深夜のバカンス

夏蜜

プロローグ

 くっきりとした夏の影が彼の足許をついて回る。何処までも白い外壁の続く路地裏を少年は目的もなく歩き回っていた。狭い石畳の階段は、上り始めは建物の陰にあったが、上へ行くほど強い日差しに晒されている。

 少年はちょうど階段の中腹を歩いていて、陰と日差しの半ばにある途中の踊り場で足を止めた。駆け上がってきた風が脇をすり抜ける。風の来た方角を振り返ると、絵画で目にするような紺碧の海が遥か眼下に広がっている。随分高い所まで上ってきたらしい。少年は海から運ばれる乾いた風を肌に受けながら、人々が遊泳するのを暫し眺めた。

 ビーチにいる大半は、夏の間だけ休暇に訪れた観光客たちだ。砂浜には、この街の景観とかけ離れた、カラフルなパラソルやデッキチェアが溢れている。ビーチ沿いの歩道にはこの時期だけ露店が立ち並び、観光客は知ってか知らずか、実際の売値とは大きくかけ離れた品物やサービスに毎年金を使う。

 その歩道を恰幅のよい男が歩くのが見えた。ヤシの木柄のシャツに同じ柄のハーフパンツという、至ってラフな出で立ちだ。柄自体は白く、生地が緑色をしている。朝ペンションで別れた父親の服装だと少年は気付く。見知らぬ細身の男と一緒にいて、何やら会話をしている。時折突き出た腹を抱えて笑い、並んで歩く男の肩も上下に揺れる。

 彼等の少し後ろを、兄弟と思われる二人が歩いていた。どちらも、この土地の者が着るのを避ける黒い服を纏っている。青年のほうは首から下をすっかり衣で隠しているのに対し、弟のほうはすらりとした手足を此れ見よがしに出した涼しい装いだ。彼は真っ直ぐ背筋を伸ばし、等間隔で兄へついてゆく。

 少年は、遠目に見ても所作が美しい、自分と歳が近そうな若者へ気が惹かれた。背景の海とよく馴染んだ健康的な素肌が太陽光に輝き、ネックレスでもしているのか、開襟のシャツから覗く胸許が一段と眩しく光っている。表情までは判らないが、恐らく気品のある顔立ちをしていることだろう。一つとして無駄のない動きが少年にそう思わせた。

 彼は一体、誰だろう。その疑問を耳にしたかの如く、歩道を行く足が止まった。まさか視線が合うとは思わなかったと、少年は思う。実際には、別の物を見ているのかもしれない。とても長い時間に感じられたが、束の間の出来事に違いなかった。

 若者は再び顔を正面に戻し、少し速度を速めて兄へ追いつく。やがて兄弟は露店のテントへ遮られて見えなくなる。少年は二人を見失ってもなお、歩道を行き交う人々を興味もなく眺め続けた。

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