次なる目標は

 王国で生まれ育ったのなら、ドローア監獄にまつわる話を一度は耳にしたことがあるはずだ。

 かつては砦だった脱獄不可能の監獄。

 歴史に名を刻んだ伝説級の凶悪犯は、皆、この監獄で生涯を終えた。


「俺がもっとしっかりしていれば、あいつは監獄送りにされずにすんだんだ」

「死刑にならなかっただけマシでしょ」


 自責の念にかられる夫に対して、デボラは辛辣だった。


「おいおい、そのヒューゴとかいう奴はいったい何をやらかしたんだ?」

「現王妃の暗殺未遂。もっとも、当時の彼女は結婚前だったけどね」

「……」


 さらりと答えたデボラは、チャールズを絶句させるという偉業を成し遂げる。


「詳しく話すと長くなるけど、たしかに彼がいれば何かわかったかもしれないわね」


 だって彼はと、デボラは続けた。


「短い期間だったけど教会に出入りしてたものね」

「は?」

「ヒューゴは魔女のクスリの調薬もしていたからな。それこそ、犯罪組織の裏ルートについても知っているかもしれない」

「…………」


 何か情報を与えてくれる可能性のある男だけれども、ドローア監獄に収監されている。なんとも言えない沈黙が支配する。

 ヒューゴは反体制派だったこともあって、王族のマクシミリアンでも面会は絶望的だ。そもそも、ドローア監獄は基本的に囚人が外部の者との面会は禁止されている。

 ヒューゴと相性が悪かったデボラは、余計なことを言ってくれるとげんなりしていた。


(意味ないじゃない。フィリップだって直接の手がかりじゃないって言ってたの、聞いてなかったのかしら)


 きな臭くても香水を手がかりから外すべきだとはっきり言ってやろうと口を開いた。けれども、チャールズの芝居がかったため息に邪魔されてしまう。


「あーあ、監獄の中に入っちまえばなんとかなったんだがな」

「それはどういう意味だ?」

「そのままだが」


 なにやら不穏な話に片眉を跳ね上げる次兄に、チャールズのかわりにリチャードが答える。


「わたしがやってみせただろう」

「姿を消す、アレか!」


 すぐにピンときたマクシミリアンに、リチャードは首肯する。


「わたしは隠形と呼んでいる」


 アウルの力を借りて姿を認識させなくする奇跡のような技。

 マクシミリアンはアウルの寵児とチェチェに懐かれる。実のところ、彼は帰りの船でリチャードから軽く教えてもらっていた。だから、同時に無理があるのではとも思うのだ。


「たしか、長時間は難しいはずでは」

「チェチェがいる」

「ン?」


 名前が出てきて顔を上げた彼女に、チャールズは気にするなと軽く手を振ってみせてから肩をすくめた。


「お前の素質は申し分ないしな、チェチェがいれば一日くらい余裕だろうさ。だが、隠形は透明人間になるわけじゃない。壁はすり抜けられない」

「だから中に入ってしまえば、と? フン」

「そういうこと」


 だから、獄中の医者の証言は諦めるしかないなと、彼は苦笑する。

 脱獄不可能は、侵入不可能と同義語。誰だってそう思っている――はずだった。


「わかった。そういうことなら、わたしが中に入る手はずを整えよう」

「…………」


 いとも簡単にとんでもないことを言ってのけたフィリップは、信じられないと凝視してくる甥夫婦、弟たちに不愉快だと片眉を跳ね上げた。


「あの島に食糧などの必要物資を定期的に運んでいるのは、我が商会だが」

「…………」


 グッドマン商会は国内の全監獄のライフラインの掌握していた。明晰王の厚い信頼のあらわれかもしれない。そうだとしても、あまりにも迂闊すぎる。


(ジャックが知ったら、間違いなくキレるよなぁ)


 もし、従弟の現国王が知っていたら、こんなこと許しはしなかっただろうに。なんなら、父王が存命中に契約を切っていた可能性だってある。

 頭が痛くなる話を、マクシミリアンは聞かなかったことにした。


「五日だ。こちらは五日もあれば、手はずを整えられる。チャック、お前たちはどうだ?」

「お、おう。五日か、リチャード、どう思う?」

「マックス次第だが、チェチェがいる。特に問題ないだろう。……だが、いいのか?」


 完全にマクシミリアンをドローア監獄に潜入させる方向で話を進めているフィリップに、リチャードは待ったをかけた。まったくおかしな話だと、内心呆れながら。問題児の双子の片割れが、兄弟一の常識人でもあった次兄の犯罪行為を思いとどまらせようとしている。


(まったくどうかしている)


 かつての次兄ならば、獄中の医者に意見を求めるなどという考えを一蹴していたに違いない。うんざりするような説教付きで。


「フン。ただ話をしに行くだけだろう」


 それがどうしたことか。今の彼はむしろ積極的に犯罪の片棒を担ごうとしているではないか。

 自分たち非情の双子王子は、歳を重ねてずいぶん丸くなった。どうやら、次兄は逆だったらしい。いくら本人が言ったように『どんなに可能性が低くても、ようやく掴んだ糸口を離すわけにはいかない』だとしても、手段を選ばなすぎる。


