駄目男の憂鬱

 結局、用意してくれていた軽い昼食を断り、マクシミリアンは気が進まないまま馬車に乗り込んだ。


 うじうじとくだらないことで悩んでなければ、三月のリセールの景色を楽しむこともできたかもしれない。

 世間がもてはやすほど、マクシミリアンは明朗快活な男ではない。むしろ、ほど遠いとすら彼は自己評価しているくらいだ。明晰な頭脳の持ち主だったコーネリアスから、その頭脳の片鱗を譲り受けた従弟のジャックとは違い、自分はなんの才能も持ち合わせてはいない。周りに優れた人材がいてくれているから、リセール公を名乗れているのだと思っている。周りの人間に言わせれば、優秀な人が集まってくるのが、すでに才能なのだけれども、持ち前の自己肯定感の低さのせいでどうにも受け入れられないままだった。

 本来なら、今ごろ花の都アスターで舞踏会やら茶会を楽しんでいたはずなのだ。それが、国王の余計な気遣いのせいで例年よりもふた月は早くリセールに戻ってくる羽目になった。


(いや、ジャックは悪くないな。あの親バカは心から気遣ってくれたわけだし……)


 結局、うじうじと悩む自分が悪いのだと、嫌気がしてきた自分から逃げるように目を閉じる。


 うじうじと悩むきっかけが妻の妊娠にあるというはっきりとした事実すら、彼は認めたくないのだ。原因すら直視できないのに、どうして悩みが晴れるというのだろうか。

 去年の三〇歳の誕生日に、マクシミリアンは妻のデボラから妊娠を告げられた。結婚四年目。待ちに待った嬉しい知らせだった。今までにないくらい最高の誕生日祝いだった。とても嬉しかった。とてもとても嬉しかった。

 王族と町娘という身分の壁を乗り越えた大恋愛の末の結婚だった。リセール中が二人の結婚を祝福した。それこそ、前年の国王の結婚よりも盛大に。

 待ちに待ったリセール公夫人の懐妊は、あっという間にリセール中に広まり、祝福の言葉を雨あられと浴びせられた。

 そんなお祝いモード真っ盛りの頃に、新年節前から始まる社交シーズンのために、マクシミリアンはアスターに行かなければならなかった。

 デボラを連れて行くわけにはいかなかった。

 妻を残していくことに思うことがなかったわけではない。けれども、地方の貴族にはよくあることだったので、マクシミリアンは予定通りアスターに向かった。

 そのアスターでも多くの人々からも祝いの言葉をもらった。

 特にジャックは我がことのように、喜んでくれた。すでにアーサーと、(偶然に違いないけれども、マクシミリアンが嫌がらせかと耳を疑った)フィリップという名の二人の王子の父であるジャックが、三人目の我が子ができたかのような喜びように、王妃のジャスミンが若干呆れたような顔をしていたほどだった。

 国王の機嫌を取りたければ、王子の話をすればいい。などと一時期噂されていたことからも分かるだろうけれども、ジャックは自他ともに認める親バカだ。しかも、王子の話は機嫌取りの最終手段とすぐに噂が変わってしまうほどの、大の親バカだ。なにしろ、アーサーとフィリップの話を始めたら、長いこと長いこと。一昼夜どころか、放っておけば三日三晩は語り続けそうだと、げっそりとやつれた被害者たちが真剣に言うほどだった。

 そんな親バカなジャックと比べるのが、そもそも間違いだとわかっている。わかっているけれども、


(あれ、俺、子どもできて嬉しくないのか?)


 などと、ちらっとでも考えてしまったのだった。


 社交シーズンでもっとも重要な新年節の祝賀の中で、上機嫌に酔っ払ったジャックにこう言われてしまった。


従兄上あにうえ、今年は早くリセールに帰ったらいい。少しでもデボラと一緒にいたほうがいい。そうだ、それがいい!! 国王命令だ、新年節が明けたら一日でも早くリセールに帰れ」


 国王命令云々は、もちろんその場のノリとか、冗談だったのだろう。次から次へとジャックに英断だのなんだのと、周囲がこぞって称賛するうちに、マクシミリアンは拒否する機会を失ってしまった。

 ジャックが気遣ってくれたのは、わかっている。ジャスミンが妊娠していたときの彼の言動を思い起こすまでもなく、彼にとっては当たり前の気遣いだと。


(四月までアスターにいる予定だった俺が、おかしいのか)


 妻や家族を残してアスターに行くのは、珍しいことではなかったはずでは。


(もしかして、俺は父親失格なのでは)


