非情の双子王子

 先攻を譲るというチャールズの言葉に、マクシミリアンは甘えることにした。


(勝てる気がしない)


 ビリヤードはできることはできるけれども、進んで興じるほど好きではなかった。社交界で誘われても、親しくなければ断るほどだ。

 下手というわけではない。どちらかといえば、そこそこ腕は立つ。あのジャックとは、五回に一回は勝てるほどの腕だ。

 そんな彼だからこそわかる。


(全部、ヴァルトの高級品じゃないか)


 ビリヤード台もボールもキューも、彼が育った柊館の遊戯室にあるものとなんら遜色ない代物だった。他の調度品は、実用性重視だというのにだ。

 国内で購入するだけでも、民家二軒は余裕で買える金額だというのに、こんな離島にまで輸送するのに一体どれほどかかったのだろうか。

 ビリヤードがかなり好きでなければ、こんなことできるはずがない。

 脳裏をよぎったのは、明晰王コーネリアス。彼は体が弱いからか、数多のボードゲームやカードゲームを極めていた。特にチェス。彼の棋譜集はチェスを嗜む者なら一冊は持っていると言っても過言ではないほどの、名プレイヤーだ。

 そんな明晰王の実の兄ともなれば、ただ好きというわけではないだろう。

 おかげで勝てる気がしないけれども、まったく勝機がないわけではない。

 五ゲーム先取した方が勝ち。先攻は、すべてこちら。

 ブレイクショットから9番ボールを落とすまで、チャールズにショットさせなければいい。

 チャールズに負けたとしても、まだ会っていないリチャードがいる。


(やっぱり勝てる気がしないな。だが、やれるだけのことはやろう)


 マクシミリアンは、ボールを並べ終えキューを構えた。


「ナイスショット!」


 チャールズが拍手しなければ、ガッツポーズしていただろう。そのくらい、いい位置にボールを散らせた。

 これならいけるとほくそ笑んだとおり、二ショットで9番ボールを落とせた。最初のゲームは、マクシミリアンの物となった。

 けれども勢いに乗りたかった二ゲーム目は、早々にチャールズのターンとなってしまった。


「俺は手加減ができない。悪く思うなよ、なんといっても非情の双子の片割れだからな」


 そう言ったチャールズのショットは、マクシミリアンの想像に違わなかった。これほど鮮やかに魅せるショットができる者が、王国にいったいどれほどいるのだろうか。


「叔父う……コーネリアス叔父上は、あなた方のほうがよほど情が深いと言っていましたが」

小さなコニーリトルコニーがか? フン、よく言うよ」


 この短い間で、チャールズについてマクシミリアンにもわかったことがある。

 口から生まれたのではというほどよく喋るけれども、人の話を聞かないわけではないということ。マクシミリアンが話かければ、ちゃんと答えるのだ。それに、空気が読めないわけではなく、口を閉じるときはちゃんと閉じることができる。現に、マクシミリアンのターンの間、構えてからショットし終わるまで一切喋らなかったことに気がついた。逆に、うっかり口を挟んだ自分が情けない。


「情がなくては国を治められんだろうに、よく言う」

「あなたも、ピュオルを治めていたでしょう」

「おいおい、大陸の大国と流民の吹き溜まりを一緒にするなよ。……お前、案外遠慮がないな。ウィル兄を思い出すよ」


 ずいぶんわざとらしく大げさに鼻を鳴らして、チャールズは二ゲーム目を物にした。

 クリストファーに似ていると言われたことはあっても、ウィリアムに似ているようなことを言われたのは初めてだった。

 父に似ていると言われるのは複雑だったけれども、父の兄弟にと言われるのはもっと複雑だった。


(俺が遠慮なく物言えなくては、手練の顔役たちの相手が務まるわけがないだろうに)


