釣り人はダンジョンで竿を振るう

第1話 プロローグ～オークの刺身は美味いらしい～

――釣りで金儲けがしたいなら、ダンジョンへ行け。

　この世界の常識だ。

　魚と戯れるだけなら、海や川に行けば良い。

　常識の範囲での危険はあるだろうが、基本的に安全な世界だ。自然に対して無茶をしなければ、安全は保障されている。

　「――糸を寄せろ！　クルス！」

　父に名前を呼ばれはっとした。

　返事をする余裕もない、手に持ったおよそ五メートルの長さの釣り竿に魔力を流し込む。

　竿先から魔力によって練られた魔力糸が洞窟（ダンジョン）に伸びていた。

　ダンジョン用の釣り竿――ロッドに魔力を流し込み、己の魔力によって生成された釣り糸が竿先から放出される。今なお糸は放出され、獲物が針に掛かったことにより俺はそれを引っ張り上げている最中だ。

　「今やってる！」

　釣りは釣りでも魚釣りと違い、手元には糸を巻く役割を持つリールはない。そもそも、対象としている生物の力に耐えられる器械はない。

　「――よし、大型のオークだ！」

　成人男性の三倍はあるだろうかと思われる巨体の輪郭が洞窟の暗闇から現れるにつれて、竿を持ったまま少しずつ出口から離れた。

　洞窟の外に巨体の正体であるオークが月明かりの下に姿を現した。

　「糸を切れ！」

　父の指示通り、魔力の糸を断線させた。

　「――かかれっ！」

　父の指揮に従い、周囲にいた叔父が大剣を叔母が長槍を構えてオークに飛び掛かった。母もすかさず魔法を詠唱し援護を行う。まだ12歳の妹は覚えたばかりの魔法で、叔父と叔母の武器に強化魔法を付与させた。

　僅かな知能を持ち武器という概念があるオークは右手の石の棒を振り回して応戦するが、ダンジョンに充満していた魔素の保護を受けられなくなった魔物は驚くほど弱体化する。

　ものの数分で、親族達の圧倒的な攻撃でオークは息絶えた。

　「よし、剥ぎ取れ」

　父の指示で、妹までもがオークの皮や肉、爪、内蔵まで解体する。ダンジョンにの大気中に含まれる高密度の魔力である魔素をたっぷりと吸った魔物だが、地上に出ると少しずつ力の源である魔素を失う。その為、俺のような釣人（アングラー）、魔物を狩り締めて解体する魔断士（エクスキューター）と呼ばれる職業の人間達がパーティを組みダンジョン攻略に挑む。これが――ダンジョン釣りというものだ。

　宝の調査や行方不明者の捜索を生業にする冒険者たちの出番は、俺達が全ての魔物を釣り上げた後になる。

　瞬く間に骨になったオークにはまだ使い道があり、叔父と叔母は新しい武器を造る為に骨も分解しているところだった。妹にいたっては新鮮なオークの刺身だ、と一切れ食べている。

　「クルス」

　突然、父から胸倉を掴まれた。

　「なんだよ……」

　「どうして、解体を手伝わないのだ！　俺達家族の生業はダンジョン釣りだ。もう何十年も身内からは犠牲者は出ていないが、パーティの輪を乱すような行為が命取りになる！　まさか、もう十五歳になったというのに魔物の解体が気持ち悪いと言うのか！」

　さすがの俺も我慢できなくなって言い返す。

　「そうだよ！　おかしいだろ、魔物のハラワタ漁るなんてさ！　もう嫌なんだよ、こんな血生臭い生活は！」

　薄暗闇の中で父のこめかみに青筋が浮かんでいるのが見えた。

　「家業を侮辱すれば、死んだ魔物の命も汚すことになる。お前の発言を俺は許すことはできん。……出ていけ、家業を馬鹿にするお前を家に置いておくことはできない！」

　投げられるように俺の体は地面に叩き付けられた。見上げた夜空の美しさが、もっと広い世界を見に行けと言っている気がした。

　「ああ、分かったよ！　言われなくても、そうするつもりさ！　じゃあな、魔物の餌にならないように気をつけろよ」

　長年積み重ねた感情を吐き出してさっさと歩き出した。

　ふと、背後で妹が「お兄ちゃん」と呼んだ。

　可愛がっていた妹の次の一言に期待を込めて振り返る。

　「オークの刺身、まだ残っているよ？」

　口元を血まみれにしながら咀嚼する妹が、ナイフの先に乗せた肉の切れ端を俺に差し出していた。

　絶句し、それから無我夢中で走り出した。