エピソード1 訴える少年

第1話

 引きこもりの少年――佐野洋平の自宅は、普通の一軒家だった。同じ区画に似たような一軒家が立ち並んでいることから、土地を再開発して住宅地を揃えた結果のようだ。

 一緒に来ていたスクールカウンセラーの加藤がチャイムを押す。横にはスーツ姿の恋鐘が立ち、二人の少し後ろでは緑栄がそわそわしながら様子を眺めていた。

 恋鐘が行う仮想認知療法は、クライエントにVR映像を体験してもらうことで心の治療や思考矯正を図る。必要なのはクライエントに合わせた映像内容と方針、そして実際に映像を作ることだ。

 前者は心理士資格を持つ恋鐘が、実際にクライエントと面談を行うことで決めている。緑栄は主に後者の人員として採用されているため、面談に付きそう必要はない。ただ、実際に目で見たほうが理解しやすいし興味も湧くだろう、という恋鐘の判断で二人についてきていた。

 聞いているだけでいいとは言われているが、正直どういう顔で居ればいいのかわからず、緑栄は無駄に緊張していた。


「本日はどうぞよろしくお願い致します」


 玄関のドアが開き、三人を出迎えたのは四十代ほどの女性だった。


「佐野さん、本日はご自宅での面談をお許しいただきありがとうございます。こちら仮想認知療法を専門とする龍造寺恋鐘りゅうぞうじこがねさん。恋鐘さん、依頼主の佐野さんです」

「はじめまして。龍造寺と申します。本日はよろしくお願い致します」


 恋鐘が自己紹介する。玄関口に立つスーツ姿の女性は、疲弊と心配を混ぜた顔で頭を下げた。


「ちょうどいま新人研修中でして。恐れ入りますが同行を許可いただけますでしょうか」

「えっ。その人も、洋平と面談するのでしょうか?」


 佐野母は緑栄の方をチラ見しながら神経質そうに聞く。恋鐘は穏やかに首を振った。


「彼はアシスタントです。面談は私だけで行いますからご安心を」

「はぁ……そうですか」


 どこか納得していなさそうながらも佐野母は頷き、玄関を更に開けて三人を招く。


「早速ですが、洋平君との面談を始めます。彼はどちらに?」


 廊下に上がった恋鐘は矢継ぎ早に聞いた。


「はい、に、二階の自室に。お約束通り扉越しでも構いませんか?」

「それで結構です。会いたくないのであれば無理をする必要はありませんから」


 優しく告げた恋鐘に対し、佐野母は恐縮した様子で先導する。「こちらです」

 そうして二人は二階の廊下を上がっていった。

 残された緑栄と洋子が玄関口で待っていると、佐野母だけが戻ってくる。「終わるまでこちらでお待ちください」と、玄関からすぐの客室に通された。

 よく清掃の行き届いた部屋で緑栄と洋子はソファーに腰を下ろす。佐野母がお茶を用意するために奥へ消えると、緑栄は開口一番に聞いた。


「あの、大丈夫なんでしょうか?」

「ドア越しでの面談について?」


 はっきりとは言わなかったが、加藤にはちゃんと伝わっていたようだ。

 ドア越しなんて、普通の会話の方法じゃない。それで面談の体になるのかと疑問だった。


「学校に行けなくなってしまった子達とはね、私もよくドア越しに話しかけたりするの。あの子達にとって他人ていうのは、会うだけでも自分を傷つけられるようなものなのよ。出てきて話そう、なんて無理強いはできない」


 加藤が微苦笑する。横から見ていると、笑い皺だけではない苦労の跡も刻まれているようだった。

 客用の飲み物を盆に乗せた佐野母が台所から戻ってくる。

 と、同時に、廊下側のドアも開いた。

 そこには、さっき二階に上がっていったばかりの恋鐘の姿があった。


「洋平君は話をしたくない様子でした。今日のところはお暇しますので、またの機会を設けさせてください」

「えっ、あ、あの」


 佐野母は盆をテーブルに置いてわたわたと手を振る。


「そんな、今日は諦めるんですか? 洋平を見捨てるんですか?」

「落ち着いて、佐野さん。私のときと同じですよ」


 加藤が咄嗟に立ち上がり、恋鐘と佐野母の間に割って入る。


「相手が乗り気じゃないのに居座っても関係が悪化するだけです。ちょっとずつ声をかけて、敵意を持っていないことを示すことが大事なんです。私だってそれで洋平くんと少しずつおしゃべりできるようになったじゃないですか」

「で、でも……だったら加藤さんがお話してくださればいいんじゃ」

「私はカウンセラーの資格はありますけど、仮想認知療法の専門家ではないんです。彼女に任せましょう。大丈夫、前にもお伝えした通り恋鐘さんならきっと洋平くんを救ってくれます」


 加藤はといえば、まるで恋鐘の行動を予測済みだったかのように落ち着き払い、動揺するばかりの佐野母をなだめていた。

「早く洋平に治って欲しいんです」などと心情を吐き出していた佐野母だったが、次第に落ち着いてきたようで、最後には頷いていた。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。ですが、私が投げ出すことは絶対にありません。まずは彼と少しずつ距離を詰めて、話ができるように努めます。再度お伺いいたしますので、都合の良い日時を教えていただけますか?」


 恋鐘の話し方は事務的ではあったが、機械的な声ではなかった。

 佐野母はため息を吐くと、スマホを取り出して予定を確認し始める。


「私が居る日だと……来週の火曜、は大丈夫です」

「今週末の土日はいかがですか? 佐野さんもお仕事をされていらっしゃるようですし、お休みのときのほうがよろしいのでは。私でしたらお気になさらず」

「えっ……い、いえ。休みは主人が家にいますから。あの、バタバタするのは迷惑がかかるので、ちょっと」


 なぜかしどろもどろになった佐野母は「火曜でお願いします」と告げる。恋鐘は双眸を細めたが、すぐにこやかに笑いながら「わかりました」と頷いた。

 

「では、また火曜日にお伺いいたします。お邪魔いたしました」


 丁寧に頭を下げた恋鐘が玄関へ向かう。加藤がそれに続く。呆気にとられていた緑栄は我に帰り、二人を追った。

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