第18話「大陸の目」③

   ■□■


 グロリアが示したのは、乾燥地帯の一角にある洞窟だった。

 出入口は低く、かろうじて人が入れる程度の高さしかない。内部も同様だが大きく奥まで広がっているらしく、足音が暗闇に反響する。

「このまま入るのか?」

 外の明かりが届く範囲内だけ探索したキーンが戻ってくると、ジャンは洞窟の入口付近に馬車を移動させていた。そこは自然の風化で崖が屋根状に削られ、周囲には低木が茂っているので遠目には馬車があるようには見えない。

「んー、そうしたいところだが、帰りをどうするかだ。行ってここへ戻って来られるのが一番いいが。そうでないなら馬を放してやらないとな。けどそうなると、俺たちの足がなくなる」

 周囲は見渡す限り、砂と岩と灌木ばかり。一番近い人家がメレネロプトになり、そこまでなら徒歩で戻れる。けれど市内の混乱が外輪街まで広がっていた場合、そこで次の足を入手することは困難になる。

 しかも脱出することを優先したため、水や食料の備蓄は少ない。ここで馬車という移動手段を失った場合、メレネロプト以外の町や村まで進むのはかなり厳しい。

「グロリア、そのへんはどうなんだ」

「えーっと、多分、大丈夫だと思うけど」

 探索にかかる時間は不明だが、グロリアによると、この洞窟の奥から目的地へつながるよう穴をあけたので、何事もなければ往復で数時間程度だという。

「なら、こいつらにはここで留守番してもらうか」

 言いながら、ジャンは馬車から二頭の馬を外す。留守番と言いながらなぜ手綱を外すのかとキーンが疑問符を浮かべると、ジャンは馬の首を軽くたたきながら答える。

「草は綱を長めにしておけば勝手に食うだろうけど、水は飲ませておかねえとな」

 あ、と当たり前のことに気がつく。周囲を見回しても水場らしきものはない。そして荷の中にある飲料用の水は、馬二頭を満足させるほどの量はなく、すべて与えてしまうと自分たちが干からびる。

「このままだと、帰る分も足りなくないか」

 脱出の際、そこまで考えている余裕はなかった。けれどジャンは慌てることなくある方向を指さす。

「川がここから北へまっすぐ行ったところにある。地図にも載ってるし、反応もある」

 さっき調べた、と懐から漢字の書かれた木の円板が重なった不思議な道具を出してくる。水脈や鉱脈などを調べるのに使うものだと説明してくれた。そして、周辺地図にも確かに川の記述がある。

「なら、俺が行って来る」

 地図から見て、距離は大したことはない。ジャンも助かる、と言ってくれる。キーンが馬を連れて出ている間に装備を確認すると言って、木箱を開けはじめた。

 馬を預かると、ティエンが顔を出す。

「我も行くぞ」

「大丈夫だ。それに、乗ってった方が早いから」

 むう、とティエンが不服そうな顔をする。だが人の形をした刀剣には手がない。手綱を握ることも、馬を操ることもできない。キーンの後ろに載せればいいのだろうが、しがみつく手がないのも危険だ。

 そのあたりは説明せずとも理解できたのか、代わりに鏡に似たかけらを渡してくる。少女の身体の一部だ。

「危なくなったら呼べ。いや、声は届かないから、とにかく何かしろ」

「わかった、ありがとうな」

 光を反射するかけらを伴い、キーンは馬を連れて出る。

「いってらっしゃい」

 グロリアは穏やかに笑って見送ってくれる。後ろでジャンが、手伝え、と愚痴をこぼしているのを尻目に馬に乗った。


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 一頭に乗り、もう一頭の手綱は鞍に結び付ける。乗っている馬の腹を軽く押すと歩き出し、つないでいる馬も素直についてきた。

 キーンは到着地点の岩山を見失わないよう何度も振り返って自身の位置を確認しながら進む。だが迷う暇もなく、周囲の景観が変わりはじめる。砂と岩ばかりだった大地にわずかだが植物が見え、緑が増えてきたなと感じて顔を上げると、馬に乗って視線の高くなった先で川の流れが見えた。

 馬も喉が渇いていたらしく、むしろ何も指示を出さなくとも少しばかり速足になったので落とされないよう気をつける。

 水辺に近づくと、キーンは馬から降りる。川は幅は広かったが水量は少ない。深いところでも足首が浸かる程度。それでも流れのある水は予想よりもきれいで、ひとくち含んでみたが不快な臭いも舌を刺す刺激もない。

 飲めるな、と思って顔を上げると、馬はすでに二頭とも鼻先を水面に突っ込んでいた。

「たくさん飲めよ」

 軽く身体を叩いてやっても水を飲むのに忙しい馬たちは無反応だった。なので満足するまでの間、キーンはそのあたりを歩き回る。来た方角を見失わないよう気をつけながら、浅い川辺を進んでいく。供はティエンのかけらだ。

 向こう岸のはるか先に、赤い石の群れがあった。風雨で削られたのか表面に筋が入り、オブジェのようにも見える。もう少し近づいてみようか、と川を渡ろうと水に足をつけようとしたとき、不意に気がつく。

