第17話「大陸の目」②

   ■□■


 内部の混乱は、相変わらず外には波及していなかった。それを幸いに、全員が乗った馬車は行きと同様、難なく走り出すことができた。

 門番が初日に顔を合わせたのと同じ男だったので、中はどうなっているのかとたずねられるも、ジャンは門の手前で荷下ろしをしただけだからわからない、と当たり障りのないことを口にする。キーンも余計なことは言わず、ティエンとグロリアは木箱の中だ。

 といっても、長身のグロリアが入れる箱がなかったため、箱にかぶせていた布を取って中を改められたら見つかっていたが。

「あー、暑い、狭い」

 門から離れたグロリアはずるずるとはい出して来る。服装はかなり簡素なものになっていた。逃げるついでに軒先にかかっていた男物の着物を拝借したのだ。火事場泥棒だが、代わりに代金として、簪を一本置いてきた。

「それで、グロリアはどこへ行きたいんだ」

「んーと……」

 地図あるかな、とグロリアがたずねると、ジャンが出してくるのを受け取って広げる。

「扶桑の探知で調べたんだけど……このあたりかな」

 指さす先は脱出した門からメレネロプトの外周を回ってほぼ反対にある地点で、地図で見る限りは他と同じ乾燥地帯が広がっているだけで、特に何かあるようには見えない。

「ここに何があるんだ?」

「あるというか、入口を開けたんだ」

 ティエン、とグロリアは白い少女を呼び寄せる。

「メレネロプトの地下に、干将がいるよ」

「干将、見つかったのか」

「見つけたというか、まだ予想であって確証はないんだけれど」

 ティエンは雌雄で作られた刀剣で、器物としての名称は莫耶。トラヴァース家が雌の剣である莫耶を所有していたが、雄の剣の行方はようとして知れなかった。その手がかりを求め、グロリアは単身、メレネロプトへ乗り込んだのだ。

「予想でもすごいな」

 どうやったんだ、と直球で疑問をぶつけてくるキーンにグロリアはむずがゆい顔をする。

「莫耶は、赤ん坊だった私と一緒に持ち出された。それなら干将は、メレネロプトに残されたままだと思ったんだ」

 グロリアは干将はほぼ間違いなくメレネロプトにあると踏んでいた。証拠は何もなかったが、逆に言えば、外部へ持ち出された証拠もまた見つけられなかったのだ。

「干将は失われたんじゃなくて、目的のために隠された。おそらくそれが、この大陸が封じられている原因でもある」

 グロリアは祖父が語ったおとぎ話を告げる。

 ユージン大陸へ渡った入植者は迫ってくる病魔におびえ、大蛇を召喚して大陸を囲む防壁とする。その大蛇が逃げ出さないよう、尾に突き刺さっているのが干将だという。

「いきなり規模がでけえよなあ。燭陰、だったか、そんな蛇、本当にいるのかよ」

「そうだねえ、術式という概念を大蛇と表現している可能性もあるけど」

「もしかして、さっきの扶桑の爆発は……」

 会話の展開からひらめいたキーンに、グロリアは照れ笑いを浮かべる。

「書庫の文献を読み漁ってたら、メレネロプトの地下に超巨大な扶桑があることがわかったんだ。だから、それを乗っ取る術式を組んで、探査を走らせた」

 結果、扶桑の探査でグロリアは干将らしい反応を見つけるも、使役された巨木は枯死した。成長に関しては、地下から脱出する手段でもあったので、遠慮も容赦もしなかったのだという。

「無茶しやがって」

 ジャンは嘆息し、キーンは再び何も言えなくなる。

「なので、探査に反応のあった場所へ向かうよ」

 それからグロリアは、メレネロプトに呼び出された理由や脱出へ至るまでの経緯をキーンに語ってくれた。


   ■□■


「双子の姉の夫」

 その段階で情報量が多い、とキーンは投げ出しそうになる。

 移動中の荷台はひどく揺れているが速度は出ていない。そのため楽な服装へ着替えたグロリアは、まるで茶飲み話でもするように頬に指をあてながらゆったりと語る。

「そう、私は黒の一族の生まれで、王族? 貴族? みたいな家柄の子供だったみたい」

 だが双子は縁起が悪いとされ、妹のグロリアは養女に出されることになる。そこで預け先に選ばれたのが、祖父の代までメレネロプトにいたトラヴァース家だ。養女の話が出た段階で、すでに夫婦の元には兄妹が存在していたが、引き取り自体はそう問題なく行われたと聞いている。

