004 シルバーナの小城へ

 ラスタは涙をぬぐって立ち上がる。


「クロエ、行くぞ」


「はい……!」


 未だに涙が止まらないクロエだが、彼女もまたアイゼンから多くのことを学んだ1人だ。このまま泣き崩れて終わることはない。


 まだ8歳という幼さで優れた頭脳を持っており、座学においてはラスタの遥か上をいく。アイゼンにも『もう教えることがない』と言わしめた人物だ。


 ラスタとクロエの出会いは6年ほど前にさかのぼる。2歳にしてすでに両親がいないという貧民街では珍しくない境遇だったクロエは、ラスタが住んでいる物置のような家に入り込んで勝手に物を食べていた。


 その頃はラスタも城の世話係から定期的に食べ物を貰い生かされている立場だったので、食料は最低限しかない。誰かに分け与えられるような状況ではなかった。


 だが、ラスタはクロエを見捨てることができず、食べ物を与え続けた。結果、クロエはラスタになつき、道場にもついてくるようになった。そこで言葉や読み書きを教わると……彼女は急激に賢くなった。


 片言だった言葉は語彙ごいも増え流暢りゅうちょうになり、読み書きはラスタ以上に得意になった。さらに数字にも強く、計算だってお手の物。


 クロエはその才能を生かし貧民街の人々の生活を支え、その見返りに少しずつお駄賃を貰う。そうして貯めたお金で、今度はクロエがラスタに食べ物を買い与え始めた。


 しばらく前から、おそらくは職務怠慢しょくむたいまんで城からの世話係は来なくなっているため、ラスタはクロエに食わせてもらっている状態だ。


 歳の差なんて関係なく、ラスタにとってクロエはアイゼンと同じくらい信用でき、尊敬している数少ない味方だった。


「皆さん、師範のこと……お願いします」


 ラスタは道場に群がっている貧民街の人々に頭を下げた。自分はこれからシルバーナの小城へ向かわなければならない。それも、なるべく早く……。


 アイゼンはラスタと違い貧民街の人々に好かれていた。だから、彼らに後のことを任せても問題はない。


 人々はラスタの言葉にうなずくとともに、彼のことを心配する素振りを見せる。ラスタがこの街へ来てから10年近く……。その間、なんの悪事も働かず、誰にも文句を言わずに暮らしてきた少年を恨み続けられる者などそうはいない。


 貴族の子だから、呪いの子だから、積極的に関わろうとはしなくとも、人々の心の中にはラスタに対する信頼が芽生えつつあった。


 ラスタは自分たちと同じく……いや、自分たち以上に理不尽な理由でここへやって来た。そんな彼が亡き恩人の想いを背負って、領地と領民の未来のために戦おうというのだ。今こそ、素直な気持ちで送り出さねばならない――。


「頑張れ、ラスタ!」

「負けて戻ってくんなよ!」

「アイゼンさんのことは任せておけ!」


「……はい! ありがとうございます。行ってきます!」


 人々の言葉を背中に受け、ラスタたちはシルバーナの小城こじょうに急ぐ。


 地形的に領都の中心、しかも高台にあるシルバーナの小城は、領都のどこにいてもその姿を見ることができる。だから、そこへ向かうのに迷うなんてことはない。


 領主の住む城なのだから、当然シルバーナ領で最も立派な建物なのだが、それでも小さな城と呼ばれているのにはわけがある。


 というのも、シルバーナの小城は王都にあるリオハルコン大王城を真似まねて作られている。真似た理由は王族への憧れらしいが、完璧に王族の住む城を再現しまうと、それはそれで王への侮辱と受け取られかねない。


 なので、そこはかとなく似せつつ、土地や予算に合わせてスケールを縮小した結果、生まれたのがシルバーナの小城。大王城を小さくしたものだから小城なのだ。


 領民からはそういった経緯から馬鹿にされがちな城だが、スケールダウンの際に無駄をそぎ落としているため住み心地は良い。


 必要なものを必要な位置に詰め込んでいるため、無駄に長い廊下を移動する必要もなく、著名な建築家も『シルバーナ城には荘厳な美しさはないが機能美がある』と言うほどだ。


 だが、そんな城も住む者たちが堕落してれば輝きを失う。


 城へ入るには領都を流れる川の上にかかった跳ね橋を渡る必要があるのだが、橋を上げるための鎖が片方ちぎれており、もはやただの橋になっている。


 城壁もよく見ると汚れが目立ち、仕事はしているが手を抜いているさまがありありと感じ取れる。


 そして、そんな城の門番をやっている兵士からは、やはりやる気が感じられない。2人の門番は橋を渡って城内に入ろうとするラスタたちの前に気だるそうに立ちはだかり、話しかけてきた。


「はいはい、止まってねー。今日はほら……えっと、我らが領主様がお亡くなりになられて、城内は立て込んでるのさ。よっぽどの用事じゃないなら帰った方が身のためだぞ」


「まあ、平民はいつでも基本的に入れるなって言われてるんだけどな、へへっ!」


 痩せ気味の男と太り気味の男、2人の門番に悪意はないとラスタは思った。彼らは平民を差別しているのではなく、ただ忠実に上の命令に従っているだけなのだ。


「ラスタ・シルバーナが来ました。通してください」


 ラスタは懐からシルバーナ家のエンブレムを取り出す。特殊な加工により模造品が作れないとされ、侯爵家の人間にのみ与えられるとても貴重な品だ。


 しかし、貴重すぎて2人の門番はそれが何を意味するのか、あまりわかっていない様子だった。ちゃんと教えておいてほしいなぁ……とラスタは思った。


「……ふーん、これはシルバーナ家の紋章だな。しかも、かなりすごい物っぽいぞ」


「ただの平民が持ってるとは思えないし、関係者かなぁ?」


「おい、君の名前は?」


「あ……だから、ラスタ・シルバーナです。パルクス・シルバーナ侯爵の息子で五男です」


「ふむふむ、ラスタ……五男の? あっ!? あの呪いの子か!」


「すごいっ! 僕、初めて見たよ!」


 なぜか盛り上がる2人。白い目で見られるばかりだったラスタにとっては、そんなに気分の悪い反応ではない。


「どうぞどうぞお通りください! 俺らに侯爵様のご子息を止める権利ないんで!」


「侯爵様に僕らがちゃんと仕事してたって伝えてください! ……って、亡くなったんだった!」


 彼らで門番が務まるなら、城内の人間は一体どうなっているのか……。ラスタたちは不安を感じつつ跳ね橋を渡って城門をくぐり、シルバーナの小城へ足を踏み入れた。


「……ん? ラスタ様の他にもう1人子どもが入っていかなかったか?」


「まあ、いいんじゃない? 子どもくらいさ!」


「そうだな。不審者だったら城内の警備兵がつまみ出すよな」


「でも、今日は仕事したねぇ~」


「ああ! ボーナスでも出ればいいんだがな!」


 2人は他愛のない会話をしながら門番を続ける。

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