番狂わせ大好きマンが私だ

 三度目ともなれば、さすがの忍者も歯を食いしばれる程度の余裕はあった。鋼鉄女中から退避する際に、そっと撃ち放った【心通し】。これを利用して、忍者と鎧武者は連携を成立させていたのだ。

 後は、状況判断と勝負勘が結果を分けた。とはいえ、綱渡りの戦には違いなかったのだが。


『今でござるよ』


 まきびしを手にしながら、忍者は脇に退く。彼にはまだ、やるべきことが残っていた。己の象徴が崩折れたことで精神の平衡を失いつつある、あの老蘭学者に用があるのだ。


「逃げるでござるか?」

「ひいいっ!」


 老蘭学者は、戦場から背を向けつつあった。頼みにしていた象徴が膝を付いたことで、本能的に敗北を察したのだろう。涙をこぼしつつ、火口側へと向かっていた。

 しかしその目論見は失敗に終わり、手裏剣によって、あっさりと行動を制限されてしまった。


「さて、でござるよ」


 地面にへたり込む老蘭学者に、忍者は冷たい視線を送った。彼は【心通し】を切り、それまでになかったほどの殺気をもって、老蘭学者と相対した。これより先は、公儀隠密としての仕事だった。鎧武者の、かかわるべき範囲ではない。


「わ、私をどうしようというのだ。江戸へ連れて行くというのなら」

「舌でも噛み切るでござるか」


 そうだ。老蘭学者は、首を何度も縦に振った。忍者は、心底からこの男を哀れんだ。この男はなにも分かっていない。この男は、己が今でも上位の蘭学者だと思い込んでいる。

 彼は、胸元から一つの蘭学装置を取り出した。それは胸元から取り出すには、少々大き過ぎる代物だった。透明な、桶のような装置である。


「そ、それはいったい」

「貴君の首桶でござるよ」


 怯える蘭学者に対して、忍者は平坦に言った。


「わ、私が死ねば転送装置の大量生産は不可能になるぞ。それでも良いのか」

「構わないと、命令にはござりましたな。たった今、見たでござろう? 転送装置は、進化しているでござる」

「う、ぐ」


 忍者の言葉の意味を理解したのだろう。蘭学者は小さく身をすくめた。しかし、忍者は言葉を続けた。

 すでに己のやるべき範囲は越えていると、彼は自覚していた。自覚はしていたが、目の前の男は叩き壊したい。彼もまた、欲には勝てていないのだ。


「はっきり言ってやるでござるよ。貴君がここで死んでも、別段幕府に損はないでござる」

「ううっ……」

「しかし幕府は。いや、お抱えの蘭学者の方々は、実に寛大でござる。貴君の脳に詰まった、知識の結晶だけは回収して来い。そうおっしゃられたでござるよ」

「そ、それは」


 そういうことですな。忍者はそう返し、首桶を蘭学者へと突き出した。蘭学者の顔が、蒼白色に染まっていく。


「拙者には仕組みはとんと分からぬでござるが、この蘭学装置は貴君の脳を生かさず殺さずにできるそうでござるよ。まあ、つまり」


 忍者はここで息を吸った。目の前に座る男への、最後の通告である。


「『死んでも意味はない』でござるな。貴君の知識は、そっくりそのまま蘭学者の皆様に提供されるでござる」

「あ、ああ……あ……」


 忍者は見た。ただでさえ老けていた蘭学者の顔が、急速にに老いさらばえたものへと変わっていく。わずかでも紳士然としていた男が、年相応の老人へと落ちていく。老蘭学者の、心が折れた瞬間だった。


「見るに忍びないでござるな。さらばでござる」


 忍者は忍ばせていた忍者刀を抜き、一息に彼の首を掻っ切った。

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