「実際、家族には可愛がってもらった記憶しかないんだよねー。もちろん、馬鹿な真似をしたらひっぱたかれたよ。でも、学校の成績が良かったら褒められた」

 それも、グロリアが実家の地下室で莫耶を見つけたことで変化が訪れてしまう。

「それまで方術を学ぶことに両親も祖父も誰も反対はしなかった。けれど、刀から声がするなんて言い出して、独学で扶桑を組んで自立行動できる身体まで作っちゃったら……否応でも、血筋ってやつを思い出しちゃったんだろうね」

 刀剣が自立稼働した件を機に、グロリアは自身の出生と刀の由来について説明を受けた。以降も家族の中での立ち位置は変わらなかったが、両親は末娘の才能と行く末を案じた結果、軍付属の学問所へ入ることを推奨する。

「学問所を卒業して、ハミオン軍で機兵の研究をしてた。そこで、クアール武装蜂起が起こって所属部署が閉鎖になったから、軍の補給部隊に入って……そこからはキーンくんも知ってるとおりだよ」

 偶然が積み重なり、彼らは出会い、住居を共にすることになる。

 二年、と言いながらグロリアは自身の指を折り、これまで過ごした時間の長さを数えた。

「お仕事して、お金貯めて、キーンくんの面倒見て……」

「おい、そこは異論をはさむぞ。キーンの世話をしてたのは主に俺だ」

 御者台にいたジャンから、グロリアのところには寝に帰っていただけだろう、と突っ込まれると、キーンもとっさに反論が出てこない。間違ってはいないからだ。グロリアは家事全般が苦手で、特に食事に関しては腹が膨れたらいい程度。なので、彼女も、あー、と声を出したまま何も続けられなくなる。

「……ごめんねえ、ご飯、美味しくなかったよねえ」

「食べられたから、俺は別に」

「そこ、甘やかすな」

 缶詰と保存食を並べただけの状態は食事とは言わない、とハミオンで安くて美味しい定食を出すことで有名な大衆食堂の店主兼情報屋は口をはさむ。

 しばらくの間、グロリアがいかに保護者としてするべきことをやっていなかったかの糾弾大会となったが、ジャンも八つ当たりなことは自覚していたので、言いたいことだけ言うと、話を進めろと自分で打ち切った。

 事実で殴られたグロリアは情けない顔をしながらも続ける。

「……で、順風満帆に行ってたと思っていたんだけど……やっぱり、生まれって本人にはどうしようもないわけ」

 ある日、ジャンの調査で双子の姉が亡くなったことを知る。

 姉はメレネロプトでは女王に当たる位に就いていた。ただ実子が複数人いるのと、最高権力者の立場は世襲制ではないため、生まれてすぐ放逐されたグロリアが、たとえば権力闘争などに巻き込まれる可能性は五分五分だと考えていた。

 念のため、メレネロプトで生活している生みの親の周囲を探ってもらっていたところ、向こうから接触してきた。それが親の名をかたった姉の夫なのは予想外だったが。

「姉の夫は双子の妹がいると知って、似ているなら替え玉にと思って呼び寄せたみたい」

 無理でしょ、とグロリアはうなだれる。

 結局、メレネロプトの中で姉の写真や似姿といったものを見る機会はなく、容姿の共通点を探すことはできなかった。けれど、衣装部屋にあった丈も色味も合わない着物の数々を見れば、血縁かどうかも疑わしいほど異なっていたのは確かだ。

「なので、夫くんが計画が頓挫したことで自棄になって私を排除する前に、いろいろと調べたり脱走の準備をしてたわけ」

 正確には計画の第二弾もあったようだが、グロリア自身に話を聞くつもりがなかったので詳細は不明。それ以前に、あの邸にいた人間とほとんどまともに口を利かなかったのだと遅まきながら気がつく。

