第12話「もうひとつの真相」

 明かりの園の自宅まで帰ってきたとき、時刻は午後三時を少し過ぎたところだった。

 私は合鍵を取り出し、玄関ドアを開けた。靴を脱いで、家の中へ上がる。


 リビングに入ると、妹の里奈がソファに腰掛けてくつろいでいた。

 薄型有機ELテレビの前に陣取り、画面を食い入るように見詰めている。


 そこに映し出されているのは、女性アイドルグループのライブ映像だ。

 私と鏡峯がスマートフォンで視聴していたものと同じ、生配信中の動画だった。安千谷家では、リビングのテレビにネット回線を接続している。そのため地上波デジタル放送やBS放送の他にも、インターネット上に公開された動画チャンネルの映像を表示することができる。


 画面隅に表示されたアーティスト名を紹介するテロップによると、現在は「MoonムーンGlowグロウ」というらしい少女たちが、歌とダンスで舞台上を彩っていた。

 ぎんの森の野外ライブイベントは、尚いっそうの盛り上がりを見せている様子だ。

 開催最終日の終盤に相応しい熱気が、画面越しにも伝わってくる。



「おかえりなさい、兄さん」


 里奈は、テレビ画面に視線を固定したままで、素っ気なく言った。

 それに適当な挨拶あいさつを返し、私は中折れ帽とトレンチコートを脱いだ。

 ダイニングの椅子を引き出し、背もたれにコートを畳んで掛けた。

 帽子はいったん、手近なチェストの上に置いておく。


 キッチンの脇から洗面所へ抜け、手洗いとうがいを済ませてから、リビングへ引き返した。

 里奈は相変わらず、テレビ画面をながめ続けている。部屋着姿で楽にして、膝の上にクッションを抱えていた。手元には、リモコンやスナック菓子のパッケージが散見される。趣味で休日を、丸々つぶす気のようだ。


 里奈は、根が生真面目なため、学校では学業や風紀委員会の仕事で気苦労が絶えないという。

 そうした日常の中で女性アイドルグループのライブを鑑賞することは、大切な息抜きらしい。

 ちなみに全国区で名が売れたメジャーアイドルをはじめ、地域限定で活動しているローカルなアイドル、駆け出しの新人アイドルと、気に入れば見境なく「推す」傾向にあるようだった。



 私は、家の中に自分たち二人以外の気配がないのを感じて、里奈に問いただした。


「我々の両親はどうしたんだリンダ」


「父さんと母さんなら、昼過ぎ頃から新冬原へ買い物に出掛けました。夕飯の前までには帰ると言っていましたが。それはそうと、リンダは止めてください」


 里奈は、こちらを振り返る素振りもなく答えた。

 口調も冷たく、やや不機嫌そうな声音だった。

 趣味の時間を、邪魔されたくないのだろう。


 私はキッチンに立って、ポットで湯をかすことにした。

 しばらく待ってマグカップを取り出し、インスタントコーヒーをれる。

 それを手に持ち、静かにダイニングテーブルのところまで移動した。


 テーブルの隅には、以前にも見掛けたボールペンが転がっている。

 里奈が朝の登校前、私に書置きを残す際に使用していたものだ。

 ピンク色で、やや風変わりな形状が特徴的だった。

 私は、それを手に取り、改めて眺めてみる。


 ボールペン本体の中程には特殊な書体で、

「~ そらいろシスターズ! ~ 4th concerto tour in ぎんの森 -202×-」

 と印字されていた。


 昨年開催されたアイドルコンサートの限定記念グッズであることを、それは示している。

 里奈がイベント参加した当時、会場の物販コーナーで購入してきた品のはずだった。一般的な文具店で販売されているものに比べると、デザインに独特な遊び心が感じられる。

 こういったものを日頃手元に置いておく程度には、里奈は熱心なアイドルマニアなのだ。



「なあリンダ」


「リンダは止めてください」


 声を掛けると、里奈は再び即座に抗議してくる。

 しかしかまわず、やり取りを続行した。


「鏡峯の依頼だが、無事に終了した。さっき駅前で合って、書面に署名ももらってきた」


 今回の案件に関して、里奈にも経緯を伝えておく。

 私は自分の妹に対して、今更隠し事することに無意味さを感じていた。

 里奈も守秘すべきことは理解しているはずなので、遠慮なく続ける。


「ただし鏡峯は、かつての友人と再び連絡を取り合えるようになったものの、友情を回復するには至らなかった。どうやら相手の山村夕子は、いつまでも同じ場所に立ち止まり続けている少女ではなかったようだ」


