第25話 駒鳥と梟

 

 ガチャリ、と取調室の扉を開け、モーガンは中に入った。

 ラークもその後に続く。


 取調室の中には、項垂れて座っているオウルがいた。

 その姿には、悲壮感が漂っている。

 取り調べを行なっていた刑事から聞いた話では、大人しく全ての質問に答えているそうだ。

 余程後悔しているのだろう。


「ロビンさん。気分はどうですか」

「ああ、クロウさん……」


 オウルはちらりと顔を上げたかと思うと、また項垂れた。


「全て、全て話しました。罪は必ず償います。けれど……それでもあの子は帰ってこないんですよ……」


 そう言って、嗚咽混じりに涙を流した。

 ここまで来ると、流石のモーガンも罪悪感が芽生えるというものだ。


「ロビンさん。そのことなのですが、実はあなた方に隠していたことがありまして……。さあ入って」


 モーガンが声を掛け、ラークが扉を開ける。

 そして入ってきた人物に、オウルは大きく目を見開いた。


「マ、マリー……?」


 マリーがおずおずと扉から顔を覗かせ、数歩だけ部屋に入って立ち止まった。

 彼女はじっとオウルの顔を見つめる。

 オウルは目の前のものが信じられないというように、マリーの名前を呟いたまま固まった。

 彼の様子を見れば、人は心底驚くと頭が真っ白になるというのは、本当なようだ。


「マリー・ロビンさんの身を守るために、彼女の存在を隠していました。大変酷な嘘だとは重々承知していましたが……申し訳ありませんでした。ですが、犯人たちにどこから情報が漏れるか分からない中、知らせる訳にはいかなかったのです。ご理解ください。……ですが、一つ問題が」


「そんな……! 奇跡だ! こんなことが起こるなんて!! 本当に、本当にマリーなんだな……!!」


 モーガンが言い終わらない内に、オウルが興奮して喋り出した。

 オウルが立ち上がり、マリーに近付く。



 するとマリーは、ふいと視線を逸らして、モーガンを見遣って、言った。


「あの、本当にこの人が私のお父さんなんですか?」



 オウルはその言葉にぴたりと止まる。

 何の感情も乗らない平坦な声。

 そして、意味の分からない言葉。

 マリーは今、何と言った?


「ああ。この人が君のお父さんの、オウル・ロビンさんだ」

「やっぱり全く思い出せないです」


「思い、出せない……?」


 オウルは何を聞いたのか分からないと言った様子で、困惑している。

 無理もない。

 物語の中では数あれど、実際に記憶喪失というものを目にすることは、まずないのだから。


「ええと……こんにちは。マリー・ロビンです。私のお父さん……ですよね? すみません、事件の衝撃で何も思い出せなくて」


 マリーは頬を掻きながら、あははと苦笑した。

 その様子は、オウルの知るマリーとは、まるで別人だった。


「記憶喪失……ということか?」

「ええ。そうみたいです」


 あっけらかんとしたマリーの言葉に、オウルは頭を抱えた。


「そんな……! 記憶が元に戻ることは、あるのですか!?」

「医師の話では、以前から馴染みのある人や場所に触れると戻ることもあるということしたが……今の彼女の様子を見ると、何とも……」


 モーガンは思わず言葉を濁す。

 オウルの様子が、あまりにも絶望感に満ちていたからだ。


「マリー……本当に覚えていないのか……?」

「はい。すみません」


 そう言ってマリーは、ペコリと頭を下げた。

 しばしオウルは放心してマリーの後頭部を眺めていたが、ふと、何かを思い付いたような顔になった。


 そして、何とも言えない笑顔を浮かべた。


「そうか……覚えていないのか……。いいよ、これから一緒に思い出していこう。大丈夫だ。父さんが付いてるから」



 言葉だけ聞けば、非常に心温まる親子愛だ。

 しかしモーガンは、ぞくりと肌を這うような不快感を感じた。

 隣のラークも引き攣った顔をしている。

 考えていることは同じようだ。

 何故なら、オウルの顔が酷く歪んだ笑顔を浮かべていたから。


 モーガンにはオウルの心境が、手に取るように分かった。

 過去の自身の行いをマリーが何も覚えていないなら、そのまま無かったことにしてしまおうというのだろう。

 あたかも普通の父親のように、昔から娘を思う良き父親であるかのように、そう思わせるつもりだ。

 オウルに同情し、モーガンが感じていた罪悪感は、瞬時にどこかへと消え去ってしまった。



(やはり人間はそう変わらない。この男はいつまでも、自分勝手な自己中心野郎だ)



 モーガンは内心そう吐き捨てた。


 マリーの様子を窺う。

 普通に考えれば、その言葉を嬉しく思うはずだ。

 彼女はこの不快感に、気付くのだろうか。



「あの、ロビンさん。あ、すみません。どうしても父親とは思えないから……これで許してください。えっと、ロビンさんにいくつか聞きたいことがあるんです。いいですか?」

「あ、ああ……。何でも聞きなさい」


「あの日、私のドレスについて何も言わなかったのは何でですか?」


 マリーはあまりにも純粋に、明け透けに聞いた。

 オウルはそのあまりにも直球な言葉に、思わず固まった。


「あの時着ていたドレスが重たくて、私は溺れてしまったと聞きました。私も一度見ましたけど、あのドレスはないですよ。季節もサイズも年頃も合っていないし、そもそも船遊びには危険です。もしも私があのドレスを着て湖に行こうとする人が居たら、絶対に止めますよ」


