バイト 編

 制服に着替え、タイムカードを押す。事務所を出て、ざっと店内を見渡す。時刻は午後五時。平日のディナータイム前、割と閑散とする時間帯のハズが、今日に限っては子連れの主婦達で賑わっている。どうやら、嵐の前の静けさを味わう事はできなさそうだ。


 話に夢中になっている大人達の横で、子供たちはすでに飽きている。ブリーダー達の顔を見れば、放し飼いタイプである事は一目瞭然だった。


 そろそろ店内を走り回る頃。キッズの動きは予測がし辛い……茂は苦虫を噛み潰したような顔で、配置についた。



 店内にチャイムの音が響き渡る。7番の電光掲示板が光った。子連れの主婦二組が陣取るテーブルだ。茂は注文を取りに向かった。


 近所の噂話で盛り上がっていた主婦二人だったが、背中を向けたまま近づいて来る茂に気付くと、二度見して固まった。子供たちも、ヌッと後ろ歩きで現れた茂に動揺の色を隠せない様子だ。


「ご注文をお伺いします」


 え、えっと……。先程までとは打って変わって、しおらしくなった主婦二人は、粛々と注文を伝える。


「サラダのドレッシングは、和風でよろしいでしょうか?」


 はい、それでお願いします。とにかく刺激してはマズい。二人は目配せして、この注文タイムを穏便かつ早々に切り上げようと心掛けた。


「メニューをお下げします」


 注文を繰り返し終え、茂はシンッと静まり返ったテーブルを背に――ではなく、視界に捉えながら、ゆっくりと厨房へ戻った。



 新規の客が来店する度に、ガソリンスタンドの店員が車の誘導をするように、向かい合った格好で座席へと通す。仕事自体は、客側が困惑するだけで、茂としては順調に進んだが、好事魔多し。完成した料理を運ぶ際、事件は起きた。


 後ろ歩きする茂の進路にキッズ割り込んだのである。キッズは所定の場所に居続けるとは限らない。分かっていた事なのに。本来であれば、華麗なステップで躱すところだが、今日は後ろ歩き一日目。さしもの茂も反応が遅れた。


「あぁーっ!」


 素っ頓狂な声を上げて、そっくり返る。左手の三枚、右手の一枚、計四枚の皿が宙に舞い、程なくして、けたたましく砕け散った。


 水を打ったように静まり返る店内にキッズの泣き声が響くと、平田の平謝りが始まった。


 背中をしこたま床に打ち付けた茂は、バイト中もリュックが必要だな、と思った。

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