006 決闘の儀

「お待ちくださいベリム様!」


 慌ててベリムとラスタの間に割って入るカスペン。


「ベリム様はしきたりなどどうでもいいとおっしゃいますが、『やろう』と言った以上同意とみなされ、これだけ多くの人の目があれば儀式として十分成立致します!」


 いつの間にか中庭には騒ぎを聞きつけた兵士や使用人たちが集まっていた。流石にこれだけの人数がいると、決闘の勝敗は瞬く間に人々の間に広がっていくだろう。


「敗北した時には、爵位が正式にラスタ様のものになるとご理解していますか?」


「ああ、理解している。あんな奴に負けるわけはないが、だからこそ万が一のリスクは大きくないと俺の夢の前に立ちはだかる壁にはならない。せいぜい、道端の小石だろう」


「むぅ……わかりました。審判はわたくしが務めます。ジャッジは公正に下しますので、そのつもりでお願いします」


「フッ、当然だ」


 ラスタとベリムは一旦距離を取る。そして、その間に審判であるカスペンが立つ。


「これよりシルバーナ侯爵家の次期当主およびシルバーナ領の次期領主を決定すべく、決闘の儀を執り行う!」


「待った! おい、ラスタ……素手で戦うつもりか? 丸腰の相手に勝っても不名誉などころか侮辱だ! そこの兵士、剣をラスタに渡せ!」


「えっ……ハ、ハッ! ベリム様!」


 指名された兵士はあわただしく剣を抜き、恐る恐るラスタに渡す。


「ありがとう」


 ラスタは受け取った剣を軽く何度か降る。やはり貴族であるベリムの剣と比べて質は数段劣るが、アイゼンとの修行で使われていた剣よりは立派だ。十分頼れる武器となるだろう。


「気遣い感謝するよベリム」


「ふん、剣の持ち方くらいは知ってるようだな」


 2人は剣を構える。後は開始の合図を待つのみだ。


「勝利条件は先ほども話した通り! 相手に敗北を認めさせるか、相手を戦闘不能に追い込むか! だが、無益な殺生はここに禁ずる! 勝負がつき次第、それ以上の追撃も禁ずる!」


 武力と暴力は似ているようで違うというのが、シルバーナ家古来からの教えだ。負けを認める、すでに戦う力を失っている、そういった相手に攻撃を続けても、それは強いことの証明にはならない。


 だが、権力の座をかけた真剣勝負において、そんな綺麗事ばかりが通って来たかといえば……そうではない。


「では……………………始めッ!」


 カスペンの開始の合図。

 シルバーナ城の中庭、刈り揃えられた芝生の上で、領地の明日を左右する戦いが始まった。


「シルバーナ流の剣術を見せてやる!」


 ベリムはラスタとの距離を一気に詰める。攻めに攻め、相手に息をつかせる隙も与えず、圧倒的な力の差を思い知らせるのが侯爵家の剣術。


 あまり真面目に剣術の指南を受けていなかったベリムだが、彼には剣術の才能があった。世の中はあまりにも不公平だ。彼が持って生まれたものは、侯爵家の血筋だけではなかったのだ。


「たらたらしてると死ぬぜ!」


 最初の一太刀をラスタに浴びせようとするベリム。しかし、彼の剣は肉を捉える前にラスタの剣によって弾かれ、遥か後方に飛んでいった。


 何が起こったのか理解できず、目を白黒させるベリム。決闘を見守る人々もそれは同じだった。


 しかし、ただ1人……。カスペンだけはすべてを理解していた。


「あれはシルバーナ騎士団の剣術……! 迫りくる敵を一撃で制圧する守りの剣……!」


 10年近い年月をアイゼンと過ごしたのだ。受けた教えは鋼化や体術だけじゃない。武器を扱うことだって学んでいる。


 ラスタには飛びぬけた才能はないかもしれない。だが、素直に人の言葉を聞ける純粋さがあった。アイゼンの指導のすべては、ラスタの体に染みついている。


「さあ、これで……」


 丸腰になったベリムの喉に剣を突きつけ、降参を迫ろうとした瞬間、ラスタの剣を握る右手が突然重くなった。その勢いで剣は地面に押し付けられ、刃が土に深く刺さる。


「くっ……そぉ……! 今日はずっと軽かったのに……!」


 こんな言葉を人生で何度吐いたかわからない。ここ一番という場面でも関係なく、呪いはラスタの体をむしばみ続ける。


「は……ははは……! 汚らわしい呪いの子のくせに調子に乗りやがって!」


 一瞬、敗北が頭によぎったベリムは激昂げっこうする。そして、右手の重さのせいで前かがみになっていたラスタの顎を蹴り上げた。だが、鋼化している体を蹴っても痛いのはベリムの方だ。


「ッッッ……!? 痛てえぇぇぇっ!! こ、この野郎! どこまでも忌々しい……! その硬さと重さでお母様を殺しておいて……! 俺が殺してやる……!」


 頭に血が昇ったベリムは決闘を見守っていた1人の兵士からメイスを奪い取る。棒の先端に尖った重りが付いた打撃武器は、大きく振って遠心力を乗せることで圧倒的な威力と破壊力を生む。


「砕け散れ!! 鋼なら鋼らしくな!!」


 重みが全身に広がっていたラスタにこれを回避する手段はない。頭にメイスの直撃を受けたラスタは、重みのせいで吹っ飛ぶことも出来ず、衝撃をすべて頭で受けることになった。


