第6話 居場所



「わたしの帽子、拾ってくれてありがとう」


 少女は手元の物体を指差して言いました。とても眩しい笑顔です。


「ああ。これ……ぼうし? っていうのか。はい」


 少年は復唱しながら持っていたものを持ち主へ返します。少女は大事そうに『ぼうし』を受け取ると、目をまあるくして彼に尋ねました。


「そうだよ。知らなかったの?」


「うん。知らなかったし、いま初めて見た」


「そうなの? …………あの」


 鍔の濡れた帽子を握り締めた彼女は、もの言いたげに彼を見つめています。


「なんだ?」


「あなた、向こうの……足の着かないところから来たし、泳ぎも速くて……。もしかして、人魚さんだったりする?」


「うん、そうだよ」


 彼はそう言うと、淡い黄緑の尾鰭をちょこんと覗かせました。


「わあ……! 会えてとっても嬉しい」

 

「どうして?」


「だって、人魚さんたちがここまで来ることなんて滅多にないでしょ?」


「確かに……みんな陸には近付かないな。僕だって、最初からここを目指してたわけじゃなくて……一人になれる場所を探してるうちに、遠くまで来ちゃっただけだし」


「えっ、そうだったの? ごめんなさい、知らなかったとはいえ邪魔しちゃって……」


「ううん、いいんだ。別に本当は一人じゃなくたって、落ち着けるならそれで」

 

「なら、ここは結構穴場だと思うよ。このあたりによく来るのなんて、わたしくらいだから」


 彼女は俯き、指先でちゃぷちゃぷ水を弾ませています。


「じゃあ、僕のほうこそ君の邪魔になってるじゃないか。ごめん」


「いいのいいの。わたしは一人になりたいわけじゃなくて、ここから見る海が好きで来てるんだから」


 水遊びの手を止め、顔を上げた彼女。ぱっちりと開かれた目は、彼を透かして後ろに広がる眺望に釘付けです。


「ここから見る海?」


 彼はその視線を追うように振り向くと、夕陽が半分ほど水平線に沈んでいました。まばゆいばかりの銀朱に染まる海面は緩やかに波打ち、絶え間なく反射しています。


 彼もまた、海中では決して見ることのできない景色にすっかり目を奪われていました。


「……どう? 素敵でしょ」

 

「うん、とても綺麗だ」


 再度彼女に向き直ると、その瞳にも夕陽が縮こまって収まっていました。


「気に入った?」


「うん。……また見たいな」


「いつでもおいでよ。ここから見る海は一日中、どんな時間帯でも最高だから」


 彼はにっこり微笑んで頷きます。


「君は、いつもここに?」


「うん。時間は決めてないけど、大体毎日来て、一時間くらいのんびりしてるかなあ」


「そうか。じゃあ、また会うことがあるかもしれないな。僕はそこまで頻繫には来られないけど」

 

「会えたらお話しようね」

 

「もちろん」


 海中で握手を交わし、その日は解散しました。


 二人が次に会ったのは、それから二週間ほど経った昼下がり。


 その日の彼女は、初めて会った日に彼が拾い上げた帽子を頭に載せ、岩場でアオウミウシを観察中でした。


 再会した二人は時間が経つのも忘れて話し込み、気付けば、あの日のように日が傾いていました。まだまだ話し足りない彼は、思い切って彼女に持ち掛けます。


「また……会えるかな」


「うん、きっと会えるよ。あなたと会った日からわたし、毎日来てるんだから」


 ハコフグのように頬を膨らませる彼女。その心理がいまいち理解できず、彼は小首を傾げました。


「でも、日によって来る時間が違うんだよね?」


「そうだよ」


「僕が次、ここまで来たときは君に会いたいって言ってるんだ」

 

 早口で言い終えた彼の、ふいっと照れくさそうに背けた頬には、心なしか赤みが差しています。いち早くそのことに気付いた彼女は、たまらず笑顔になりました。

 

「……ふふ」


「どうして笑ってるの」


「言わせちゃってごめんね? ちゃんと言葉にしてくれたのが嬉しくて。わたしもまた会いたいなあ」


 彼女の真っ直ぐな台詞に恥ずかしさが遅れてやってきた彼ですが、そんなことはおくびにも出さず、いたって事務的に尋ねます。


「じゃあ……そうだな、三日後だったら何時頃、都合がつく?」


「その日なら…………」

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