 川の流れの先に、動くものがある。遠く、点のように見えたが、キーンと同じく川べりに立ち、水汲みをしている様子だ。獣ではない。荒野の動物は桶など使わないだろう。

「人だ……」

 メレネロプトの住人かと思ったが、水汲みにしては距離が離れすぎている。ジャンはこのあたりはほぼ砂漠化しているので、集落は他にないと言っていたのを思い出す。

 では、あれは何者なのか。

「……スコルハ」

 地図に載らない集落があるとすれば、スコルハが形成するものだろう。部族にもよるが、彼らは基本的に定住することはせず、乾季や雨季、その他の要因で集団ごと移動する。そして、ユージン大陸の中央より西側の沿岸部に入植者の到着はなかったとされている。なので、メレネロプトより西側には昔のままの暮らしを保つスコルハが今も存在している可能性が高い。

 思わず、キーンは近づく。歩を進めるにつれ、点が大きくなり、その足元で何か動いているのが見えた。おそらく犬だろう。馬や牛、羊などの家畜は入植者が持ち込んだが、犬はスコルハと何万年も前から共存し、狩猟や守り手など貴重な労働力となっている。

 先にキーンの接近に気づいたのは、犬だった。灰茶色の毛並みをしており、耳と鼻を盛んに動かしこちらに顔を向ける。その動作に、桶に汲んだ水を持ち上げようとしていたその人物も意識を向けた。

 川を斜めにはさんで互いの距離はまだ遠い。それでもかろうじて顔の造作がわかる程度には近づいていた。予想通り水汲みをしていたのはスコルハで、特徴的な褐色の肌が見える。日よけのためか頭に布を巻き、赤い髪はゆるく編んで後ろにたらしていた。

 若い娘だ。キーンとそれほど年齢は変わらないように見える。娘は身体を低くしてうなり声を上げる犬をなだめながらも視線は外さない。こちらが相手をスコルハだとわかったなら、向こうにもキーンの赤い髪と褐色の肌は見えただろう。それでも見慣れない存在に警戒の色をあらわにする。

 当然だろう。同じ人種でも、スコルハは基本的に部族ごとに習慣どころか言語も違う。

 スコルハという呼び方も、彼らの中では「人間」という意味合いの言葉であり、自身の所属する集団をさす言葉は無数に存在する。

 どうする、近づいて、声をかけるか。

 声をかけて、いつものように髪飾りを見せるか。

 足先が川の流れに近づいたところで犬が吠えた。一度だけだったが、娘の肩がびくりと大仰に跳ね、そこで我に返ったらしく、桶を持ってきびすを返す。

 長く赤い髪が身体の軌跡を追ってひるがえる。

 縛った根元に、金色の輝きがあった。キーンの髪にある飾りと同じように見えた。

「っ、待って……」

 言いかけたが、言葉も足も止めてしまう。娘の足は速く、犬もこちらを警戒して行きつ戻りつしていた。

 キーンは迷う。この川を渡って娘を追いかけるべきか、戻るか。

「…………」

 次への行動も言葉も見つけられずキーンは立ち尽くす。少女の姿が爪の先ほどになるまで呆然と立ち尽くし、陽光の下にあった機械義肢が熱を持ちはじめていた。


   ■□■


「なんで追いかけねえんだよ」

 水をたっぷり飲ませた馬を引いて戻ってきたキーンだったが、先ほどの件を話し終えた途端、ジャンに叱られた。

「その女がおまえの出自に関係する部族の出だとか、そんな都合のいい話があるわけないだろ。けどな、それでも機会を逃したら駄目だ」

「そう、なんだけど……」

 ジャンの言っていることはもっともだったが、あの状況で少女を追いかけることはできなかった。行くにしても、戻るにしても、洞窟で待っている皆の顔が浮かんだ。彼らを放り投げて走り出せなかったのだ。

 しょぼくれるキーンの間にグロリアが割って入る。

「キーンくん、気になるなら戻ってもいいんだよ?」

 ここは大丈夫、と言いかたグロリアを、今度はジャンが物理的に彼女の頭を押さえてさえぎる。

「ここで子供を放り出す方が無責任だろうが」

「い、痛いかな……いやあの、キーンくんのことも考えたら……」

 でも、そうじゃない、と今度は大人同士が言い合いになってしまう。これはしばらく収まらないと場を離れると、今度はティエンがやってくる。かの存在は平行線の意見をぶつけ合う二人を一瞥すると、キーンの側に漂っていたかけらを回収する。

 面倒な事態なので、白い少女も関わり合いになるつもりはないらしい。代わりにキーンに話かけてくる。

「キーンの半身が見つかったのか」

「そこまですごいことじゃあないよ」

「探しに行かないのか」

「……行きたい、とは思う」

 そこは本音だった。

 やはりメレネロプトより西側にはスコルハの部族が存在しているのだ。グロリアとジャンもほうぼうに手を尽くしてくれたが、キーンの出身部族などは不明のまま。幼い子供は親元から引き離されて保護施設とは名ばかりの強制収容所へ入れられ、そこから軍の実験施設へ移送された。その際、死亡したことになり過去の記録は破棄されてしまったのだ。

 髪飾りが残っていたのも、軍の内部資料にたまたまはさまっていただけ。キーンを示す子供の書類に添付されていたのは確かだが、当時、スコルハの強制移動はすさまじく、集められた者たちの貴重品は没収され、衣服から靴に至るまで廃棄となった。民族特有の品は不要なものとして売却か、焼却処理される。

 そのため、残されていた飾りが本当にキーンのものかもはっきりしないのだ。

 口論はすぐに終わり、グロリアが肩を落として戻ってくる。

「キーンくん、これが終わったら、一緒に探しに行こうよ」

 ねえ、とグロリアが下手な笑いを見せる。ジャンはというと、俺は怒っているとばかりに腕を組んで顔をそらす。

「……そのときに、この大陸がまだあればな」

 このつぶやきは、誰の耳にも入らなかった。

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