港町にて

 そうと決まればと、善は急げという勢いのチャールズに引っ張られるようにやってきたのは、『丘の上』から見下ろした港町だった。

 舗装どころか、ロクに手入れされていない道を歩かされたマクシミリアンが、ようやく腰を落ち着けたのは、間もなく夕暮れ時という頃だった。

 どうやら、この島では元総督と元副総督であっても、主な移動手段は歩きらしい。


(俺、ここに来てまだ一日も経っていないんだよな)


 赤い板葺き屋根の平屋造りの家々が点々とする様は、まるで漁村のようだった。けれども、ここがピュオル最大の港町だとチャールズは言った。


「ま、他にデカい船が入れる場所がないってのもあるが、大陸と取引する場所は一つに絞ったほうがいいに決まってる。そもそも、別に大陸とつき合う必要はないんだよ。昔、征服しようとした奴らがいたろ。連中の神の”眼”が届かない、加護も届かないってのに、布教しようとする熱心な馬鹿は、今でもたまに来る。大概、一晩で喰われるがな。ああ、マックス、お前も喰われないように後で髪を一房ちょうだいするからな。なに、そんな顔しなくていい。タダで泊まらせてやる上に、帰りの手配までしてやっているんだ。髪の一房くらい、安いもんだろ。わざわざ来てくれたんだ、俺たちも色々見せてやりたいが、今回は無理だな。ま、明日には早く帰りたくて仕方なくなっているだろうが、またの機会ってことで」


 丘を下る道中、案の定チャールズの舌は回りっぱなしだった。


(人を食うナニかは、本当にいるのか)


 詳しくと尋ねても、チャールズは意味ありげに笑みを浮かべてあからさまにはぐらかす。チェチェと並んで後ろを歩くリチャードを振り返ったりもしたけれども、彼はなぜか機嫌が悪そうなチェチェと大陸語ではない言語で何か話しこんでいたため、見事に無視された。


 チャールズは、ヴァルト王国を含めた大陸の諸国には、征服するよりも交易したほうが得だとわからせておいたほうがいいと言う。

 もっともな話だ。

 ピュオルを含む島々を支配下に置いたところで、大陸から船で五日はかかるのだ。征服するまでに強いられるだろう多大な労力に見合うだけの国益は到底望めないだろう。それでもかつて征服しようとしたのは、ヤスヴァリード教を布教するためと、世にも珍しい装飾品があったとされるからだ。

 ヴァルト王国にとって、ピュオル産の塩は、国内に岩塩の採掘場を有しているので、どちらかといえば金持ちの嗜好品という扱いだ。市井の民だけでなく、輝耀城の高官や貴族にとっても、ピュオルの存在感はほぼなしに近い。

 マクシミリアンは、ふいに思った。


(ピュオルがある意味もっとも遠い国だったから、この二人は住むことにしたのだろうか)


 彼らは、国を出てから一度として王国の土を踏んでいない。

 今回、退屈しのぎだといとも簡単にマクシミリアンとともに王国に行くと言い出した彼らだけれども――、


(おそらくは、お二人の帰る場所はここなのだろうな)


 マクシミリアンの帰る場所が、生まれ育った花の都アスターではなく、水の都リセールとなったように。

 だからこそ、わからない。


(なぜ、俺なんかのために一緒に来てくれるのだろうか)