「その脱走計画が、扶桑の暴走だったのか」

 まあねえ、とグロリアの返答は少しばかり気が抜けている。大がかりな方術を行使し、疲弊しているのだろう。

「メレネロプトが方術と血統を大事にするなら、その術式を支えられる大型の扶桑を抱えていると踏んだんだ。けど、邸に軟禁状態だったから場所も調べられないし、見つかったとしても扶桑を調整する道具なんかも全部取り上げられていたからね。割と危機一髪だったかな」

 必要な道具はどうにかして集め、計画が露見しないよう、術式は自分の身体に直接記述する。肝心の扶桑の場所だが、相手が連れて行ってくれるかどうかは、本当に賭けだったのだ。

「自尊心の強い旦那様でよかったよ」

 あの性格なら、扱いにくい女を最後に屈服させるため、自分の能力や権力、あるいは財力などを見せびらかすと踏んだのだ。

「で、計画は成功し、私は脱出できましたとさ」

「そのせいで、メレネロプトはめちゃくちゃだろうな」

「……扶桑自体が思ったよりもよく成長しましてね……」

 さすが太陽が登る木、とグロリアは幌の隙間からメレネロプトの方を見やる。追手を避けるため、外輪街からもかなり遠い位置を馬車は走っている。砂煙の向こうに都市の輪郭がうっすら見えたが、膨れ上がった扶桑までは確認できなかった。

 視線を戻したグロリアに、キーンは問いかける。

「そうまでして、グロリアは何がやりたかったんだ。その、干将を探すためだけじゃあないんだろ」

「ジャンからいろいろ聞いたみたいだね」

 ねえ、と弁を向けてもジャンは聞こえなかったとばかりに無視している。その態度に苦笑いを浮かべながらも、グロリアはゆるんだ笑みを崩さない。

「そうだね、ティエンに半身と会わせてあげたいと思った。けど、それは理由の半分。残り半分はね……すごく、個人的なこと」

「……大陸を、破壊する」

 グロリアは、笑った。キーンの言葉をごまかすためではない。むしろ逆だ。事実だから、笑ったのだ。

「そう、馬鹿な真似をしようとしていることはわかっている。けどね……外を、この大陸の向こうに広がる世界を見たいんだ」

 言って、胸元に下がったシーグラスに触れる。着替えた際、キーンが渡したのだ。革ひもの先に揺れる小さなガラス片は表面が削られ、角が丸くなっている。それを同じ重さの黄金のように見つめる瞳は口に出した言葉とは裏腹に静かだった。

「私の先祖は、この大陸へ逃げ込んだ際に、他のすべてを排除する術式を組んだ。一応、そのおかげで逃げる原因になった疫病を断ち切ることができたらしいんだけど……弊害はあった。封じられた大陸は侵入を阻止する代わりに、出ることもできない」

 入植者が逃げ出すほどに、その疫病は脅威だったのだろう。

 だがその代償として、大陸に住む多くの先住民の命を奪い、残った者たちは閉じ込められた。

「私はこの術式を解除したい。けど、何が起こるかは予測もつかない。それこそ、大陸が壊れてしまうかもしれないんだ」

 グロリアはしっかりとした言葉で言い切るも、わずかに手が震えていた。キーンがその手を注視していることに気づいた彼女は手と手を重ねると、静かに笑う。

「何年も何年も、子供のころから夢見ていたことだけど……調べて、知識を得るうちに、気づいたんだ。私の自分勝手な望みは、他者の生活や、命すら奪うかもしれないって」

 大半の人間は大陸が封じられていることすら気づいていないだろう。自分たちが生きる国や町、あるいは村の一角という狭い世界で生きる分には何も困らないから。

 グロリアの行動は、そんな当たり前の日常を過ごす者たちの足元を崩そうとしているのだ。

「だから、口にするのが怖くて仕方なかったんだ」

「俺にも言うのが怖かったのか?」

 つい、暗に、だから何も言わずに出て行ったのか、と責めているような口調になってしまうも、言葉の裏側を読んだグロリアはふわりと笑う。

「そう、怖かった。でもね、メレネロプトで考えて、思ったんだ。私はキーンくんにすべてを話して、それで罵られても、嫌われても、止まらないだろうってね」

「……だろうなあ」

 ふー、と大きく息を吐く。いつの間にか肩に力が入っていた。幌の隙間から見える景色はあまり変わっているようには思えない。とある場所へ向かっているはずだが、ずっと同じ場所を巡っている気もした。