 特にフィリップ・グッドマンに遠慮しようものなら、たちまちリセールを追い出されるだろう。

 チャールズに負けてもなんとかなるはずだとたかをくくったおかげか、三ゲーム目は一ゲーム目と同じようにマクシミリアンが勝った。

 四ゲーム目。早々にチャールズにターンとなってしまった。


「なぜ、俺とリチャードが非情の双子王子と呼ばれるようになったか、知っているか?」

「ナハル暴動鎮圧で、女子供でも平然と斬り捨てた。……と、聞いてますが」

「正解だ。武装蜂起した時点で、殺られる覚悟くらいしておくべきだろうに」

「……」

「お前なら、どうする? 女子供が刃を向けてきたら、大人しくやられるべきか?」


 マクシミリアンには、少々不愉快な問いだった。


「女子供だからという前提が、そもそも間違っている」

「ほう」

「認めたくはないが、女子供でも武器に慣れた者もいる。彼らなら、あなたの言う殺られる覚悟もできているでしょう。だが、あなたの言っているのは、歪んだ思想に傾倒した先導者にそそのかされた罪なき民だ。女子供でなくとも、男でも、情けをかけるべきです。大人しくやられないよう、やり方があったはずだ」

「こちらに情けをかけない者にも、情けをかけろと?」

「もちろんです。あなたは、そういう立場にあったのですから。あなたも先ほど言ったではないですか、情がなくては国を治められないと」


 マクシミリアンにしてみれば、当たり前のことすぎる話だった。


「あなたは、情けをかけてこない者には、情けをかける必要はないと考えているようですが、あなたから情けをかければ、相手も情けをかけてくれるとは考えなかったのですか」

「なるほどねぇ……」


 意味深長に笑って、チャールズは四ゲーム目を終わらせた。

 二勝二敗。やはり、チャールズにショットさせると負ける。

 どうにも同意しかねる話のせいで、五ゲーム目のブレイクショットは失敗した。


「実はな、クリス兄にも同じこと言われたんだよ」

「え?」


 ドクンと心臓が大きく脈打った。


「ま、正確には、情けをかけろじゃなくて、民を愛せ、だったけどな」

「…………そ、それで、なんて答えたんですか?」

「ん?」


 むず痒さを誤魔化すそうと変に焦ったせいか、声が少し上擦ってしまった。父に似ていると言われて、こんな気持ちになったのは初めてだった。

 キューがボールを撞く音がやけに響いて聞こえたのは、おそらく動揺しているからだろう。


「さぁな、忘れた。ほら、お前の番だ」

「あ、はい」


 そして、チャールズは初めてミスをした。せっかくのチャンスだったというのに、マクシミリアンはまた負けてしまった。


「未熟なクソガキだったのさ。もともと素直な質じゃなかったが、あれでますますこじらせちまった」

「こじらせた?」

「ああ、そうだ。アホみたいに、こじらせたな。非情で結構って、意固地になって、ツンツン尖って、わかりやすくクソガキだった」

「…………」


 これはつまり、『非情の双子王子』は彼らの黒歴史だったということだろうか。


(暴動鎮圧のときは、まだ十代だったはず)


 そういうことなら、思っていたのと違うのも納得できる。

 けれども、マクシミリアンの期待はあっさりと裏切られる。


「ま、俺たちは今でも同じ判断をするだろうよ。悪意には悪意を。敵意には敵意を。情けがなければ情けをかけない。その逆は……まぁその時の状況と気分次第だな。少しは丸くなった自覚はあるが、幼少の頃に欠けた根っこの部分は変えようがない」


 口調は変わらないのに、なぜこうも冷淡に聞こえるのだろうか。


「ならなぜ、俺を助けたりしたのですか?」

「本当に知りたいなら、勝てばいい。勝って、俺に尋ねればいい。だから、さっさと次のゲームを始めろ」

「……そういえば、言うことを聞く回数は決めていなかったですね」

「お、やっと勝つ気になったな」


 二勝三敗。

 まだ、勝機はある。そう言い聞かせて、マクシミリアンはキューを握りしめる。

 けれども気持ちを新たにしたからといって、急に腕が上がるわけではない。

 気がつけば、二勝四敗。


(やはり、勝てなかったか)


 まだ負けたと決まったわけではないけれども、マクシミリアンはこれが最後のブレイクショットになると決めつけていた。

 何を要求してくるのか、さっぱりわからない。少なくとも、今すぐ追い返されることはないだろうし、理不尽なことは要求しないと思いたい。

 チャールズが何を言おうとも、やはり彼は非情な男ではない。

 かつてはどうだったかわからない。けれども、マクシミリアンには『非情の双子王子』という異名にふさわしい言動をとろうとしているように見えた。彼自身、『リセールの伊達男』の異名に沿うように服装に美容にそれなりの金をつぎ込んで、気を遣っているように。


(『非情』など、面と向かって呼べないような異名に執着しているのか。……俺には理解できない)