 どうにも、食えない人たちだ。

 尋ねても、はぐらかされるか、黙殺される。本心を隠すのに、慣れている。おそらくは、ピュオルに来るよりもずっと前から、そういう風に生きてきたのだろう。

 まだ知り合って間もないけれども、そう確信させられた。


 民家前に転がっていた椅子代わりの木箱で、ようやく足を休めることができた。


「それで、何か食べられないものはあるか?」

「え、あー、特にないです」

「そうか」


 リチャードは店主らしき老女に聞き慣れない料理を注文した。色あせた縁飾り入り頭巾で頭を覆う老女は、大陸語でにこやかに注文を承った。

 椅子代わりの木箱と、樽の上に板を置いただけの食卓が、看板もない民家の前にいくつか並んでるだけは、そうと知らなければ飲食店だと気がつかなかっただろう。

 マクシミリアンが乗ってきた商船は、すでに港を離れていた。それほどこの島が恐ろしいのか。なぜか、笑えなかった。

 チャールズは、数軒先の一回りほど大きな家にしか見えない総督府に一人で向かった。どうやら帰りの船の相談に行ったらしい。船を出すと、彼はこともなげに言っていた。けれども、言うほど簡単なことではないのだと、マクシミリアンは知っている。交易都市リセールで、四隻の大型船の船主でもあるのだから、船一隻を動かすのにどれほどの人手がいるのか当然知っていた。いくら元総督とはいえ、すぐに人を集められるわけではないはずだ。


(そういえば、俺、帰りのことはまるで考えていなかったな)


 チャールズとリチャードに会えればなんとかなるだろうと考えていたのは事実だ。だからこそ、チャールズに拾ってもらえなかったらと、今さらようやく無計画さを痛感した。

 おそらく柑橘類かなにかの果汁(だと思いたい)を薄めたものを口にした彼は、独特な酸っぱさのあとに来た苦味に顔をしかめる。同じものを口にしたリチャードは、彼の反応がおかしかったのか、吐息をするようにかすかに笑うと「ところで」と話しかけた。


「チャールズは言わなかったが、君の妻の手紙がなくとも、わたしたちは君が来ることを知っていた。ああいや、正確にはわたしたちに縁のある者だがな」

「え?」


 何の話か、すぐにわからなかった。というよりも、


「失礼ですけど、意外とよく喋るんですね」

「チャールズがいないからな」


 またしても微かに笑う。どうも、このリチャードの笑いのツボはわかりかねる。たしかにチャールズに比べれば無愛想だけれども、決して人嫌いというわけではないのだ。


「それで話を戻すが……」

「え、ああ、俺が……じゃなくてあなたたちに縁のある者が来るのを知っていたというのですよね。……どういう意味ですか?」

「そのままだ。このチェチェにアウルたちが告げた」

「アウルたち?」


 リチャードの隣に座るチェチェは、まだご機嫌斜めのようで、マクシミリアンと目が合うと、プイッと頭ごと視線をそらしてしまう。そのくせ、マクシミリアンのことが気になってしかたがないのだろう。すぐに琥珀色の視線は、マクシミリアンのほうへと戻ってしまうのだ。嫌われるようなことをしてしまっただろうかと、チェチェに直接尋ねたかった。けれども、片言の大陸語のチェチェから上手く理由を聞き出せる自信がなかった。

 むくれているチェチェのクリクリの坊主頭を、リチャードは軽く撫でた。


「チェチェはアウルの声を聞く者として、アウルム族に大事に育てられた子だった」


 リチャードは、マクシミリアンの疑問に答えるよりも先に、チャールズが息子同然だと紹介したチェチェの生い立ちを話し始めた。


「ピュオルは、複数の民族から成り立っている。アウルム族は、その中でももっとも閉鎖的でもっとも古い民族だった。このピュオル島の北西の小さな島にアウルム族は住んでいた。アウルム族は、アウルと共に生きることを信条としてきた。わたしは、彼らを含めたピュオルで広く使われている言葉を、少しは話せているつもりだ。だが、アウルにふさわしい大陸語がない」

「そもそも概念がない、ということですか?」

「わたしが充分に理解できていないだけかも知れないが、未だにどうすれば上手く説明できるか、わからない言葉だ。アウルは至るところに存在し、命そのものであり、世界そのものである。目に見えるものはもちろん、目に見えないものにも宿る光であり陰である。……こう聞いただけでは、理解不能だろう?」