「俺も、いきなり言われても困っただろうな。けど、グロリアを止められなかったせいで何かが起こるなら……怖いと思う」

「キーンくんに責任を押し付けたいわけじゃあないよ。見逃してくれとも言わないけど」

 茶目っ気のある笑いを浮かべるも、それはグロリアが何かやらかしてごまかすときによくする笑い方だった。逃がすか、と軽くにらみつけると、だめかなあ、とへらへら笑うばかり。

 グロリアという女性は自身の行動が他者にどんな影響を与えようとも、走り出してしまえば止まれないのだ。そのことは二年間でよく身に染みている。

「外を見たいんだろ」

「見たいなあ」

 視線を泳がせ、夢見るように笑う。

 遠く遠く。はるか彼方へ意識も想像力も飛ばし、まだ見ぬ先を思い描いているのだ。

「もう他所の大陸に人類は生き残っていないかもしれない。もしかすると、とっくの昔に疫病を克服して、ハミオンなんかめじゃないくらいの技術革新を進めているかも。あ、方術がすごく進歩している可能性もあるね」

「面白そうだな」

「全部全部、私の想像なんだけどね」

 グロリアの話を聞いているうちに、胸の中が暖かくなる。彼女はいつだってそうだ。全力で走り回って、転んでも起き上がって、常に前だけを向いて周囲を振り回す。

「グロリアの話を聞いていると、いいことばかり起きそうだ」

「そうでもないよ!」

 聞いて、とグロリアは前のめりになって問題点を口にする。

 ユージン大陸以外にも人類が生き残り、外部の方が発展していたとしても、百年の間に生まれたずれのせいで、こちら側の人間は受け入れてもらえない可能性もある。

 または、封鎖によって押しとどめていた疫病が再びユージン大陸へ侵入し、今度こそ人類を根絶やしにするかもしれない。

「すごく大変で、困ったことになるんだよ……」

「どうだろうな。俺が想像できないだけなんだろうけど、そんなに大変かな。だってさ、入植者が来る前は、そもそも封じられてなかったわけだし」

 百年前、入植者はユージン大陸へたどり着き、術式で外部と切り離した。

 それらはすべて入植者が行ったことで、スコルハは彼らが訪れる以前からこの大陸で生きていた。その封印が解かれ、解放されたとしてもそれは百年前の状態になるだけ。

 キーンは思ったままを口にする。

「これで、元に戻るんじゃないのか?」

 へ、とグロリアは呆けてしまう。

「そりゃあ、いろいろと問題が出てくるはずだ。けど封じた人間もとっくにいないだろうからそのままにする理由もないだろ。俺はグロリアがやろうとしていることは、破壊じゃなくて、最初の状態へ戻すことになると思う」

 大陸の封鎖と聞いて、キーンが思ったのはメレネロプトだ。

 詳細を観察できるほど滞在はしなかったが、それでも奇妙なほどに静かで、息苦しいほどの閉塞感を強く覚えた。

 停滞している、そんな気がしたのだ。

 黒の一族は過去にこれと同じことを大陸全土に行った。ただ、広大な土地ゆえに、そこに暮らす人々は自分たちが閉じ込められている不自由さに気がついていないだけ。

 だから、その壁を砕いて飛び出そうとするグロリアが異端になってしまうのだ。

 グロリアの行動が何か恐ろしいものを引き寄せてしまうかもしれないが、同時に、彼女が差し出した手をつかんだときのことが甦る。

 四肢を奪われ、機械の身体になり、それも壊れたことで地に伏せることしかできなかった日々。だが彼女の行く道について行ったことで、再び立ち上がる四肢を手にすることができた。

 グロリアの願いは、久方ぶりに立ち上がることができたキーンが、まるで空が近くなったように感じたときの開放感と似ている気がした。

 それでも、彼女の行動は大多数からすれば正しくはないのだろう。だがキーンもまた、彼女の言う外の世界を見てみたいと思えたのだ。

「キーンくんは優しいねえ」

 腕が伸び、キーンはグロリアに抱きしめられる。耳元で小さく、ありがとう、とささやかれた。

 キーンは黙って機械仕掛けの両腕で抱き返すのだった。

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