「それはお疲れ様でした。めぐみとしてはもちろん残念な結果だったでしょうけど、これで当面兄さんのサークルは廃部をまぬれましたね」


 このときも里奈は、愛想に乏しい返事を寄越よこした。

 私と鏡峯を仲介した当人にもかかわらず、非常に冷めた態度だった。

 無論、今はライブ映像の視聴に意識を傾けているせいもあるだろう。

 だが私には、それが平静をよそおうポーズに見えた。



「……おまえ、実は最初から山村夕子がアイドルだと知っていただろう」



 私は、直截に指摘した。

 里奈はテレビ画面を見詰めたまま、身動みじろぎもしない。

 もっとも私の推量を、否定しようともしなかった。

 そこで言葉の先を続けた。


「今回の依頼を引き受けた直後から、ずっと引っ掛かりを感じていたことがある。それは『鏡峯めぐみが山村夕子の消息をつかむため、どうして私を今頃になって頼ってきたのか』という点だ。山村が音信不通なったのは、調査の開始時点で半年以上も前のことだった。その疑問について、鏡峯は『これまでどうすればいいのかわからなかったし、里奈に安千谷隆を紹介されたのが偶然最近だったから』という旨の言葉で答えている。だが本当に偶然が真相のすべてなのだろうか? 私にはそう思えない。


 自然と疑わしくなるのは、私と鏡峯を仲介した人物――つまり里奈、おまえだ。安千谷里奈はなぜ、私を今のタイミングで鏡峯めぐみに紹介したのだろう。

 この問いに対する答えは、山村夕子がアイドルだと確定した現在ならわかる。

 いいか里奈。おまえには鏡峯に私を紹介するより以前に、ギャルファッションの山村夕子と、アイドル花菱きららの姿を見比べて、二人が同一人物だと判定する機会があったのだ」


 私はその場に立ったまま、インスタントコーヒーをすすりながら続ける。


「おまえはたしか先日、そのテレビで情報番組を視聴していたな。そうして番組内のコーナーで、野外ライブイベントの情報をチェックしていた。そう、まさに本日ぎんの森で開催され、今もおまえが生配信中の動画で鑑賞しているそれに関するものだ。あの朝の番組では、イベントの出演アーティストを個別に紹介する企画が組まれていた。しかも毎週一回の放送で、全六回。私がおまえと一緒に目にしたのは、第四回目の内容だった。言い換えると、あれよりも以前に三回分の放送があったわけだ。


 気になってネットで検索してみたが、丁度一週前の放送では『最新アイドルグループ特集』があって、その中で『LovelyStar』も紹介されていたようだな。センターポジションを務める新人・花菱きららは、それで容姿の可愛らしさが話題になり、途端にネット上のアイドルマニアから注目を集めるようになった。

 ……ただし山村夕子こと花菱きららにとっては幸か不幸か、数多くのマニアの中にまぎれていた人間の一人がおまえだったのだ。そうだな、里奈? 


 おまえはそのとき、花菱きららという新人アイドルを認識する一方で、彼女の面立ちに何某なにがしかの既視感を覚えたのではないか。そうしてやがて、花菱きららによく似た少女が、鏡峯めぐみの友人の中にいるようだと気が付いた。おそらく鏡峯とやり取りしたメッセージなどで、過去に山村夕子も写っていた画像を共有していたのだろう。私はギャル姿の山村を見ても、即座に判別できなかったが、女のおまえは見分けられたのだと思う。


 そこで何を考えたかまではわからないが、おまえは鏡峯に連絡を取った。おそらく山村夕子のことを直接話題に出すことはしなかったかもしれない。だがさり気ない世間話を装いつつ、山村の近況を探ろうとして、話題をそちらへ誘導したのではないか。そうすることで鏡峯の口から、長いあいだ音信不通になっているので心配している、という話を聞き出した。以後は会話の流れの中で、おまえは私のことを持ち出し、鏡峯に紹介してみせたのだ。だから鏡峯は先日ようやく、友人の調査を私に依頼した」