 彼と弟のリチャードが『非情の双子王子』などという、マクシミリアンにしてみれば不名誉な異名に固執する理由に胸を痛めることになるのだけれども、それはまだ先のこと。


 もうすでに負けた気になっているマクシミリアンだったけれども、手を抜くことなど、考えもしなかった。これまでも、彼はただの一度も手を抜かずにキューをボールを撞いてきたのだ。


「ナイスショット!」


 チャールズのかけ声に、いけると思った。

 けれども、なにごとも思い通りにならないわけで、次でもうミスをしてしまった。

 負けた気になっていたけれども、ガックリと肩を落としてしまう。


(ジャックなら、勝てたかもしれないな)


 チャールズの番だ。これまで、彼はすぐにキューを構えていた。けれども、今回は違った。


「リチャード、代わってくれ」

「え?」


 彼が何を言ったのか理解が追いつく前に、パタンと本を閉じる音が耳に届く。

 音がしたほうを振り向くと、チャールズとまったく同じ出で立ちの男がチェチェの隣に座っていた。


「え?」


 いったい、いつの間に。

 マクシミリアンの記憶が確かなら、ソファーに座っていたのはチェチェだけだ。

 その男――リチャードは、面倒くさいと言わんばかりの緩慢な動きで、チャールズからキューを受け取る。


「もう満足したのか」

「いんや、俺一人だけ相手するのも、どうかと思ってさ」


 ニヤリと笑うチャールズに、リチャードは軽く首を横に振って無言で(呆れた奴)と彼をなじる。


「あ、あの……」


 何がどうなっているのか。


(絶対にいなかった。絶対に来たら気がついたはずだし、え、なにこれ、というか、交代?? いやいや……え、えぇ)


 激しく混乱するマクシミリアンをよそに、リチャードはビリヤード台をざっと見渡すとキューを斜めに立てて構える。

 まさかとマクシミリアンの背中に冷や汗が伝う。


「ナイスショット!」


 ボールがポケットに落ちると同時に、チャールズのかけ声が響く。


 そう、そのまさかだった。

 邪魔なボールを飛び越え当てたボールで9番ボールを当てる。鮮やかなジャンプショット一つで、リチャードは早々とゲームを終わらせてしまった。

 もはや何がなんだかわからず、マクシミリアンは呆然とするしかなかった。そんな棒立ち状態の彼に近づいたリチャードは、黙って彼の手からキューを取り上げて片付ける。


「あ、どうも……って、え、今のなしですよね。なしですよね!!」


 はっと我に返ったマクシミリアンは、抗議した。言いたいことは、他にもあるけれども、まずはこのゲームを無効にしなくては。

 交代するなんて、ルール違反だ。

 気色ばむ彼に、リチャードは憐れみの眼差しでため息をつく。


「チャールズ、こいつ、クリス兄さんより真面目すぎる」

「いじりがいがあるってもんだろ。ああ、遅くなったが、こっちが俺の双子の弟のリチャード。見てわかると思うがな。俺と違って無愛想なやつだが、ま、気にするな」

「どうも」

「ど、どうも、マクシミリアンです。……じゃなくて、さっきのゲーム、なしですよね!」


 どうも、まるで子どものようにムキになっているとわかっていても、どうしようもなかった。

 ケラケラと笑うチャールズに、出会って間もないというのに何度腹を立てたことか。


(なのに、憎めない)


 それが、一番悔しい。

 子どもじみた振る舞いを許される安心感とでも言えばいいのだろうか。

 今にも地団駄を踏みそうな彼に、チャールズは笑うのをやめた。


「それで、わざわざ海を渡ってきた理由、聞かせてもらおうか」

「……は?」


 なぜ、今それを問うてくるのか。

 マクシミリアンは、あまりの脈絡の無さに、またしても混乱させられた。そんな彼を、リチャードはますます憐れんだ。


「深く考えるな。チャールズが言っていた、勝ったほうがどうのとかは、本気にしなくていい」

「は?」

「悪いな、こいつはただビリヤードがやりたかっただけだ」

「ま、そういうことだ。だから、そもそも勝ち負けとかどうでもいいじゃないか」


 少しも悪びれないチャールズに、マクシミリアンは黙っていられなかった。


「は? はぁああああああああああああああ! ふざけすぎだろぉおおおおお!!」

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