 最初の1撃、2撃は完全鋼化が上手く決まり、当たった感覚だけで痛みはなかった。しかし、3撃、4撃と回を追うごとに鋼化は曖昧になり、徐々に皮膚が裂けて血が飛び散り始める。


 もはや観衆も悲鳴を上げている。男も女も老いも若きも関係なく、メイスが当たるたびに自然と声が出る。


 そんな中、口を真一文字に結び声を発していないのは審判であるカスペン。そして、クロエだけだった。


「砕けろ……ッ! 砕けろ……ッ! くだ……!」


 ベリムの手からメイスがすっぽ抜ける。幸い人のいるところには飛んでいかなかったが、これで彼の握力も限界であることがわかった。


 ラスタは未だに動けない。ベリムは流石にクールダウンし、呼吸を落ち着けつつメイスを拾いに行く。


「だが、まあ……いい感じの障害になったよ。俺はいい汗かいてるぜ……。これが終わったら清々しく領主になれそうだ……!」


 メイスを杖の代わりにして一服するベリム。


 一方ラスタは、これまでにない重さを感じていた。地面にうずくまり、石のように固まっているしかない。もはや立ち上がることも不可能。剣も握れない。


 このままではさらにメイスで殴打されて命を落とすか、良くても気絶で敗北だろう。ラスタの心は砕けかけていた。


 やはり修行は無意味だったのか……。呪いを制御するなど聞いたことがない。そんなことができるなら、とっくに呪いは差別の対象から外れているだろう。


 それにしても理不尽だ……。呪いがなければ、あのまま勝っていた。ラスタとベリムの実力差は明らかだった。それが呪い1つで負ける。


 これが夢の差なのだろうか……。ベリムの夢の話を馬鹿馬鹿しいと感じていたラスタだが、自分は領主になるなんて夢にも思わなかった。


 人に……アイゼンに言われてやろうと思ったに過ぎない……。それは打ち鍛えられた鋼ではなく、簡単に折れてしまう付け焼刃の夢。最初から勝負はついていたのかもしれない……。


 それでも、心が砕けかけていても、ラスタの鍛えた体は上を向こうとする。重い頭を上げて、ベリムをにらみつける。


「ただ、俺が本当の領主になるのは3日後のお父様の葬儀の後なんだよなぁ。それまではまだ次期領主でしかない。だから、領民から巻き上げた金ではなく、自分の金を使ってこの決闘の祝勝会を開こう……。ちょうど臨時収入も入ったことだしな……」


 ベリムはそう言って、懐から灰色の巾着袋を取り出した。


 中には硬いものが入っているのか、表面がデコボコしている。ところどころ汚れも目立ってお世辞にも綺麗とは言えないが、大事に使われているようで穴は開いていない。


 それを見た瞬間、歯を食いしばって耐えていたクロエが初めて悲鳴を上げた。


「……って、こんな金貨がどっさり入った袋を持ったままだから、動きが鈍かったんだな。万全の状態なら俺がラスタごときに一本取られるわけがない!」


 灰色の巾着袋をそこらへんに投げ捨てるベリム。


「お前ら、盗るなよ! 俺が貰ったものだからな!」


 観衆はサッと巾着袋から離れる。もはやベリムの勝利は確定的。これから領地を支配する者の機嫌はそこねられない。


「さて、これから1セットの素振りで終わりにしてくれよ、ラスタ……!」


「ああ、終わりにしよう」


 ラスタは立ち上がった。


 胸を流れる溶けた鋼のようなドロドロとした怒り。硬い体を殻のように破って目覚める使命感。どれも今までに感じたことがない強い感情。


「師範……あなたはいつも正しかった」


 自分のことを理解してくれる人たちとの平穏な生活。それがラスタの夢だった。


 その夢を叶えるためには、これまで通り貧民街の片隅でうずくまってるわけにはいかない。この領地が、領主が、貴族が、腐っていなかったらアイゼンの命は奪われなかったかもしれない。


 平穏に暮らす事とは、厄介事や面倒事から目を逸らして生きることじゃない。平穏とは程遠い戦いを乗り越えて勝ち取るものなんだ。


 そうでなければ、奪われはしないと思っていたほんの小さな幸せすらも、すべて奪われてしまう。


 もうこれ以上、何も奪わせない。そのためにラスタ・シルバーナは領主となる。


「お、お前……なんだそのアザは……!?」


 ラスタの体全体に濁った灰色のアザが広がっていく。人々はそれを恐れ、ラスタから我先にと遠ざかっていく。


 だが、アザは全身を覆いつくした後、徐々に消えていった。そして、新たなアザが浮かび上がる。


「これは俺が呪いを完全に支配した証だ」


 両手の甲に浮かび上がる幾何学きかがく的な模様。それは白銀の光を放ち、腕の方へと光の線を伸ばしていく。


 アイゼンは呪いを制御する方法を知っていたわけじゃない。呪いを制御できた前例を知っていたわけでもない。ただ、諦めずに戦い続けることをラスタに教えた。


 気休めの嘘を信じ込ませているだけ……そういった葛藤もアイゼンにはあっただろう。それでも諦めず積み重ねた修行の日々。それが無駄ではなかったと証明される時がきた。

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