別れの朝

ヤン

第1話 別れの朝

 混雑する電車のドアが開き、人がどっとホームへ押し出されていく。流れに身を任せて、階段を降りる。


 階段を降り切るとすぐ横に売店がある。そこが、いつもの待ち合わせの場所だ。今日も町田かよ子はそこに立っており、私に気が付くと笑顔になって、小さく手を振った。


静流しずる。おはよう」


 かよ子は全く屈託がない。今日が何の日かわかっているのだろうか。


「おはよう」


 笑顔もなく、ぼそっと挨拶を返すが、そんな私の言い方にはすっかり慣れているかよ子は、全く気にしていない様子だ。


 いつものように、話しながら学校へ歩いて行った。三月になったとは言え、まだまだ寒い。冷たい風に吹かれて、思わず身を縮める。かよ子は私の腕にくっついてくると、「わー。寒いね」と言った。私は、何も答えずに、前を向いて歩いていた。


 出会ったのは、六年近く前。中学に入学した時だ。同じクラスで同じ演劇部。女子校なので、身長が高い私は、男役をやっていた。かよ子とは、ペアを組むことが多く、必然的に一緒に行動することが多かった。


 いつだったか、部員が書いた作品をやったことがあった。主人公は女子で、かよ子。相手役を私がやった。それが、少女漫画に出てくる男子のように、全くもって、王子様な役だった。


 本番を終えた時、かよ子は満面の笑みを浮かべて言った。


「静流。かっこいいね」


 私・一ノ瀬いちのせ静流しずると言えば、いつもすかしていて、演技以外でほとんど表情を変えない、とされていた。その私が、かよ子の言葉に赤面してしまった。それを見られたくなくて、すぐに顔を背けて、「何言ってんだよ」と言って、かよ子の頭を軽く叩いた。


「えー。だって、静流、かっこいいんだもん。本当に、王子様みたいだよ?」

「私は、おまえと同じ、女だから。どう頑張っても、王子様にはなれない。変なこと、言うなよ」


 そう言い放ったが、胸はドキドキしていた。いつからかは覚えていない。でも、私の中には、かよ子を大好きだという気持ちが、確かにあった。単に親友としてではなく、それ以上の感情が。


 かよ子は、私のそんな感情には、全くと言っていい程、気付いていなかった。少なくとも、私にはそう見えていた。だから、この気持ちは絶対にかよ子にわからないようにしようと、いつも思っていた。


 演技以外でも感情表現が豊かなかよ子は、毎日泣いたり笑ったり忙しかった。そんなかよ子の王子様に、本当になりたかった。


 彼女が好きになるのは、異性だ。ある年、三十代の新任の男性教師に熱を上げていたことがあった。彼は既婚者で、学生をそんな目では見ていないので、ただかよ子が一方的に騒いでいただけだ。でも、そのことがあって、自分は絶対にかよ子に恋愛対象としては見てもらえないと、はっきりわかった。せつない、という感情を、身を持って知ることができた。


 あれから何年経っただろう。


 今日は、高校生活最後の日。卒業式だ。教室の中は、普段と変わりなくにぎやかだった。大半は、この学校の付属大学に進むので、あまり実感がないのかもしれない。


 私は違う。大学には進まず、仲間とやっていたロックバンドで頑張るつもりだ。どこまで行けるかなんて、当たり前にわからない。が、自分の気持ちに嘘はつけなかった。


 かよ子は、大学進学組だ。教師になるのが彼女の夢で、だから、その内教師になるんだろう。私とは、全く違う人生を送って行く。こうしていられるのも、あと数時間だけだ。


 学校の最寄り駅の、階段を降りた所にある売店の前で待ち合わせよう、と言ったのは、どちらだったか。それすら、今はもう思い出せない。


 学校に辿り着く前に、大好きな人の顔が見れる。そのことが、私にどれだけ元気を与えてくれたか、わからない。


 いつも同じ時間の電車に乗って、あの駅に来る。かよ子が乗ってくる電車の方が、二分早く着く。だから、いつもかよ子が私を待ってくれていた。いつだったか、かよ子がそこにいなかった日があって、随分心配したものだ。が、一本あとの電車でかよ子はやってきて、「寝坊しちゃった」と言って、笑った。


 そんな日々も、さっき、あの瞬間に終わった。クラスメイトが全く意識していなかったとしても、今日は最後の日。別れの朝なのだ。


 いろいろと思い返していると、かよ子が私の顔を覗き込むようにしてきた。かよ子は私のおでこに手を当てると、「熱はなさそうね」と、神妙な顔つきで言った。


「熱なんかないよ。そろそろ席に戻りなよ。担任が来るんじゃない?」

「え。だって、静流、何か変だから。あ、でも、席に戻らなきゃね」


 かよ子は、何回か私の方に振り向いて、何となく気にしている風だ。私は、あえて目をそらして、机に臥せった。


(のんきな奴だ…)


 階段下での、彼女の笑顔。思い返しては、胸が痛んだ。         (完)

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