「たしかに、なにがなんだかさっぱり」

「言葉で説明するのは難しいが、感じて理解することはできる。本来なら、お前もアウルたちの声を聞くことができるはずなのに届いていないと、チェチェはがっかりしている」

「はい?」


 アウルム族の話だと思っていたら、急に自分の話になってマクシミリアンは戸惑う。


「マクマク、アウルンコーガー、チェチェ、待っテた」

「待て待て、全然話が見えない!!」

「だろうな」


 リチャードが苦笑していると、料理が運ばれてきた。大きな素焼きの器にこぼれんばかりの魚介のスープ。なんともスパイシーな匂いは、多少の食欲を誘うけれども、魚はもちろん、海老や貝に海藻などなど、とにかくこれでもかと海の幸がぶちこまれた真っ赤で湯気がたっている。大きなスプーンを掴んだまま、マクシミリアンはしばし固まってしまう。


(え、これ、殻ついているし、魚の切り身も、スプーンに乗らないよな)


 戸惑いちらりと向かいの二人をうかがうと、なんと手も使って豪快に食べているではないか。


「……」

「熱いうちに食ったほうがいい」

「冷めル、まずい」

「あ、はい」


 スープに使ったものを手で掴むのに抵抗があるけれども、食べるしかないのだろう。


(これで本当に不味かったらどうしてくれようか)


 なかばヤケクソで、マクシミリアンは真っ赤な魚介スープに手をつける。


 美味とはとても言えないけれども、思ったよりも不味くはなかった。ただ、たまに食べるのは構わないけれども、普段から食べていたいとは思わなかった。これは、慣れるものだろうか。

 真っ赤な魚介スープを黙々と食している間に、客が増えた。同じように、軒先の木箱や樽の上で食べていく客よりも、手持ちの壺などで持ち帰る客のほうが多いようだ。

 大抵の客は、リチャードに気がつくと頭を軽く下げる。中には、「こんばんは」と声をかけてくる者もいた。リチャードは鷹揚にうなずくだけだったけれども、相手はなんの不満もないようだ。これが当たり前なのだろうと、マクシミリアンは悟る。そして、どうにも気になることが一つあった。


(ハゲが多くないか)


 多いどころか、誰も彼も髪がない。女はみな頭巾を被っているから確かではないけれども、おそらくは彼女たちも髪がないのだろう。

 マクシミリアンが見慣れない大陸人だからというのもあるだろう。けれども、チラチラと向けられる視線のほとんどが、彼が一つに結わえている豊かな黒髪に向けられている気がしてならないのだ。

 慣れない食べ物にマクシミリアンが悪戦苦闘している間に、リチャードは食べ終えた。


「アウルンコーガーとは、アウルの寵児――アウルに愛されし者という意味だ」

「へ? あ、そうなんですか」


 彼の唐突な話に、マクシミリアンは数度瞬きをして食前の話の続きなのだと理解する。


「あの、そのアウルてやつがさっぱり理解できないんですが」

「チェチェといれば、そう遠からずわかるだろう。アウルム族では、英雄の素質があるとされていた」

「英雄? 俺が?」

「過去のアウルンコーガーがみな英雄だったわけではないらしいがな」


 そこは重要ではないと、リチャードは言う。重要なのは、あくまで生まれつきアウルに愛されているということだと。


「アウルに愛されているということは、アウルが力を貸してくれやすいということだろうな。実をいえば、わたしも少しはアウルの力を借りることができる」

「リチャード、アウルたちニ隠してもらう!」

「姿を隠してもらう?」


 突然、チェチェが口を挟んできた。どうやら、マクシミリアンが思うよりも大陸語を理解しているようだ。


「昼間、チャールズとビリヤードをしている間、わたしに気がつかなかっただろう」

「あ……」

「気がつかなくて当然だ。わたしは初めから座っていたが、アウルたちに姿を隠してもらっていた。せいぜい一時間が限界だが、居留守をよそおうのには充分役に立っている」

「ヤスヴァリード教の治癒に代表される『奇跡』に似た能力ということですか」

「まぁ、今はその理解でいいだろう。人智を超えた行いという点では同じだからな」


 ヴァルト王国以外の大陸西部で根付いているヤスヴァリード教の一部の信徒に授けられた大いなる神の加護。手をかざすだけで病を治す『奇跡』のような能力なら、彼も実際に見たことがある。