(ま、無理もないか)


 月虹城を離れた同じ歳月、彼はずっと兄夫婦を殺した入れ墨の男への憎しみを募らせてきたのだから。むしろ、今も昔もこれから先死ぬまで父と認めるわけにいかない狂王のように、絶望からいたずらに人を苦しめてもおかしくなっただろうに。

 今なら次兄とも上手くやっていけるだろうかとつまらない考えをあえて打ち消すために、チャールズはマクシミリアンを見やった。


「だ、そうだ。どうする?」

「どうするって言われても……」


 マクシミリアンは神妙な顔つきで答えた。


「バレたらまずいじゃないですか」

「……ハハッ、おいおい、笑わせるなよ、マックス」


 一瞬何を言われたのかわらからずまばたきを繰り返した後で、チャールズは大きな口を開けて笑った。


「なんだなんだ、怖気づいたのかよ。バレたらまずいは、バレなけりゃオッケーだってわかってるくせに、言い出すかと思えば……」


 チャールズの顔からスッと笑みが消え失せる。


「今さらだろ。お前の無断出国だってバレたらまずいだろ。ご丁寧に俺らの入国許可証も偽造してた。単独で海を渡るなんてことに比べたら、ドローア監獄に潜入するなんて、大したことない。なぁ、今さら怖気づく必要はないだろうが」

「それは……」


 ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだ。

 マクシミリアンの視線はテーブルの上をさまよう。

 本音は、監獄にいる元侍医に会いたい。会って話がしたい。恨まれ憎まれても当然のことをしてしまったけれども、謝罪も含めて、話がしたい。

 けれども、やはり――、


「行ってきなさいよ」

「デビー」


 膝の上の手に手を重ねてデボラは、夫の迷いを鼻で笑う。


「ずっと心残りだったんでしょう、ヒューゴのこと。わたしは自業自得であなたに責任はないと思ってるけどね。正直、あの根暗は好きじゃなかったし。ま、嫌いでもなかったけど」

「だが……」

「ドローア監獄に潜入するなんて、この機会を逃したら二度とないわよ」

「しかし……」

「わたしとお腹の中の子を言い訳にしないで」

「……昨日、君とこの子とリセールのためにもう無茶しないと約束したばかりなのに、君がそう言うのか」


 いまだに視線が揺れる夫に、小さなため息をついた彼女は夫の叔父たちに向き合う。


「もちろん、夫を無事に返すと約束してくれるでしょう」

「フン。わたしは手引するだけだ」


 だから双子次第だと言う次兄に、チャールズは肩をすくめた。


「一度、果たした約束だ。今度も無事にお返しすると約束しよう」


 リチャードはチャールズに同じくと首を縦に振る。

 理屈抜きに、デボラは彼らなら夫を任せられると確信した。強運の持ち主の夫に、心強い彼ら。焼き菓子を一人で平らげた少女が関係しているだろう不思議な能力については、ほとんど理解していない。

 それでも、夫を安心して任せられる。今の夫に必要な人達だ。

 これほど心強い叔父たちが揃っているのだから、躊躇するなんてどうかしている。


「だがやはり……」


 それでも躊躇う夫の背中を叩いて黙らせる。


「四の五の言わずに行ってきなさい、マクシミリアン・ヴァルトン」

「そうやって君はまた俺を甘やかすのか?」

「もちろん」


 これから先、ずっと甘やかしたいし、この夫が甘えられる唯一になりたいとすら思っている。

 これほど多くの人から愛されたリセール公はいない。

 親しみを込めて伊達男と呼ばれるマクシミリアンは、実は自己肯定感が低い。才覚がないと、すぐに落ち込む。こんな自分でも信頼してくれる人々に答えたいのだと悩みもがき努力を惜しまない。そんな彼だからこそ、信じて背中を押すのだ。


「わたしは、正直ドローア監獄潜入なんて無駄足だと思う。それでも、もう一度ヒューゴと話しをするべきよ」

「……ヒューゴは、俺のこと恨んでいると思う」

「だとしたら、それは逆恨みよ」


 まったくこの夫はと、デボラは盛大なため息をつく。


(あの根暗が恨んでいようがいまいが、関係なくせに)


 あのヒューゴのことだから、マクシミリアンを恨むようなことはないだろう。むしろ、マクシミリアンに迷惑をかけたと、彼も彼で必要のない責任を感じているかもしれないというのに。

 なかなか腹をくくろうとしない夫の背中を、今度は小気味よい音がするほど強く叩いた。


「マックスは、行くって言えばいいの」


 マクシミリアンはため息をついた。

 わかってはいたのだ。自分の答えなど。ただ、こうも度々不在とするのは申し訳ないだけで。おそらく、使用人たちも妻と同じ考えなのだろう。

 この領主館の人たちは、自分に全幅の信頼を寄せてくれている。妻と一緒になって、何度だって情けない自分の背中を押してくれるのだろう。

 個人的なわがままでまた彼らに甘えるのは、心苦しい。本当に心苦しい。


(こうなったら、何が何でも税制改革を成功させなければ)


