人外と人間の(非)日常

十余一

一 狐と通りすがりの一般人

「先輩、化け狐の噂知ってます?」

「化け狐?」


 昼休み、後輩の唐突な問いかけに対して思わずオウム返ししてしまった。


「駅のすぐ近くに小さな森があるじゃないですか。あそこ、出るらしいんですよ……」


 おどろおどろしい雰囲気の神社、迷い込んだ酔っ払い、真っ黒な衣をはためかせ襲い掛かる化け狐……。不気味さを強調して話す後輩に俺は冷めた視線を向ける。


「きっと化け狐が着てる衣って、通行人を襲って剥いだものですよ! 恐ろしい~」

「馬鹿々々しい。どうせ、ただの見間違いか何かだろ」

「でもでも、昔は雪女や天狗だって伝承だったのに、今では普通に隣人として共存しているわけだし。もしかしたら狐と隣人になる未来が訪れたりして? 案外もふもふで可愛いかもですよ!」


 ワクワクしている後輩を無視して、空の弁当箱を新調したばかりの風呂敷で包む。そろそろ仕事に戻らねば。



 人類はその歴史の中で自然を超克してきた。山林を切り開いて支配し、照明を用いて夜を克服する。未踏未知は減り、そこに存在すると信じられてきた魑魅魍魎は科学で解き明かされていった。畏敬の念は薄れ、恐れ崇められていた存在は隣人に成り下がる。

 こうして人間は全てを知った気になっているが、実はそうでもないのかもしれない。



 仕事帰り、幾重にも連なるこじんまりとした鳥居を十歩足らずで潜り抜ける。朱丹は所々剥がれ落ち寄贈者の名前も読めず、根元が腐り今にも倒れそうなものまである。だがそれも今となっては見慣れたものだ。境内は拓けているが木々に阻まれ街の光は薄らとしか届かない。いつも通り枯れた手水処の横を通りぬけ拝殿の縁に腰掛ける。


 暫くすると、器用に二本の足で歩く狐が欠けた湯飲みを持ってやってきた。中身は雨水だろう。受け取って飲むフリをしながら、団子を注文する。狐はお辞儀をして裏へ引っ込み、やがて葉の上に乗った少し歪な泥団子を運んできた。ご丁寧に楊枝も添えてある。

 ここは茶屋、なのだと思う。本人、いや本狐としては上手に化かしているつもりなのだろう。紺の前掛けを軽く揺らし、目を細め尻尾を左右に振る姿は上機嫌に見えた。

 しかしこの辺りは既に再開発が決まっているから、もうじきこの場所には居られなくなってしまう。人間のエゴで棲み処を追われてしまうのを不憫に思い、せめてもの慰みになればと今日も騙されたフリをするのだ。


「すまないが持ち合わせが無いんだ。これで勘弁してはくれないか」


 そう言って稲荷寿司を差し出すのが恒例になっている。ちなみに初めて来たときは、弁当箱に鼻先を寄せて興味をしめした狐に、包みの風呂敷を差し出した。それが今は前掛けとして活用されているわけだ。閑話休題。

 稲荷寿司を受け取った狐は満足そうに笑みを浮かべた。案外もふもふで可愛いかもという後輩の言葉が頭をよぎり、思わず撫でたい衝動に駆られるが我慢する。給仕を撫でる客など居ていいはずがない。



 そうして何度か通っているうちに、とうとう神社を含む駅前の土地は工事用の壁に囲われてしまった。神社は取り壊されてしまったのか、はたまた移設されたのかはわからない。狐も行方知れずだ。


「先輩、最近元気ないですね~。何かありました?」

「別に何もないよ」

「そうですかぁ。 あ、そういえば工事現場の噂聞きました? 今度は狐の祟りらしいですよ!」


 後輩は相変わらずそんなことを言っている。本物の狐は全然恐ろしくもないし人を襲ったり祟ったりしない。わざわざ口に出す気にもならないが。

 最後まで面倒をみる気もないくせに中途半端に餌付けしてしまった後ろめたさが無いと言えば嘘になる。もっとちゃんと、どこか新しい棲み処になるような森か神社を探してやればよかったか。今更後悔したところで最早何もかも遅かった。




 事態が急展開したのは数日後のこと。山の幸を土産に狐が転がり込んできたのだ。こういうのは普通、恩返しとして玄関先に置いておくものじゃないのか。拒まれるとは微塵も考えていないような面持ちで狐は佇んでいる。


「今ちょうど昼食を作っていたんだ。きつねうどんなんだけど……、食べる?」


 戸惑いつつ持ち掛けた提案に、狐はコン!と元気よく返事する。この可愛い毛玉を前にして門前払いする強い意思など、俺は持ち合わせていなかった。

 麺を茹でている間にとりあえず茶でも煎れようと二人分のマグカップを用意していると、狐が見慣れた湯飲みを差し出してきた。茶屋で使っていた、あの欠けた湯飲みだ。これに茶を煎れてほしいということだろう。余程大切なものなのだろうか。その思い出話も聞いてみたいから、今度茶請けに本物の団子でも買ってゆっくりと語らいたい。隣人どころか同居人となってしまったもふもふの狐を眺めながらそう思った。

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