三月二十一日 5

 仕方なく夜須はカメラのレンズをあちこちに向けて写真に収め、足下にある小さな祠も何枚か同じ角度から撮った。写真を撮りながら、祠の中をレンズを通して見てみたが、やはりご神体というようなものはなかった。


 シジキチョウの痕跡を探してみようと、鍾乳石の陰などを見て回り写真を撮ったが、卵も幼体も何一つなかった。


 もちろん、二十二日前だからか、死体が流れ着くと言った事件も起こらなかった。


 気が削がれて落胆したが、とりあえず撮った画像を見返してみる。


 ほとんどの画像に白い玉状のものが入っていて、画像としては最悪だった。物好きはこれをオーブと呼ぶらしいが、たいていは空中を舞う埃や湿気の多い場所での小さな水滴、もしくは細かな水しぶきがこのような形で捕らえられるのだという。


 もちろん夜須もこれは自然現象であって、オカルトの範疇ではないと考えている。


 かなりレンタル料金も高額で、性能も悪くない製品なのに、撮る写真全て失敗では意味がない。


 何度か撮り直してみたが、結局同じで、あとで店主に文句を言ってやろうと決めた。


 ただ、不思議だったのは、祠を撮った画像だけが自棄に手ぶれを起こしていたことだ。祠の石だけが激しくぶれて、背景の鍾乳石ははっきりと映っている。それ以外はオーブが映っていたが、碧の洞窟に入る前に撮った写真はきれいに風景が撮れていた。祠の画像は特に気味が悪かったのもあり、よく確認せずに次々と削除した。なんだか記録媒体に保存しておきたくなかったのだ。


 これらの画像は、カメラではなく、場所に問題があったのかも知れない、と言う考えが頭をもたげる。その考えを振り払い、夜須は洞窟の奥へ向かった。


 奥へ入れそうだが、腹ばいにならないと通れない穴しかなかった。碧の洞窟の内部は、漏斗のような形になっているのだろう。この狭い穴の向こうに行けたら……、と夜須は歯がゆかった。碧の洞窟に、シジキチョウの幼体や卵がないのならば、鍾乳洞側に生息場所があるのだ。どうにかしていけないかと屈んでみた。


「それではみなさん集まって下さい。そろそろ水位が上がり始めますので、ボートに戻りまーす」


 ガヤガヤと観光客が集まり、次々と洞窟を出て行く。確かにくるぶし位の水深だった海水が、今ではすねにかかっている。


 夜須は後ろ髪を引かれるような思いで碧の洞窟を跡にした。





 アクアマリンに戻り、夜須はカメラのことでクレームをつけようか迷ったが、肝心の画像を削除してしまったので文句をつけるのはやめた。気分的に蒸し返すのが嫌だった。不吉なものを見た気がしたのだ。


 その代わり、今日明日泊まれる宿はあるか、店主に尋ねてみた。


「かんべがここらでは広いからかんべですかねぇ。かんべが駄目なら大浦まで行くしかないです」

「かんべが駄目なら大浦か……」


 午前中に訪問した民宿かんべのことだろう。和田津では一番大きな民宿なのか。できたらかんべが空いていると助かる。明日、和田津でシジキチョウを捜すのには和田津に滞在したほうがいい。


 しかし、惣領屋敷に戻って宿泊する気にはなれない。きっと、当てつけのつもりで子供を作ったのか、と交野を罵るだろう。好きでもないのに、自分はきっと交野を責めると思った。何があったとしても自分の元に戻ってくることに優越感をくすぐられるから、今回電話があったことに満足を得たのだ。それなのに、自分を崇拝する人間が、こんな形で離反していくのを見せつけてきたことが気に入らなかった。





 民宿かんべの引き戸を開けて中に入ると、店に中はしんと静まりかえり、客ははけていた。奥にいる親父が、「もう店じまいしたぜよ」と大きな声を上げた。


「あの、宿泊したいんですが……」


 調理室と民宿の廊下と繋がっているのか、親父は奥に向かって、おかみさんを呼び続けた。


「おい! お客さんだぞ」


 そのうち、「はいはーい」と廊下を足音を立てて、おかみさんがやってきた。


「あら、えーと夜須、さんやったか。どうされたがか?」

「泊まりだとよ。いつからいつまで?」


 親父が間に立って夜須に訊ねた。


「今日から二十三日迄です」

「二十三日だってよ」

「はいはい、聞こえちゅーがやき言わいでも大丈夫よ」


 おかみさんが台帳を持ってくるといって引っ込んだ。親父が上がれ上がれとせっついてきたので、促されるままに靴を脱いで家内に上がった。


「空いちゅーぜよ。素泊まり? 三食付き?」

「じゃあ、三食付きで……」

「はいはーい、じゃあ、部屋に案内するわね。鍵かからんき貴重品は自分で管理してね。部屋に鍵がかかる金庫もあるわよ。布団は自分で敷いてね、夕飯は十九時やき。食堂に下りてきて。お風呂は一階にあるき、二十三時までに入って。シャンプーリンス、ひげそりは有料。フロントに買いに来とーせ」


 おかみさんは早口でまくし立ててながら、夜須を二階に案内した。


 部屋は二階の角部屋で、二面に窓があった。古いい草の匂いがする。畳は黄ばんでいたが、清潔そうだった。ぺたんこのざぶとんと小さな座卓が部屋の真ん中に置いてあり、部屋の角に十七インチの液晶テレビが置いてある。テレビ台の中に金庫があった。


 十九時に食事らしい。窓の外を見ると暗闇が差し迫っている。腕時計の針は十八時半を指していた。


 昼間に海に入り、海水を軽く水シャワーで流したきりなので肌がベタベタする。風呂に入りたかったが、先に食事をするしかない。部屋にはトイレと洗面台なく、その代わり、二階の廊下に共同トイレと洗面台が設えてある。とりあえず、食事を済ませ、風呂に入ったあとに今日起こったことを改めて考えよう。


 夜須は疲れ切ったため息をついて、荷物の整理をした。きちんと畳まれたTシャツと下着を用意しておき、階下の食堂へ行った。





 夕飯のあと、早めの風呂を済ませた。フロントへ行き、ビールを購入する。


 一日が終わり、何も収穫がなかった。夜須はくさくさした気分を抱えたまま、部屋で酒盛りをするつもりでいた。畳に腰を下ろしてあぐらを掻き、缶ビールを二本、座卓に置いた。役に立っていない薄い座布団を二つ折りにして尻の下に敷いた。それでもあまり意味がない。


 リモコンでテレビをつけても数週間遅れて放映された番組が映し出された。チャンネル自体三局しかなく、つまらないローカル番組しかやっておらず、電源を切った。

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