第8話 その奇蹟に祝福を

 白い、光。


 薄闇に包まれ始めていた辺り一帯を、柔らかい白い光が包み込む。

 地面に走る白い光が、シンが描いていた魔法陣なのだろう。

 大きな、村全体を包み込むほど大きな魔法陣。


 魔法陣とか今日初めて見たし、魔術のこともオレはよく分かっていないしほとんど何も知らない。

 でも、そんなオレでも分かる。これは、犯してはいけない、神聖なものだと。


 霧雨の様な水の粒が、頬に触れる。

 全てを洗い流すような淡い雫が全ての穢れを包み込んで浄化していく。

 薄闇の中、淡く白い光と霧雨に包まれた村は、とても、綺麗な気がした。




 光がゆっくりと消え去った後には、雨上がりのように清々しい、ひんやりとした空気が残された。

 教会の火は、燻る煙へと変わっている。


「シンは、うまくやりましたね」


 へたり込んでいたオレの傍らに、ユエが膝を付いた。

 顔を覗き込み、大きな手がオレの頬を拭う。


「ごめんなさい。もっと早く来るべきでした。君にこんな怪我をさせてしまった」


 見上げるユエの顔は優しい。

 殴られることは慣れてると、適当に笑って、そう言いかけて、ユエの首にかかる黒いストラが目に留まった。


 ユエは、教会の人間だ。教会の。

 作り損なった笑顔が不恰好に歪んだのが、自分でも分かった。


 引っ込んでいた涙が、再び零れた。



 ◇



 オレは、恨んでた。


 オレを嫌らう村の皆も。オレを殴る村長のジジイも。オレを罪人にした司祭のジイさんも。オレを産んで死んだ母さんも。

 教会も。

 この世界も。

 全部。

 何もかも。


 恨んでた。決まってる。恨んでたに決まってる。


 オレは、誰も殺してない。

 それなのに、産まれたばかりのオレに、司祭であるジイさんは罪人として刺青を入れた。

 ジイさんの娘の腹から生まれたオレに。

 孫であるはずのオレに。

 そうしたジイさんも、そうさせた全部が、オレは許せなかった。

 今も、許せない。

 

 誰もオレを愛さない。

 誰もがオレを避けて通る。


 司祭のジイさんは、オレを手元に置いた。一応、育てたと言えるだろう。

 教会に住まわせ、衣服を与え、食事も与えられてた。文字を教えられて、知識を与えられた。

 でも、オレが本当に欲しかったのは、そんなものじゃない。


 村長のジジイは、その杖でオレを小突き回した。


「教会の売女」

「メス犬のガキ」

「人殺し」

「ゴミ」


 浴びせられる言葉、長年かけて蓄積された言葉を組み合わせれば、何が起きかはなんとなく察せられた。


 母さんは、オレを産んですぐ死んだらしい。

 死因は知らない。知らないけどたぶん、自分で生きるのを止めたんだろうな、って思う。


 そして、司祭のジイさんは、オレなんかより娘に、母さんに生きていて欲しかった。

 しょうがないと思う。


 父親が誰かは分からない。けど、父親が碌な奴じゃないことだけは確かだ。

 娘がよってたかってぼろぼろにされて、クソ野郎の子を孕まされて、そのせいで誰かを恨んで憎んでおかしくなって、人を殺して、しまいには死んでしまった。

 そうやって残されたガキを、誰が可愛がれるだろう。


 ジイさんが許せなかったこと。

 母さんの罪。

 オレが、背負っているもの。


 でも、それはオレの罪じゃない。

 オレは、ただ生まれてきただけだ。



 ◇



 手が、震えた。

 自分がやったこと、してしまったことが、怖い。それを、打ち明けるのが、その結果、待っている何かが。

 逃げないように、オレ自身が逃げないで、ちゃんと話すために、ユエのストラを強く握り込んだ。

 手触りのいいその生地に触れると、少しだけ、ほんの少しだけど、落ち着ける気がする。


「ジイさんが死んで、オレは死んだジイさんごと教会に火を点けた」

「はい」

「オレが、燃やした」

「はい」

「放火は、重罪なんだろ」


 オレは、誰も殺してない。

 殺したいぐらい恨んでたジイさんも誰も、オレは殺してない。

 でも、教会を燃やしたのはオレ。


 ユエは、今ユエはどんな顔をしているだろう。

 どんな目でオレを見ている?