 一度悩みだすとずっとうじうじ悩むのは、よくないとわかっている。

 そこまで悩む必要はないと理解しているのに悩んでいる自分に悩み始めるから、たちが悪いのも、自分の短所としてよくわかっている。すぐにネガティブな思考に囚われてしまう。そうならないように、リセールの伊達男として振る舞い虚勢を張っている。

 リセールの伊達男ともてはやされるようになったのは、妻のおかげだった。

 父親失格などとよからぬ考えがよぎったあとで、そもそも父親も母親もどういうものか知らないのだと気がついた。

 物心がつく前に、両親は暗殺されて、叔父のコーネリアスの庇護のもと、育てられた。世間からみれば、コーネリアスが父のようなものだった。実際はそうでもなかった。コーネリアスは、あくまでもマクシミリアンを甥として育てた。敬愛する長兄の遺児として、次期国王候補として、それはもうよくしてくれた。時折、実子のジャックよりも大切にされているのではと感じることもあったほどだ。コーネリアスから受けた愛情はたしかにあった。けれども、コーネリアスは叔父と甥という関係に最後までこだわり続けたのも、またたしかなことであった。

 実の父母を知らずに育ったのは自分だけでないことは、わかっている。困窮したこともなく、何不自由なく育った。そんな自分には、贅沢な悩みではないかとも思う。


(俺は、子をちゃんと愛せるだろうか)


 先月、リセールに戻ってきても、ずっと悩み続けている。

 そんな自分が嫌でたまらなく、妻のいる領主館を避けて、行政庁舎にこもってしまった。仕事を探して打ち込んでいる間は、うじうじ悩まずにすんだ。

 最後の方は、悪あがきのように、数年前に考えついた新しい住民税の草案を作った。時期尚早とわかっていたけれども、理解して協力してくれる可能性に期待して、見事になかったことにされてしまった。


(…………まったく何をやっているんだろう、俺は)


 つくづく自分が嫌になる。

 これでは、リセールの駄目男ではないか。




 ――――ィン


 かすかな鈴の音で、マクシミリアンは目を覚ました。

 どうやら、いつの間にか寝ていたらしい。

 夕闇がせまる窓の外に目をやれば、領主館のすぐ近くまで来ていた。思いの外、時間が経っている。

 窓に映る顔は、行政庁舎を出たときより幾分マシになっている。

 安堵の息をついて、彼は襟元を緩め首から下げていた細い金の鎖を手繰り寄せる。

 鎖の先にあったのは、小指の爪ほどの大きさの金の鈴だった。くすんでいるものの、愛らしいその鈴を軽く振る。けれども、何の音もしない。耳元に持っていって振るけれども、やはり鳴らない。

 しばしの間、リズムを刻むように耳元で振り続けた彼は、フッと笑う。

 鳴らないとわかっているのに、無心になって振り続けていたことが、なんだかおかしかった。

 両手で包み込むと、温かい。当たり前だ。ずっと肌身離さずにいるのだから、自分の体温で温まっているに決まっている。

 それでも、なぜだか心がほんわりと温かくなるのだった。


 なぜ、こんな鳴らない小さな鈴を身につけるようになったのか、マクシミリアンはまったく覚えていない。

 いつの間にか――いや、物心がついた頃には、すでに首から下げていたような気がする。

 奇妙な鈴だった。

 小さすぎる上に音がしないからか、普段はその存在を忘れてさえいる。

 なのに、彼は時おりこの鈴の音を耳にするのだった。空耳と言ってしまえばそれまでなのだけれども、理屈抜きでこの鈴の音を耳にしたと確信する。これと同じ音がする鈴を探したことが、何度もある。今でも、街なかで――それこそ、細い路地の露天で似たような鈴を見かけると、つい手を伸ばしてしまうのだった。けれども、似た音がする鈴は見つからない。


(まぁそもそも、どんな音か説明するのも難しいしなぁ)


 だから、似た鈴を作らせることもままならない。

 本当に、奇妙な鈴なのだ。

 あえて手放そうとしたこともあるけれども、どうにも心が落ち着かなかったし、なにより安心するのだ。

 時々、マクシミリアンは思う。

 この鈴は、自分を守ってくれているのではないだろうかと。

 荒唐無稽な話だけれども、そう思うのだった。


 領主館の玄関で馬車が止まる。

 元の服の下に鈴をしまったマクシミリアンは、ため息をついて体を起こす。

 結局、悩みを抱えたまま帰ってきてしまったのだ。気が重いままで。

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