御先様 5

 いつものごとく、火丸ひまろどもが夜明け前に海へ出たあと、雨が降り始めたのを機にわたしたちは柵を外して逃げようとした。


 宗順の手を取り、赤子とともに山に向かおうと庭を出たとき——。


「動くな」


 突如、木の生い茂る中から幾人かの男どもが現れた。


 わたしと宗順は心臓が止まるかと思うほど驚き、足を止めた。


 海に出たはずの火丸が、屋敷から庭に降り立ち、外された柵を越えて、わたしの腕を掴んで激しく引き戻した。


 赤子を庇って、勢いよく濡れた地面に倒れ込み、呆然としたまま火丸を見上げることしかできなかった。


「おお、その顔、まっこと面白い。この女狐が!」


 何故火丸がここにおるのだ。それが解せぬ、何故分かった。


「わしがどいてどうしてここにおるか知りたいちょいう顔をしちゅーな? 大雨の日に限ってわれがずぶ濡れになるのを不思議に思うた女房がわしに教えたんや。こそこそ逢い引きなどしてふてぶてしい」


 火丸がわたしの肩を足蹴にした。


「は、放せ!」


 宗順の声が聞こえた。両脇から二人の島民に羽交い締めにされて、締め殺しの木の前に引きずられていった。


「わしの女を寝取りやがって、そがなんそういうことしたらどういう目に遭うか、見せしめだ」


 おいと声をかけると素早く他の男が綱を持って来た。


 いやな予感がして、立ち上がろうと身を起こしたが、火丸にまた足蹴にされてひっくり返る。赤子が腕の中で火が付いたように泣きだした。


「おい、いつからこいつとねんごろになっちょったんや? この赤子、まことにわしの子か?」


 答えずにいたら、頭を足で踏みしめ、地面に押しつけられた。


 否が応でも顔を宗順に向けられて微動だにできぬ。こめかみを力一杯踏みつけられて、頭が割れそうに痛い。


 何故このような目に遭わねばならぬ。理不尽に弄ばれて、罪もないのに命を奪われる。一体わたしたちが何をしたという。


 悔しさと憎しみと怒りとが混じり合い、薄笑いを浮かべてわたしの顔を踏みにじるこの男が、宗順を羽交い締めにしている男どもが、遠巻きに見物に来ている女房たちが、この和田津におる者全てが、生きておることを許さぬ。彦左と三郎の首に褒賞を与えた夜須七郎も憎きかたきじゃ。もしも、わたしの思いを遂げられるのならば、この命を捧げても良い。


 赤子を庇いながら、わたしは力の限りを尽くして、身動みじろぎした。


「われは相変わらず活きがええな。まぁええ、おい」


 火丸が宗順を羽交い締めしている男どもに顎をしゃくって合図した。


 宗順の首に綱が巻き付く。彼の顔が強ばって恐怖に引きつっている。わたしを見て、泣きだしそうな程に顔を歪めている。


「宗順!」


 わたしが呼ぶと、宗順も応える。


「てふ様!」


 無常に綱はギリギリと宗順の首を絞めていく。その綱の端を、締め殺しの木に引っかけて、男どもが綱の端を引っ張った。


 宗順の体が引きずられていく。ぬかるみを掻いていた爪先が、とうとう地面から離れた。宙を掻きむしり、もがいて、痙攣し、やがて力なく手足をだらりと下げた。


「宗順!」


 大粒の雨が目に入るが、拭うことも出来ぬ。宗順の姿も醜悪な和田津の者どもの姿も、雨で霞んで何も見えぬ。


 不意に火丸がわたしの腕の中の赤子を奪った。細くか弱い赤子の片腕を強く引き上げた。赤子が引きつった声で泣き喚く。引っ張られた片腕の向きがおかしい。


「やめて!」


 やめてやめてやめて! と何度も叫んだ。赤子を返せ! 火丸、赤子を返せ! わたしは喉が引き裂かれて血を吐くような悲鳴を上げていた。


 片腕を引き上げられて、よたよたと立ち上がる。引きずられるように、惣領屋敷をあとにした。





 雨に打たれる体が寒さに打ち震える。赤子を持った火丸の背中が霞む。赤子はぼろきれのように片腕を掴まれて、腕がちぎれんばかりに振り回されている。わたしは叫ぶことしか出来ず、次第にか細くなっていく赤子の泣き声を耳にして、おかしくなってしまいそうだった。そんなわたしを囲む和田津の者どもが面白そうに見物して付いてくる。


 許さぬ、許さぬ。こいつらは皆、鬼じゃ。人ではない。人でないならば殺しても良かろう。殺してやる殺してやる。


 もうおかしくなってしまったのか、わたしの口から呪詛が勝手に溢れてくる。


 背中を押されながら、嵐の中を歩かされ、たどり着いたのは碧の洞窟の真上の崖だった。


「わしらには、和田津に富をもたらす女神様がおるがよ。その女神様は、わしらに捧げ物を求めてくる。われの家来も女神様に捧げた。おかげでかつえをしのげた。今からこいつも女神様に捧げる。捧げれば捧げるほど、富が降って湧いてくる」


 言い様に木っ端を放るように、赤子を崖から投げた。


 きっと喉が裂けたやも知れぬ。言葉にならぬ叫声がわたしの喉からせり上がってくる。力の限り暴れ、赤子を追おうとしたが、羽交い締めにされて身動きがとれなかった。


 口から溢れる言葉が意味を成しているのか、いないのか、もうわたしには分からぬようになっていた。


 許さぬ、おのれ、許さぬぞ、和田津の者ども、夜須も、和田津に住まう者全て、許さぬ。和田津が滅ぶまで、おのれ、火丸、おのれの血を引く者全て祟ってやる。末代まで祟る。殺してやる、殺す、許さぬ、憎い、恨むぞ、おのれ、許さぬ。


 息をするように呪詛が口からこぼれ出る。口の端から血が流れ、血涙が頬を濡らした。

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