夕餉3

「……お客さんだよ」

 セトの下腹部から顔を上げた男は、顔色ひとつ変えずに告げる。セトはいつも無表情な青年だが、この時もシウを淡白な眼差しで捉えただけで落ち着いていた。事を促すセトに対して、男は拒んで立ち上がる。間近に見た男の服装は、袖口や裾にかけて広がるローブのようなものだった。

「ノア、もう行くのか」

「ショウネンが困ってるじゃないか。最後までは付き合えないよ」

「なら、彼に頼むまでさ。手伝いが好きみたいだから」

「物好きだな」

「冗談だよ」

 男はシウの脇を擦り抜け厨房を出る。廊下を表玄関のほうへ向かったようだったが、シウが確認した時には黒服の姿はなかった。服を整えたセトは、俯き加減に視線を寄越して言葉を待っている。それに漸く気付いたシウは、表にいる宿泊客のことを彼に伝えた。

「ああ、きっと四号室のお客さんだ。リースはまだ、あの客室で給仕しているんだろう。彼女に内線をかけて、トランクを持ってこさせよう」

 セトはフロントに行きかけ、なぜか廊下を戻ってきた。厨房の出入口で煙草をふかすシウに、「忘れていた」と耳打ちする。

「君のために、裏口の扉を開けておこう。深夜になったら、好きに使うといい」

「……なぜです?」

「バカンスに訪れた君の顔が、物足りなそうだから。遊ぶなら、深夜に限る」

「……ありがとう」

 去り際、セトの爪先が頸を突いた。痕をつけたのは、どうも彼らしい。再度フロントへ行く後ろ姿を見送りながら、今夜の相手はセトでも構わないのにとシウは思う。手伝えと言われたら、従うつもりだった。今夜は喉が潤せれば、それでいいのだ。

 シウは味気ない煙草を指に挟んだまま、自身もフロントへ向かった。玄関ポーチを窺うと、セトの背中越しに男のくどくどとした声がまだ聞こえてくる。つまり、彼の好みでもないのだろう。

 そこへ、階段を降りてきたリースと鉢合わせた。彼女は片手にコーヒーカップを載せたトレイ、もう一方にあの男の物と思われるスーツケースを握っている。面倒事を押しつけられるかと思いきや、怠惰な様子で重たげに唇を動かした。

「……悪いけど、トレイを厨房に返してくれない」

「ああ、……わかった」

 リースは持っていたトレイをシウに手渡す。ワンピースの片紐がずれ、日に焼けていない部分が露になっていた。給仕の意味を理解したシウは、それ以上何も訊かず、スタンド灰皿に煙草を押しつけた。

「癖者揃いだな、この宿は」

 コーヒーカップに、ブラウンの口紅が付着している。頼まれた通り、トレイを流し台に返したシウは一旦部屋に戻って休むことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る