最終話 鴉と……

 

 それから、1年が過ぎた。


 ラークは一人、人混みの中を歩いていた。

 祝日でもないのに、王都の目貫通りは楽しげな人々が大勢行き交っている。目貫通りに繋がる広場に差し掛かると、様々な屋台が目に入った。

 広場には、常時食べ物の屋台が出ている。

 ラークは手のひら大の焼き菓子を売っている店を見つけると、一瞬悩んで、やはり買うことにした。


 広場を交点として、目貫通りと交差する街道を東に3ブロックほど進む。この界隈はどこも3階建ての建物が連なっており、1階部分は何某かの店舗が入っている。

 左手に、昼間から人で賑わう食堂が見えた。

 ラークは迷わず、その食堂に向かった。


 食堂には入らず、店舗の左手にある階段を登る。随分と急な階段だ。この辺りの建物は、狭い敷地に密集して建てられているために、どこもこんな有様だ。

 階段は真っ直ぐ3階まで伸びており、2階の踊り場に上がれば、すぐ右側に古い扉が付いている。その扉には、あまりにも控えめな看板が付けられていた。


 ギィと扉が軋む音を響かせて、ラークは扉を開けた。




「ああ、ラークか」


 入って正面にあるデスクの上に長い脚を乗せ、煙草を燻らせている男が声を上げた。

 その姿は、1年前と何も変わらない。

 いや、小綺麗になって美男子度が増しただろうか。

 世の中は不平等だ、とラークは思った。


「クロウさん、毎回言いますけど、もっと目立つようにした方が良いんじゃないですか。お客さん入らないでしょうこれじゃ」


 モーガンのデスクの前には、2脚のソファーが向かい合って置かれており、間には小さなテーブルが置かれている。

 ラークは慣れた様子で、屋台で買ってきた焼き菓子をテーブルに下ろし、ソファーに腰かけた。


「いいんだよ。あんまり仕事が増えちゃ困るからな。それに、お前から回ってくる仕事で手一杯なんだよこっちは」

「そうなんですか? その割に、何だか暇そうですけど」


 ラークのふてぶてしい様子に、モーガンは鼻に皺を寄せた。


「まったく、なんでお前まで王都本部に配属になるんだよ。煩い奴がこんな近くに居られたら敵わない」

「またまたー。本当は嬉しいくせに。さあ、可愛い後輩の為にそれ早く消してくださいよ」


 あからさまに煙たいという様子で手で仰ぐラークに、モーガンは仕方なく煙草の火を消した。

 警察を辞めてから、余計に厚かましい奴になったとモーガンは愚痴る。しかしラークはどこ吹く風で、まったく気にしていないようだった。



 ガチャリ、と音がして、再度入口の扉が開いた。


「あ! ラークさんいらしてたんですね! こんにちは!」


 入ってきたのは、マリーだった。大きな荷物を抱えている。どうやら買い物帰りのようだ。


「すみません! 今すぐお茶入れますね!」

「いいよいいよ! そんな気使わないで! あ、さっき広場で焼き菓子を買ってきたよ。後で食べてね」


 パタパタと部屋の奥に行きお茶の準備をするマリーに、ラークは焼き菓子の袋を見せた。

 モーガンはデスクから脚を下ろして、気だるげな動作でマリーが買ってきた荷物を一気に持ち上げ部屋の奥に運んでいく。

 そのあまりにも自然な動作に、二人はうまくやっているのだと実感する。ラークは思わず笑顔が溢れた。


「仲良くやってるんですね。でもまさか、クロウさんが警察を辞めて探偵事務所を開くなんて、夢にも思わなかったですよ」


 ラークは笑いながら、そう言った。







 1年前。

 モーガンはオックス署長に、警察を辞職する意志を伝えた。


 警察に入って15年。

 モーガンが刑事になった経緯が特殊であるために、ずっと現状に甘んじていた。仮に辞めるとすれば、何らかの反発があることは目に見えていたから。

 けれど、15年だ。そう短い時間ではない。

 刑事としての職務は十分に果たしたと説明しても、許される年数ではないだろうか。

 元々が体を使う仕事な為に、そう長く続けられるものではない。他の刑事たちも、50になる前に辞めることがほとんだ。モーガンなら、あと10年は働くことは出来ただろう。

 けれど、だからと言って本当に、その歳まで刑事で居なければいけないだろうか。


 本当は、ずっと前からあった考えなのだ。

 刑事歴が10年を超えた頃から、「もういいだろう」という思いが頭を掠めることが多々あった。けれど、警察を辞めてまでやりたいことがある訳でもなし、また辞める時の騒動を想像して、踏ん切りが付かなかっただけなのだ。

