頬を膨らませる。


「まあお前の得意は短剣だからな」


 そして、そうは言っても彼女は器用だ。それとなく見事に手加減していたのがわかる。

 彼女はいい教師になるやもしれん。


「しかし、色々と大変な事になりましたね」


 侯爵が汗を拭きながら言って来る。


「はい」


 そう、本当に大変だ。

 決闘騒ぎ、さらには謎の襲撃まで受けている。

 今はまだ問題ないが、このまま続けば、やがて大きな問題へと発展するやもしれない。


「まさか辺境伯が姫の婚約者になってしまうとは、驚きましたよ」

「……自分の意図ではありません」


 まさかこうなるとは。


「テリム殿が一方的に言い出した賭け。国王陛下にはしっかりと説明して、この話を無かったことにしていただこうと」

「ああ、それなのですが……」


 侯爵は言う。


「ここだけの話、国王陛下は――乗り気です」

「…………………………は?」


 今、なんと言ったのだ。


「待っていただきたい。

 一国の第一王女と公爵家子息の婚約を、勇者とはいえ余所者の成り上がり貴族がぶち壊し、王女を奪う形となった」


 自分で言っておいて酷い。

 状況だけ見るならクズの所業だ。


「王として。父として。ここは怒るべきところでしょう。なのに何故……」

「それが、ですね」


 侯爵が言う。


「陛下は、今回の件で……あなたに恩を感じておられるようなのですよ」

「……どういうことですか」


 解せぬ。


「それというのも、ヴァハルランス公爵は……帝国と繋がっている、という疑惑があるのです」

「―――ほう?」


 驚愕の事実である。


「それは……本当ですか」

「あくまで噂ですがね。どうも、帝国の息がかかった者が王国に入り込んでいるようで……」


 それは……確かに、ありえることだ。


「かつての帝国との戦いでも、公爵は戦いを収めた功労者として称えられています。

 それゆえに……多くの貴族が、彼を英雄視している。

 ですが……その戦いを収めた、ということこそが」

「自作自演、の疑いがある、と」

「はい。帝国と繋がっていたなら――戦いを止めさせることも容易」


 確かに筋は通っている。だが、疑問もある。


「ですが、証拠がない」

「はい。それに……そもそも、これは単なる疑惑ですからね……今の時点では」

「ふむ……」


 仮にその話が真実であったとしても、結局は、こちらからは何もできない。


「ともかく、そのような背景で、公爵家子息のテリム様と、リリルミナ姫は婚約となったわけですが――国王陛下としても、公爵家を危険視しておられた。

 だが派閥の力は強く、証拠もなく手出しは出来ない。

 そんな時に――」

「なるほど、私が現れたと」

「はい。冥王を斃し獣王国をも支配下に置いた、星の勇者。

 そんなティグル殿が、姫を婚約者から奪い取った――陛下としては頭を痛めたふりをしつつ内心踊っていたのでは」

「……」

「テリム様から一方的に決闘を持ち掛けてきた、というのも幸いでしたね。

 責任は彼にある。まあこれは……両殿下も仕組んでいた気がしないでもないですが」


  なるほど。

 自尊心の強い男の前で、勇者を絶賛し持ち上げる。当然、面白くない。そして爆発するように仕向けた――ということか。

「それが正しいなら……両殿下も、お人が悪い」


 してやられた、というわけだ。


「まあ……これも王族ゆえでしょうなぁ」


 はっはっはっと侯爵は笑った。

 俺としては、笑えぬ話だが。

 ……ともかくそういう事情もあり、俺とリリルミナ姫との婚約話は、これ幸いにと進んでしまう事になるらしい。

 何という事だ。

 国王にとりなしてもらって色々と無かったことにしようと思ったのだが。


「聖女殿とも仲睦まじく、獣王国の姫と結婚し、私の娘と婚約しているというのに、さらに王女殿下とまで婚約されるとはね、いやはや」

「……まことに申し訳ございません」


 心より恥じた。


 どんな鬼畜なのだ俺は。

 人間の屑ではないか、これでは。


「責めるつもりはありませんよ。これで「リリルミナ姫と婚約するのでルミィナとの婚約を破棄する」と言い出したら、私は父として剣を抜かざるを得なくなりますが」

「そのようなことは、決して」


 ……前の話では、あくまでもルミィナ嬢との婚約は時間稼ぎ、時が立てばどうとでもなる……という話だったと思ったのだが。


「勇者殿は、いずれこの国の英雄となる御方。

 ならば、娘を妻に迎えていただくというのは……これ以上無い誉れです」

「……そのような事は」

「ルミィナも……最近は楽しげにしています。勇者様の話ばかりをするようになりまして」

「……そうなのですか」

「ええ。勇者様は凄い、勇者様は素敵、勇者様は優しい――いつも、勇者様のことばかりです」

「……私からはそうとはとても」


 好感度が高いとは思えぬ。

 彼女とは、ろくに会話も進まないのだが。


「人見知りをしますからね。おっと、この話は娘には内緒にしておいてください」

「……はあ」

「とにかく、娘の事をよろしくお願い致します」

「……承知しました」


 侯爵の口調に重圧を感じる。逃げられそうにない。

 どんどん深みに嵌っていっている気がする。


「さて、そろそろ夕食の時間ですな。屋敷に戻りましょう」

「そうですね」


 俺は、深くため息をつく。


「どうかされましたかな」

「いえ……」


 俺は言う。


「人生とはままならぬものだと思いまして」

「ははは! まったくもって!」


 侯爵は愉快そうに笑いながら、歩き始めた。

 ……俺は侯爵を尊敬するが、それはそれとして思った。


 この野郎。

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