第2話 メカクレ黒帽子

「あ、いた」

「げ」


 祭壇から顔を出したオレと目を合わせたのは、旅装でメガネのあの男。先ほどパン屋でオレに股間を蹴り上げられて悶絶してたクソメガネだ。


「ええと、ハオくん、ですよね?」


 クソメガネの黒いブーツが床を鳴らす。

 ゆったりとした歩みに合わせて、ぼろぼろの床はまるで悲鳴のように軋んだ。


 その表情に怒りの色は見えない。怒りどころか、相変わらずへらへらと笑う顔は締まりがなく、気の抜けるものだ。


「ああいう逃げ方されたら、おにーさん傷ついちゃうなぁ。ぶっちゃけ、本当に傷物になるとこでしたし」


 隙間風が強く吹いた。

 クソメガネの外套が巻き上げられ、首に巻いているストラが、神のいない礼拝堂に靡いた。

 黒い光沢のある帯、その先端には煌く星のように輝く刺繍と、房飾りがついている。


「ちょっとお話をできたら、と思っているだけです。こわくないから、こっちおいで」


 話なんて、ない。


 オレがこうして腹を空かせているのは、誰かが墓に供えてった食い物で糊口を凌ぎ、時に盗みをしながら生きているのは、そうせざるを得ないのは、教会によって刻まれた顔にある黒い刺青のせいだ。

 オレを罪人に仕立て上げた教会が、オレから普通の暮らしってやつを未来永劫奪った。

 オレ自身には少しも身に覚えなんてない罪と、罪による罰。


 教会、と言いつつ、オレに実際刺青を入れたのは、三か月前に死んだ司祭のジイさんだ。それは分かってる。教会の指示なのか許可を得てなのか黙認なのか、ジイさんが勝手にやったことなのか、そんなのはオレの知った事じゃない。

 『赦し』とか『救い』とか、そんなご立派なものを教義に掲げた教会が、オレに何かをしてくれたことはない。


 教会がオレに寄こしてきたのは、身に覚えのない『罰』だけだ。


「だめ?」

「うるせえ」


 村の誰もがオレとは距離を置く。

 オレの顔にある、人殺しの刺青がそうさせる。

 中には、オレの顔を見ただけで殴り掛かって来るやつだっている。

 仕事も貰えない。家だってない。

 親なんて、いない。


 一応オレを育てた司祭のジイさんが死んで、焼け残った礼拝堂で、たった一人。

 盗んだパンを食べて、畑から野菜をくすねて、供物をくすねて、後はクソして寝るだけ。

 村を出ていこうと思ったこともあるけど、刺青持ちのオレにとって、この村はまだマシな方だ。

 時折来る余所者のオレを見る目、その言動で、オレはそれを思い知った。

 無視されて、たまに殴られる程度で済んでるなら、マシな方なんだ。


 全部、教会のせい。


 犬か猫の子でも呼ぶように手招きするクソメガネを睨みつけ、立ち上がる。


「そっか。でも君さ」


 再び逃げの体勢をとろうとしたオレが後退ると、クソメガネがほんの少し、小馬鹿にしたように笑った。


「ちょっと、後方不注意ですよね」


 その言葉の意味をオレが理解したのと、オレの首根っこを後方から伸びて来た手が掴むのはほぼ同時だった。



 ◇



 この国は、教会の頂点に君臨する教皇によって治められている。

 オレが生まれる何十年も前、魔術士としての並外れた才覚と、指導者として優れたその手腕によって、教皇は強大な権力を手中に収めた。

 その後、ただ信仰心を集めるだけの無害な教会を利用し、国中から集められた信仰心を糧として、その強大な権力を揺るがぬものとしたとか、なんとか。


 一応、国として王様もいるけど、現在においてはほぼ飾りみたいなもの。権限なんて無いに等しい。

 王に代わる行政機関として在るのが、教皇をトップとする教皇庁であり、教皇庁に籍を置く聖職者である。この国の運営は実質、聖職者により行われている。


 教皇庁に所属する聖職者には、大まかに司教、司祭、助祭の三つの階級があり、各町村に駐在するのは基本的に司祭と助祭とのペア。これはそのまま上司と部下であり、師匠と弟子という関係でもある。