 自身の境遇を「首輪で繋がれたようなものだ」と嘆きながら、実際はそれを外せるのにそうしなかっただけ。

 刑事に成り立てならいざ知らず、15年勤めた今ならば、きっと世論を説得するのに事足りるだろうから。




 マリーが「王都に行って一からやり直したい」と言った時、モーガンは思った。

 今だ、と。

 首輪を外すなら、きっと今なんだと。



 かつてモーガンは、「マリーのことが好きなわけではない」とラークに言った。

 けれどそれは嘘だ。

 そう思おうとしていただけ。

 刑事が被害者に想いを寄せることほど、悪趣味なことはないとモーガンは思っていた。弱みに付け込み、自分こそが相手を支えられる人間だと刷り込むことが出来るだろうから。

 理性ではそう思っても、感情ではどうにもならなかった。



 モーガンは、マリーが好きだった。

 きっと、湖で彼女を引き上げた、その瞬間から。

 必ず生きていてほしいと、必ず幸せであってほしいと願った。

 目覚めたマリーと触れ合うにつれ、その思いは強くなった。

 それが、自分の隣ではなくても致し方ないと、思っていたけれど。


 失ったはずの記憶と共に過去と決別しようとするマリーを見て、モーガンは自分が抑えられなくなった。


 彼女が一人で行くというのなら。

 それなら、隣に自分が居てはいけないだろうか、と。




 オックス署長は、必死に引き留めた。彼は誰よりもモーガンの能力を買っていたから。

 元より、オックス署長はモーガンの境遇を哀れに思っていた。身から出た錆とはいえ、本来ならモーガンはもっと高い地位に就くべき刑事だ。本当は、いつモーガンが辞めると言い出してもおかしくはないと思っていたのだ。

 モーガンの決意が固いことを知り、ついにこの時が来たのかと、諦めざるを得なかった。



 モーガンは、オックス署長に話すよりも、マリーに話すことの方が、余程緊張した。ここまでしておきながら、マリーに断られたらどうしようという思いで不安になっていた。

 その日の夜、モーガンは緊張しながら、マリーに伝えた。

 好きだとは言えなかった。

 けれど、一緒に王都で頑張らないかと伝えた。

 出来るだけ真摯に、決して負担に思うことがないようにと気を付けながら。


 モーガンの話を聞き終わると、マリーはぽろぽろと涙を流しながら、笑顔で頷いたのだった。





 それからモーガンは、食堂を営むジルの友人が持つ建物の2階を借りた。

 そこで探偵事務所を開設したのだ。

 観察眼だけはあると自負しているモーガンには、うってつけの仕事だった。

 実は、これはオックス署長の勧めでもある。これまでもモーガンは、警察の裏の情報収集などを請け負っていた。探偵という肩書きに変わっても、警察からの依頼に基づいて事件の捜査を手伝えるだろう。

 実際、現在モーガンの探偵事務所で扱う事件の多くは、警察の依頼によるものばかりだ。しかしながら、幾つかの事件で重要な役割を担ったとして、モーガンの探偵事務所は注目を集め始めている。

 評判が人々にも伝わってきたからだろうか。少しずつ、個別の依頼も舞い込んでいる所だ。



 マリーは探偵事務所の受付兼会計兼助手という扱いになっている。

 元々ジェニーレン男爵家で家事をしていたマリーだ。小さな探偵事務所の会計など、取るに足りない仕事だった。

 主には事務所の掃除をしたり、設を整えたり、とにかく「探偵業」以外の全てをマリーは担っていた。



「元気そうだね、リネット」

「お陰様で! 毎日楽しくやっています。聞いてくださいよ、この間クロウさんたら食堂の女将さんに」

「お、おいリネット! ほらラークが買ってきた焼き菓子を食べよう! 美味そうだぞ!」


 何やらモーガンには都合の悪い話だったのか、必死にマリーに焼き菓子を薦めている。

 ……いや、マリーではなく、リネットと呼ぼう。

 マリーは王都行きを決めてから、警察署の皆に「変わらずリネットと呼んで欲しい」と言った。そしてモーガンたちは、それを了承した。

 どういう訳か、「リネット」の名の方が、彼女に似合う気がした。





「それで、進展は?」


 ラークはモーガンの耳元でそっと話しかけた。

 途端、モーガンは慌てた様子で咳払いをし始める。

 その様子で、二人の関係は未だに進展していなさそうだと、ラークは呆れた。


「北部第3警察署きっての色男が聞いて呆れますよ。何してんですか。一緒に住んでるんでしょう?」

「ばっ! 一緒にってお前……! 部屋も別だしやましいことは何も!」

「やましいことの一つや二つ、もうあるかと思ったのに……。クロウさんがそんなに意気地無しだとは思いませんでしたよ」


「どうしたんですか? 2人とも」


 こそこそと話すモーガンとラークに、リネットは不思議そうに首を傾げた。


 リネットの記憶は

 けれど一度婚約を破棄しているし、そう簡単に次に行くことも難しいかもしれない。

 リネットだって、モーガンのことを憎からず思っているはずなのに。


(まあ、2人のペースでやってくしかないか。俺はただ応援するだけ)


 本命には臆病で、なかなか踏み出せないモーガンが、いつになったらリネットと結ばれるのか。

 ラークは内心モーガンを叱咤した。



「それで、今回は何の案件だ?」


 咳払いをしながら、モーガンは雰囲気を変える。

 場の空気を誤魔化す算段だ。

 ラークは苦笑しつつ、仕事の顔に切り替え、真剣な表情になった。


「今回は、3日前に起きた殺人事件です。被害者の様子に、あまりに不審な点があって……」



 一気に刑事の顔になる2人と、モーガンの隣に自然な仕草で座るリネット。

 彼女も真剣に話を聞いている。


 その光景は、あまりにも様になっている。

 ずっと昔から、そうあるべきだったかのように。




 モーガンとリネットの恋路が、どうなるかは分からない。

 けれど、近いうちに、きっと。





 自分の幸せなど諦めていた、卑屈な「マリー・ロビン」は死んだ。

「マリー・ロビン」は、あの湖に沈んだのだ。


 リネットの人生は、今、ここから。


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