 私がひとしきり話したあとも、里奈はしばらく口を閉ざしたままだった。


 生配信されている動画の中では「MoonGlow」のパフォーマンスが終了し、舞台の幕間に入った。

 司会者らしき人物が登場し、軽妙なMCがはじまる。次に登場するアーティストの準備が済むまで、尺をつないでいるのだろう。


「……確信まではありませんでした。他人の空似ということもあり得ますから」


 やがて里奈が、おもむろに切り出した。

 テレビ画面の側を向いたまま、溜め息を吐いているようだった。


「そもそも山村夕子さんと花菱きららを同一人物として認識することに関しては、これでも私はいまだにそれなりの当惑を感じているのですよ。初めて可能性に気付いたときは、それこそ心臓が止まりそうなほど驚きました」


 生配信中の動画では、司会者が次なる出演アーティストの名前を叫んでいる。

 観客が一斉に興奮の声を上げ、ライブ会場全体が一段と強い熱気に包まれた。

 それに迎え入れられるようにして、舞台上に新たなロックバンドが姿を現す。


「いずれにしろ、いまひとつわからないことがある」


 私は、里奈に重ねて問いただした。


「おまえが鏡峯めぐみを介して、私に山村夕子の消息を探らせた動機だ。いったい何の理由で、鏡峯にもう一度山村と連絡を取らせてやろうとした? 単なる純粋な善意からか、それとも花菱きららの正体に確証を得たかったからか?」


「私はいちファンとして、新人アイドル花菱きららに白黒つけてもらいたかったのです」


「白黒……? それはどういう意味だ」


「もし花菱きららが山村夕子そのひとではなかったとしても、それはそれでかまわないと思っていました。いえ、むしろそちらの方が望ましいと考えていたぐらいです。問題は本当に同一人物だと確定した場合で、めぐみと再び連絡を取り合うようになったとき、そこにはどういう状況が発生するかに興味がありました」



 ロックバンドの演奏がはじまったところで、里奈はテレビのリモコンを操作した。

 配信中の動画ページを閉じ、放送モードを地デジに切り替えた上で電源を切る。

 女性アイドルグループのパフォーマンス以外には、基本的に興味がないらしい。

 そうしてソファから腰を上げ、こちらを振り返った。


「――アイドルとは、ファンみんなのために輝くべき存在です。多くの人々に夢を与えるため、自らを厳しく律し、取り分け恋愛関係の醜聞スキャンダルなどは絶対に避けねばなりません」


 里奈の瞳には、暗く、強い情念が宿っているかに感じられた。

 私の妹の性分は、良く言えば世話焼きで、悪く言えば過干渉だ。

 この件では、そのうちの悪い言い方が当てまるようだった。


「めぐみとメッセージアプリで共有した写真の中には、山村さんがギャル姿で同年代の男の子と写っている画像もありました。アイドルになってからサービスでファンと撮影した写真などではなく、完全にプライベートで親交があった異性とのそれです。めぐみから以前聞いた話で、相手は山村さんと同じ通信制高校の生徒である柏木翔馬という男子だとわかりました。すでに兄さんもご存じかもしれませんが、地元サッカークラブの下部組織に所属するプロ選手の卵で、性格も良い努力家だそうですね。清潔感があり、鼻筋の通った美男子だと思いました。


 ただ一方で気になったのは、山村さんと柏木くんの距離感です。写真の中では、二人がかなり親密そうに見えました。そこで私はめぐみとのメッセージで、かつて二人の関係に遠回しな探りを入れてみたりもしたのです。すると、めぐみは明確な言及こそ避けたものの、柏木くんは山村さんに好意を寄せているらしい、とほのめかしていました。さらに話を聞くうち驚いたことには、他の写真で一緒に写っていた田中聖亜羅さんという女の子も柏木くんに興味を持っていて、そこにはどうやら三角関係に近い状況があったことまで判明したのです。


 こうした恋愛事情を裏で抱えていることは、当然アイドルにあってはならないことです。公式にメンバーのプライベートには介入しないと表明している運営団体もあるでしょうが、基本的にアイドルは『恋愛禁止』が原則ですから。仮に明文化されていなかったとしても、それが暗黙の了解、というものです。