 マリーはじっとオウルの瞳を見つめている。

 モーガンは横からその瞳を覗き込み、そして気が付いた。

 そこに怒りの炎が宿っていることに。


「そ、それは……」

「あと、16年前の事件の時、なんで何も言わなかったんですか? どうしてジェニーレン男爵が隠蔽するの黙って見ていたんですか?」


 マリーはオウルから視線を動かさない。

 まるでその声色は、オウルを追求しているようだった。

 オウルは動揺する。

 モーガンたちに話した16年前の事件のことが、マリーに伝わっていることに気が付いたからだ。

 メイヴィは事故ではなく、フィスに殺されたのだと。



「マ、マリーさん? 怒ってる?」


 思わずラークが声を掛けた。

 ラークは予想だにしない状況に困惑していた。

 てっきりあのマリーのことだから、笑顔で父親と会えたことを喜ぶだろうと思っていたのだが……。


「いいえ怒ってないです。ただ不思議なだけです」


 オウルに向けられていた視線をラークに移し、マリーはそう言った。

 あまりに真っ直ぐ視線を向けるものだから、ラークは少したじろいでしまった。



 オウルは少し逡巡した後、口を開いた。


「ドレスのことは……すまない。そこまで気が回らなかったんだ。それに16年前のことは、きっとお前が傷付くだろうと思って……」

「何で私が傷付くんですか?」

「それは……お前が母さんを呼び止めたから……」

「それって、お母さんは私のせいで殺されたって、そういうことですか?」


 いよいよ、マリーの言葉は鋭くなる。

 その声色には、恐ろしいほどに険があった。


「そ、そういうつもりじゃ……!」

「そうじゃなきゃ、どういうつもりだったんですか? 私のせいでお母さんが死んだって、皆が思うだろうって判断したのではなくて? 普通思います? そんなこと。どう考えたって私のせいじゃないのに。確かに私自身はそう自分を責めることもあるかもしれないですけど、それはあなたが『お前のせいじゃない』と言ってくれれば、それでいいのではないですか?」


 マリーは一気に捲し立てた。

 モーガンは思った。

 モーガンとラークが語った話を聞いて、マリーは内心腹を立てていたようだ。

 マリーの怒りは正しい。

 オウルの語るそれは、一切理由にならないのだから。



「正直に言って、あなたがそんな風に落ち込んだり『父さんが付いてる』なんて言うのは、お門違いだと思います。一度も私を返して欲しいって、言わなかったくせに」



「すみません。他の刑事さんたちが話してるの聞いちゃいました」とマリーは悪戯をした子供のような仕草で、モーガンに囁いた。



 それにしても、驚いた。

 誰もがマリーの様子に驚いたけれど、マリー自身が一番驚いていた。

 次から次へと言葉が溢れ出て来る。


 かつては自身も口を閉ざしていたことの罪悪感から、ずっと心に秘めていた言葉。

 マリー自身が、母の死は自分のせいだと、父から母を奪ったのだと罪を感じていた故の言葉。

 もっと早くにオウルと話していれば。

 そう思う気持ちもある。

 けれど、まだ幼かった自分から話を始めることは可能だっただろうか、とも思うのだ。

 十分に成長してからは、既に全てを諦めていた。


 これは、「マリー・ロビン」が口に出来なかった言葉たちだ。

 死んだ「マリー・ロビン」から、際限なく言葉が溢れてくる。



「フライ男爵に情報を流していたらしいですけど、娘が危険に晒されるかもって、本当にちらりとも思わなかったんですか? 本当は、そんなことよりもジェニーレン男爵への復讐のことしか考えてなかったんじゃないですか?」


 オウルは俯き、震えている。

 何も言い返せないのだろう。

 マリーの言うことは、全て図星だからだ。



「私、もう屋敷には戻りたくありません。ロビンさんの所にも、どこにも。そう考えるのは不思議じゃないですよね?」



 マリーの最後の言葉は、モーガンの方を振り向いて言った。

 モーガンは確かに、その瞳に決意の色を見た。

 一切揺らがない、迷いのない瞳だ。



「私が言いたかったのは、以上です」


 そう言ってマリーは立ち上がり、取調室を出て行こうとする。

 オウルはガタッと立ち上がった。


「マ、マリー! すまなかった! これまでの私は良い父親ではなかったかもしれない! どれほどお前に寂しい思いをさせたか分からない……けれどこれからは」


「そういう謝罪は、私が『マリー・ロビン』だった時にすべきでしたね。今の私には、一切響かないので」


 マリーは一瞬だけ振り向き、オウルを見つめた。

 彼女の視線は、残酷なほど冷ややかで。

 オウルはまるで、その視線に凍らされてしまったかのように、ピクリとも動かず固まってしまった。


 マリーは視線を扉の方に向けると、何も言わずに出ていった。

 扉が閉まるまでの間、彼女は一度も振り向くことはなかった。





 扉が閉まり、数秒の間をあけて、オウルの慟哭が部屋中に響き渡った。


 モーガンはオウルをラークに任せ、慌ててマリーを追いかける。


 モーガンは気付いていた。

 出ていくマリーの肩が、ほんの少し震えていることに。

 このまま放っておけば、マリーはどこかに消えてしまうような気がした。


「マリー!」


 モーガンが扉を勢いよく開ける。

 すると、少し先の廊下で、マリーがうずくまっているのが見えたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る