 そうして、水の都リセールをさらに栄えさせるのだ。


「頼む。俺をヒューゴに会わせてくれ」


 三人の叔父たちに、マクシミリアンは深々と頭を下げた。


 今、両親を殺した入れ墨の男を探すことは、マクシミリアン・ヴァルトンの個人的なわがままであるだけでなく、リセール公の覚悟と決意を新たにするために避けては通れない試練となった。




 ヒューゴ・ウィスティンは、まさか囚人生活がこれまでなかったくらい充実するものとは夢にも思っていなかった。

 彼はオレンジ色の囚人服に白衣を羽織り、処方箋をまとめて監獄長の執務室を訪れていた。


「いつも悪いな、先生」

「いつも言ってますけど、ちゃんと外部の医者に確認してもらってくださいよ」


 泣く子も黙る強面の監獄長が相好を崩しても、凄みが増すだけだ。けれども、労いの言葉は本物だと知っているからこそ、ヒューゴは苦虫を噛み潰したような顔になる。「わかってるわかってる」と本当にわかっているのかと問い詰めたくなるのを、堪えるのも初めてではない。


(僕を信用しすぎだろ)


 この監獄は大丈夫だろうか。

 信頼してくれるのは嬉しい。けれども、やはり罪人であるからにはもっと疑いをもって接するべきではないのか。監獄長の彼だけでなく、看守たちも、専従の医者も一部の囚人が信頼してくれている理由は、十二分に理解している。そこに至る経緯は昨日のことのように覚えている。それでも、思わずにいられない。


(どうしてこうなった!!)


 頭を抱えたくなるのも、これが初めてではない。


 座れと気安く促されるまま、ヒューゴはソファーに腰を下ろした。

 いつの間にか、執務室にいた監獄長の部下も、ヒューゴをここまで連れてきた看守もいなくなっていた。

 泣く子も黙る監獄長と二人きり。囚人どころか、看守たちも裸足で逃げ出すこの状況にも、ヒューゴはすっかり慣れている。もちろん、初めこそは無駄に怯えていたけれども。

 差し向かいに腰を下ろした監獄長は、いやに神妙な面持ちで身を乗り出した。


「読んだか?」

「読みました」


 世間と隔絶された監獄でもっとも逆らってはいけない男にあわせて、ヒューゴは真顔で答える。

 本音を言えば、もう用は済んだから独房に帰りたいところである。


「それで、先生の感想は?」

「あれを百合と呼ぶ奴は、百合をわかっていないかと。たしかに尊い小説でしたが、それはシスターフッドの尊さであり、百合ではないです。少なくとも僕には、主人公の彼女たちがキスをする姿は想像できませんでしたから」


 ヒューゴの返事に、監獄長は大きく息を吐いた。


「さすが先生。百合をよく理解している」

「…………それほどでも」

「謙遜するな、先生」

「…………」


 謙遜も何も、ヒューゴにとって百合は文学ジャンルの一つで嗜んでいる程度だ。間違っても、監獄長のような百合豚ではない。断じてない。

 特別待遇を受けているとはいえ囚人という立場上逆らえないから、押しつけられた本を読んでいるだけにすぎないのだ。

 新人作家がやっとの思いで世に送り出しただろう小説は、どうやら監獄長のお気に召さなかったらしい。そういうときは決まってこう言うのだ。


「やはり、俺が……いや世の中が求める最高の百合を与えてくれるのは、リリー・ブレンディ大先生だけだな」

「…………」


 もう慣れたはずなのに、かつて仕えた人の筆名を称える台詞になんとも言えない気分になる。

 そんな彼の気も知らずに、泣く子も黙る監獄長は自身が考える最高の百合について――ようするにリリー・ブレンディの作品を熱く語りだす。こうなっては、もう監獄長の独壇場だ。

 ヒューゴは早く迎えの看守が来るまで、ひたすら彼の熱弁を聞くしかない。ある意味、これはこれで自分に課せられた罰なのだと言い聞かせながら。


「大先生の死亡説なんか、俺は絶対に信じない。そんな寝言を抜かす奴は、全員牢にぶちこんでやる!! いいか、百合はいい!! 百合は……」


 ひょんなことから監獄内で尊敬を集め、うっかり監獄長の同志と誤解された獄中の名医ヒューゴ・ウィスティン。

 なんだかんだで、充実した日々を送っていた。このまま獄中で息絶えるまで続くのだろうと、信じて疑うことはなかった。


 もう二度と関わることはないけれども、密かに幸せと成功を願い続けているかつての主君が、その充実した日々を嵐のごとくかき乱しに来ようとしているなどとは、もちろん夢にも思っていない。

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