 そんな折、めぐみとやり取りする中で、丁度あの子が山村さんともう一度連絡を取り合いたいと考えていたことを知りました。テレビの放送とメッセージで共有した写真を見て以来、これは私にとって渡りに船でした。すぐさま私は、この話を利用しようと思い付いたのです。


 もし兄さんの調査で以前までの友人と旧交を温めることになり、過去の恋愛沙汰が露見して、デビュー早々に良くない噂が立つなら、それもまたいたし方なし。どうせ花菱きららはそこまでのアイドルですし、ファンの心を傷付ける前に消えてくれればいいと思いました。

 とはいえ私個人としては当然、山村さんがめぐみたちとたくみに距離を取るだとか、逆にめぐみたちの方が山村さんから離れていくような展開を願っていましたが――……」



「おまえは、それで鏡峯めぐみに私を紹介し、山村夕子の消息を追わせたわけか。たかだかいちアイドルマニアのくせして、あたかも新人アイドルの将来を選別しようとするように。いったい何様のつもりだ」


「山村さん、いえ新人アイドルの花菱きららが至った現状は、間違いなくハッピーエンドですよ兄さん」


 あとを引き取ってうめくと、里奈は陰鬱いんうつな笑みを浮かべた。

 どうやら本気で「ハッピーエンド」を確信しているようだった。アイドルファンとしての理想を守り、自らが正義をしたと疑っていないのだろう。

 それがたとえ理解し難いものであるにしろ、里奈には里奈なりの価値観がある。


 私は再度、マグカップの縁に口を付けた。

 すでに冷めたインスタントコーヒーは、苦みと香りが薄れている。

 舌の上に独特の安っぽい甘さが残って、後味が酷く悪い。


「おまえは、自分が鏡峯と山村の友情を踏みにじったとは思わないのか」


「あくまで私は、山村さんの件で困っていためぐみに兄さんのことを紹介しただけです。それに放っておいたとしても、めぐみと山村さんの親交は途切れていたでしょう。おそらく事態は変化しません。見方を変えれば一時的とはいえ、二人は再び連絡を取り合えました。それから互いの現状をたしかめ合った上で、距離を置くことにしたのではないですか。

 もっと言えば、私が仮に何もしていなかったとしても、いずれ誰かがめぐみと山村さんの関係を断ち切らせていたかもしれません」


 里奈は、ソファのそばを離れ、リビングの出入り口に歩み寄った。

 ドアのノブに手を掛けながら、こちらへいったん向き直る。


「誰しも自分の居場所に応じて、相応しい姿というものがあります。藤凛学園の生徒であれば、品行方正な立ち居振る舞いが求められ、風紀にのっとった制服の着用が義務付けられる……」


 里奈の言葉には、冷厳とした響きがあった。

 規律を重んじ、罪を弾劾する声音だった。


ちまたでギャルと呼ばれる格好を好む人たちのあいだにも、実際には何某かの共有された価値観があり、その枠組みの中で各々が立ち位置を探っているのではないですか。ましてやアイドルともなれば、自分を支えるファンのためにも、より多くのものを生贄いけにえに捧げる覚悟が問われる。それはごく自然なことでしょう。私が申し上げたいのは、そこに不満を感じるなら別の居場所を探すべきだという話です」


「そうしたしがらみなど、私から見れば非常にくだらないものにしか思えない」


「それは兄さんがハードボイルドなんていう、秩序の乱れた不穏な世界を志向していて、身勝手な、協調性に欠けた人だからですよ。そうして孤高を気取りながら友達を作ろうともせず、夏場に中折れ帽とトレンチコートを着ている方が異常なのです。たった一人の同好会で、どうぞ今後も頑張ってください」


 それだけ言い残すと、里奈はリビングから出ていった。




 私は、ダイニングの椅子に腰掛け、マグカップをテーブルの上へ置いた。



 ハードボイルドの世界では、しばしば探偵の無感動な挙措で、物語が幕を閉じる。


 感傷は無力で役に立たず、客観的な事実だけが不条理を正確に描写するからだ。

 しかし私がのぞむ瞬間には、少なからず自らの心情を排し切れない場面がある。

 それはやはり、いまだ単なる真似事の偽物にしか過ぎないからだろう。



 無性に煙草が喫いたくなってきた。






<ギャルと偽物ハードボイルド・了>

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ギャルと偽物ハードボイルド 坂神京平 @sakagami

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