(そういう不可思議な能力だから、昼間リチャードの姿が見えなかったのか)


 ピュオルは謎めいた奇妙な国だとされているならば、その程度のことはあってしかるべきだと、マクシミリアンは納得する。


「マクマク、もっとスゴいコトできル! チェチェ、教える! チェチェ、大陸語、イッパイ話す! ガンバる!」

「あ、ああ、うん」

「マクマクもガンバる! やったぁ」

「うん、頑張、る?」


 先ほどまでふてくされていたのが嘘のように、チェチェはキラキラ目を輝かせている。

 完全に理解したわけではないのに、チェチェの輝かんばかりの笑顔につられるがまま、首を縦に振ってしまう。神の加護などに頼らずに人が人の力で生きることを矜持としている神なき国の彼には、そそられる話ではなかった。興味深い話ではあったけれども、ほとんど他人事だった。


(俺のペースを乱すのは、チャールズとリチャードだけではないようだな)


 悪い気がしないのが困ると、マクシミリアンは苦笑する。

 珍味な魚介スープをどうにか平らげた彼に、リチャードはなぜか咳払いをして居住まいを正す。なにやら髭面に似合わない緊張感を漂わせてきた。


「話は変わるが、わたしは個人的にお前に尋ねたいことがある」

「なんでしょうか?」


 ただならぬ雰囲気に飲まれてマクシミリアンは、手にしていたコップを食卓に戻す。


「新作はまだ出ないのか?」

「はい?」


 マクシミリアンは、何を言われたのか理解できなかった――のではなく、理解したくなかった。背中に嫌な汗が吹き出る。聞き間違いであってほしい。リセール公が道楽で小説を書いていたことは、本当に本当に一握りの人しか知らないことなのだ。そして、その一握りの人たちは、なぜか彼の新作を心待ちにしている。特に王妃ジャスミンの熱意には、裸足で逃げ出したくなるほどだ。


(いやいや、まさかそんなはずはない。今日が初対面も同然のリチャードが、俺の趣味を知っているはずがない)


 聞き間違いだと言い聞かせるけれども、リチャードは無慈悲な決定打をさらっと口にした。


「リリー・ブレンディ大先生の新作は、まだなのかと尋ねている」

「………………」


 ふざけた筆名を耳にした途端、マクシミリアンの胸中は凄まじい嵐が吹き荒れた。

 ピュオルに到着してまだ一日も経っていないというのに、これでもかというほど衝撃を受けてきた。けれども、これほどダメージをともなう衝撃的な話はなかった。


「なぜ、え、どうして、なんで……」

「マクシミリアン・ヴァルトンがリリー・ブレンディという筆名で小説を書いているのを知っているのか、か?」


 混乱し、うまく言葉にできないマクシミリアンの疑問を、リチャードはかなり正確にくみとってくれた。彼はぶんぶんともげる勢いで首を縦に振った。


「チャールズが言っていただろ、コニーがお前の成長記録を一方的に送り続けてきたと。可愛い可愛い甥が書いた小説だと、嬉しそうな手紙を添えて送ってきた」

「叔父上ぇえええええええええええええええ!!」


 なんてことをしてくれたんだ。


「チャールズは読書を好まないから、ほとんど関心持たなかったが、わたしは好きだぞ、お前の小説」

「いやいやいやいや……」


 おかしいだろう。


「俺が書いたのは、全部百合小説だぞ!!」


 マクシミリアンの長く濃厚な一日は、まだ終わらない。

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