 知りたいけど、怖くてユエの顔を見ることはできない。


 ストラを握り込むオレの手を、ユエが片手で包み込んだ。皺になるにも関わらず、そんなことは、気にもしていないみたいに。


「確かに、放火は重罪ですね」


 すっぽりと包み込む手は、オレよりもずっと大きい。


「でもね、ハオくん」


 オレの懺悔を聞いたユエは、一旦言葉を切って、オレの頭にもう一方の手を乗せた。

 泣きたくなるぐらい、優しい気がした。


「放火と、弔いは違うと、私は思います」


 放火だ、とそう主張したい気がした。

 オレは恨んでた。

 殺してやりたいぐらい、恨んでた。

 多分、村の皆はオレがジイさんを殺したんだと、何となく疑っていたんだと思う。

 

 でも、オレは殺さなかった。殺せなかった。


「これは、ただの言い訳です。ズルい大人の、汚い言い訳でしかありません。でも、思念としてまで残したその思いに敬意を払い、何よりも君のために、伝えます」


 ユエは、ゆっくり、丁寧に、言葉を選んで語りかけてくる。


「司祭は、後悔していたようです。それでも、愚かで、不器用で、助祭である娘さんを失った悲しみは深く、君を受け入れることができなかった。何よりも自分の罪に、向き合うことが出来なかった。許すことはできません。許すべきではない。でも、これだけは知っておくべきでしょう。後悔だけを抱いて死んでいった司祭は、決して君を憎んでいたわけではありません」


 頭に乗せられた手が、撫でるように動く。

 そんな風に、オレの頭を撫でた手は、今まで無かった。

 

 でも、何度も、何度も、ジイさんがオレにそうしようとしていたことには気付いてた。

 延ばされたジイさんの手が、オレの顔、刺青を見て止まるのを、何度も見た。

 

 憎んでた。恨んでた。殺してやりたかった。

 そんな顔をするのは卑怯だと、言ってやりたかった。


「おじいさんを弔った君を、誰が責められるというのでしょう。君はどんな罪も犯していない。ただの優しい子どもです」


 ユエが、ストラを握り込むオレの手をそっと剥がした。やっぱり皺ができてよれてぐちゃぐちゃになってしまった。

 でも、そんなことぐらいで、ユエの纏うものは揺らがない。


「罪を犯したのは、君以外の全ての大人と、教皇庁、教会です。子どもは、生まれてきたという、それだけで、それこそが、奇跡なんです。君に与えられるべきは、罪科などではあり得ない。与えられるべきは、祝福だったはずです。この村の全ての大人が間違えました。そして何よりも、司祭が、教会が、取り返しのつかない間違いを犯しました」


 真剣な表情、真摯に語るその言葉。

 ユエが恭しい仕草で、深く、頭を下げた。片膝をついて。


「君に与えられるべきだった全てを取り返すことはできず、許して欲しいなどとは口が裂けても言えません。それでも、謝罪をさせてください。教会に身を置くものとして、この国を形作る大人の一人として、謝ります。申し訳ありません。――そして、今更ですが」


 ユエが顔を上げ、両手を延ばす。

 両手が、オレの頬を包み込んだ。

 ちょっとかさついてて、大きくて、あったかい。


 ずっと、ずっと思ってた。恨みよりも深く、憎しみよりも強く。ずっと、願ってた。

 こんな風に、優しくされたかった。 


「君の生に祝福を。ハオ、生まれてきてくれてありがとう」


 こんな風に、優しい目で見て欲しかった。

 涙でぼやけて全然見えないけど、それでもユエの目が優しいことが分かる。


 オレはずっと、こんな風に、オレを肯定して欲しかったんだ。



 ◇



 燃え残った教会は、一応形は留めているものの、ぼろぼろだった。

 最初の火事で残っていた壁も結構焼けてしまった。シンの魔術に洗われて、崩れた壁の間からは隙間風以上の風が煤と埃とを運んでいく。


「シンー? 無事ですかー?」


 すっきりした礼拝堂の真ん中で、シンは両手を広げて仰向けになっていた。


 黒い帽子が顔の横に転がっている。

 湿った前髪が額に貼り付き、隙間から黒い刺青が覗いている。ついでに、目付きの悪い三白眼も。


「疲れた。もう動けない」


 上を向いたまま、シンの口が駄々を捏ねるように言った。


「はいはい、ごくろうさま。結果は上々、シンのおかげです。よくやった」

「うん」


 労いの言葉をユエから受け取ったシンは、首だけをオレに向けた。


「ぼろぼろだね」


 オレの頭の先からつま先までを眺めたシンが、口の端を持ち上げた。


「ちゃんと、焼けないで待ってたよ」


「オレも、ちゃんと、ユエを連れて来た」

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