 そして審問官は、それらの行政執行に問題が無いか、国中を監視し見回る者のことを言うらしい。

 審問官であるクソメガネの階級的は中間に当たる司祭。


 以上が、クソメガネ、ユエの説明。

 「何なんだよオマエ(意訳:失せろクズ)」っていう、オレの破れかぶれかつ真っ当な疑問っぽいものに対する答え。

 長いし、そういうことを聞きたかったわけじゃない。


 そんなどうでもいい話を聞かされたオレは、ところどころ火に炙られ焦げた礼拝堂の、比較的まともな状態の柱にロープで括りつけられていた。


 さっき股間を蹴り上げたことを怒っているのかとも思ったが、今に至るもクソメガネにそんな様子はない。

 腹が減っていることもあって、オレは抵抗することも諦めて成すがままである。

 まさか、国とか教皇庁とかって話を聞かされるとは思ってなかったけど。


「簡単に言えば、聖職者がやりたい放題やっているのが、この国ってことです」


 当の聖職者がへらへらとそんな風に言う。

 教会を悪く言えばこっぴどく怒られる、そういうのが、少なくとも三か月前までは染みついていたオレにとって、なかなかに信じがたい暴言のように思える。

 クソメガネが笑って締め括ったそれに、思わずオレは半眼になった。


「いいのかよ、あんなこと言ってっけど」


 オレが見た先にいるのは、オレを捕まえて、鮮やかな手付きで柱に括り付けたもう一人の男。

 シンと名乗ったその男は、被った黒い帽子で顔は殆ど見えないが、クソメガネと比べれば多分幾らか若い。


「ユエが言うなら、そうなんじゃない?」


 黒い帽子の男はまるでオレには興味が無さそうで、クソメガネがパン屋で買ってきたという紙袋を漁った。


 黒帽子の男も、クソメガネと同じように審問官らしい。審問官で、階級は一番下の助祭。

 ということは、クソメガネは黒帽子にとっての師匠、ということなるんだろう。

 目深に被った鳥打帽と、切り揃えた前髪で目元から上は隠れて見えない。ひょろりとした枝みたいに頼りない風貌は、背の高い眼鏡と並べばかなり小柄だ。

 成長の途上にあるオレよりは、全然でかいけど。


 旅装を解いた黒帽子は、村のその辺にうろうろしてそうな普通の兄ちゃん、といった身なりである。

 だが、その首には眼鏡と同じように黒いストラがかけられていた。

 色は同じ黒。白銀の刺繍も同じだが、房飾りはついていない。


 だがそんなことよりも、オレの目は、黒帽子が紙袋から取り出したサンドイッチに釘付けになった。


 こんがりと焼けたパンに、こぼれそうなぐらいの具材がぱんぱんに挟まっている。

 新鮮な葉野菜と、切り分けられた茹で玉子、炙った塩漬ポークからは脂が染み出し、味付けに塗られたソースと共にパンの端から滴り落ちそうになっている。

 すげえうまそう。


 パンから零れた脂とソースの混ざり合った汁を指で受け止めた黒帽子が、その指をぺろりと舐めて、オレを見た。


「「…………」」


 隠れて見えない目元だが、明らかに拘束されて涎を垂らしているオレに向けられている。

 お互い無言のまま、限界であろうところまで開かれた黒帽子の口が、分厚いサンドイッチにかぶりついた。


「あああああああ……」


 口いっぱいに頬張ったサンドイッチをもっしゃもっしゃと咀嚼する黒帽子を見るオレは、空腹も手伝い不覚にも涙目になった。


 そのオレの前に、手付かずの同じサンドイッチが差し出された。


「すんごい涎ですねぇ」


 こんがりと焼き色のついたパンからは香ばしい匂いが漂ってくる。

 脂と小麦とソースの匂い越しに、クソメガネのニヤけた面がオレを覗き込んだ。


 間近で見ればその整った顔つきがよりいっそう分かる。

 通った鼻筋に、わりと精悍な顔つきをしているものの、眼鏡の奥の垂れ目がその印象を甘いものに変えている。

 ひょろっと縦に長い体躯がどことなく頼りなさげで、ニヤけた笑みが軽薄さを醸している。口を開けば軽薄さが更に増し、なんとなく信用ならない雰囲気である。

 ちょっと残念なイケメンって感じだ。


 その残念なイケメンクソメガネが、サンドイッチを主張するかのように軽く揺らした。


「ハオくん、話、聞かせてもらっていいです?」


 パンからはみ出た塩漬ポークを伝い、塩気を纏っているであろう脂が滴って、焦げて黒くなった床に落ちた。

 その脂が床に浸み込んでいく僅かな時間を葛藤に費やしたオレは、再びクソメガネ、改めユエを見た。


「ん?」


 どうする? といわんばかりの意地の悪いニヤニヤ笑いをしていようとも、おいしい食い物に罪は無く、食い物をくれる奴に悪い奴はいないのである。

 それが大嫌いな教会の回し者だったとしても。


 オレが、塩漬ポークから滴る脂に屈したのと、ほぼ同時である。 


「アンタか、教皇庁から派遣されて来たというのは」


 死ぬほど偉そうな老人の発した声が、礼拝堂に響いた。

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