第2話 暗殺、決行


 

 ある日のことです。休暇中の彼女は、公園で一人くつろぐ金色の鱗の人魚の後ろ姿を発見しました。


 護衛は席を外しているのでしょうか。周囲には誰もおらず、彼は下方を泳ぐ小魚の群れを眺めており、こちらに気付く様子もありません。


 彼女は偶然めぐってきた好機に歓喜しました。今こそ積年の恨みを晴らすときです。


 もう一度、辺りに人影がないことを確認し、落ちていた石を拾い上げます。石板としても使えそうな形状の、それなりに大きく頑丈なものです。


 そして、音を立てないように慎重に彼の背後まで迫った彼女は、抱えた石を自慢の怪力で振り下ろし、金色の鱗を持つ人魚の後頭部に強烈な一撃を浴びせました。


 彼は叫ぶ間もなく事切れました。いかに強大な力を有した者であれど、不意打ちを受ければ儚いもの。


 犯行現場を目撃した者はいませんが、このままここにいては発見されるのも時間の問題です。


 また、死体の隠し場所についても考える必要がありました。あいにく現場は見晴らしがよく、付近に目立った遮蔽物もありません。


 ひとまず彼女は死体を背負い、人魚たちが滅多に訪れることのない場所を目指すことにしました。


 そう、陸です。


 人魚たちは海を汚す人間のことを毛嫌いしており、彼らの生息地には余程の事がない限りは近付こうとしません。


 海に出る人間――――漁師や海賊に遭遇することはありましたが、それも主にとなってからです。


 彼女はひたすら上に向かって泳ぎました。背負った死体はずっしりと重く、ひとりのときのように早くは動けません。


 ようやく彼女が海面に顔を出したとき、空は分厚い雲に覆われていました。月も星もまったく見えません。


 しかし、光源はありました。灯台です。真っ暗な海を照らすその光を辿っていくと、南東の方角に島を発見しました。大型船も停泊しているようです。


 彼女はその島の近くまでやってきました。


 ここまで来れば一安心です。背負っていた死体を岩礁に横たえ、そのあと自分も少し離れたところへ腰を下ろしました。彼女は計画外の重労働に心身ともに疲弊していました。


 それでも、もう二度と動くことのない仇敵を見つめながら思考を働かせ、次の一手を考えます。


 死体をこのままここへ転がしておけば、いずれ鳥たちが見つけて啄んでくれることでしょう。面倒な証拠隠滅作業は必要ありませんが、それでは時間が掛かります。なにより、そのような生ぬるい処理の仕方では、彼女は納得も満足もできませんでした。


 彼女は引き続き考えます。彼を痛めつける方法を。だって、復讐はまだ済んでいないのですから。


 思案に耽るうちに、お腹がすいてきました。思い返せば、朝食を食べたきり何も口にしていません。


 彼女は早速、近くの割れ目に張り付いていたマツバガイをいくつか強靭な爪で剥がしては殻から取り外し、並べていきます。


 すべて外し終えると、内臓も取り除いていないそのままの身を口に運び、久方ぶりの食事をじっくりと味わうのでした。


 そうして最後の一匹を噛み締めている最中に、ふと彼女は閃きます。「最適な隠し場所があるではないか」と。





 こうしてはいられません。すぐに準備に取り掛からなくては。


 彼女は、殺した人魚を捌く道具を必要としていました。


 かさばる死体をバラバラにしてから調理し、誰かに食べさせればいいと考えたのです。木を隠すのが森の中なら、肉は肉体に収めてしまえば良いのだ――――……と。


 岩礁を離れ、沿岸部を数十分ほど探索しましたが、これといった収穫はありませんでした。落ちていたのは不法投棄されたゴミばかりです。何の役にも立ちません。これだから人間は……と鼻を鳴らし、それ以上の作業を諦めました。


 計画を練り直すために死体の置き場所に戻る途中、彼女の目は、停泊中の大型船の上の人影を捉えました。


 体格の良い男です。彼は酔っているのか少しふらついていましたが、機嫌良く鼻歌を歌いながら舷梯を降りてくるではありませんか。


 新しい計画を立てる必要はなくなりました。一人の人間の登場により、このうえない妙案が浮かんできたのです。


 彼女は急いで桟橋に接近しました。そして、彼が桟橋に降り立つ頃を見計らい、歌を歌い始めます。


 すると、かろうじて正気を保っていた彼の目は今度こそ焦点を失い、夢見心地にとろけていきます。先ほどまでのただの泥酔状態とは明らかに違う様子です。


 彼ら人魚は魔性の歌声を備えており、その歌には聞く者を惑わせる力がありました。その歌声に魅了されたが最後、彼らの意のままに操られてしまうのです。


 そのうえ、ひとたび虜になってしまえば、歌声が止んでからも催眠状態がしばらく持続します。


 しかし、生きた人間が人魚に遭遇する機会などほとんどなく、その脅威は一部の船乗りのあいだにしか伝わっていません。


 この男も人魚の歌声の危険性については知らなかったのでしょう。彼は彼女の紡ぎ出す旋律に聞き惚れながらも、あたりをうかがっています。どうやら歌声の主を探しているようでした。


 彼女は歌を止めると、追い打ちのようにその耳に美声を流し込みます。


「こんばんは。突然だけど、あなたにお願いがあるの……」


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