第一章 縁切り神社の怪異⑯

 柳川は阿久津が呼んだ警察官たちに北野署へと連行された。

 そして夜明けを待ってから、庭の捜索が開始される。

 スコップをもった警察官たちが地面を掘り起こすと、膝を抱えた格好で埋められた右手首のない女性の遺体が発見された。

 遺体は検分の結果、山際綾子と判明。

 これにより、柳川篤志は死体遺棄の容疑もかかることになる。

 死因は頭部を鈍器で殴られたことによる頭部損傷だった。しかも、服の下には死亡するより以前に打撲したとみられる古いあざも複数見つかった。

 さらに柳川の自宅を家宅捜索した結果、室内のあちこちで山際綾子の指紋が発見され、洗面所に置かれたヘアブラシや車の座席からは彼女の毛髪が多数みつかった。

 近隣住民への聞き込みでも、山際綾子によく似た人物が家に出入りしていたという証言があがる。

 多数の物証がみつかったことで諦めたのか、柳川は取り調べに素直に応じていた。

 彼の話によると、一年ほど前から柳川と山際綾子は男女の関係にあったのだという。

 柳川自身は結婚まで考えていたようだが、三月の下旬にたまたま社内の給湯室を通りかかったときに、山際綾子が同僚と話していたのを立ち聞きしてしまった。

 深刻そうに話す彼女の声が聞こえたので思わず給湯室の入口に隠れて話を聞いていると、彼女は週末に一人で縁切り神社に言ったと話していた。

 誰との縁を切ろうとしたのかまでは同僚には話していなかったが、柳川はそれが自分との縁にちがいないと思った。

 神にすがってまで自分と別れようとしていることにひどく腹を立てた柳川は、その日の夜、安井金比羅宮を訪れて彼女が書いた形代をがそうとしたらしい。

 どうにか山際綾子の書いた形代を見つけたものの、他の形代とノリでしっかりくっついていて剝がせない。そのとき境内を他の人が通りかかった。柳川はこんな姿を他人に見られたくなくて慌てて下半分だけちぎり取るとその場を後にしたという。

 おそらく、かつての恋人の木島晴美の証言や山際綾子の身体に残っていた多数の痣からして柳川は酷いDV癖の持ち主なのだろう。

 それで山際綾子も縁切り神社の力を借りて、彼から逃れようとしたのかもしれない。木島晴美のように。

 しかし、その数日後の三月二十五日のこと。

 柳川は普段バスで通勤しているが、自分の車で会社まできて近くの駐車場で停めておくことがしばしばあった。そのため、自宅のあいかぎとともに車のスペアキーも山際綾子に預けていた。

 その日も山際綾子は退社後、柳川の車で彼の好きな高級食材を多く扱う遠方のスーパーで買い物をすませたあと、柳川の家へ行って夕飯を作り、柳川のジムが終わる時間にジムの近くまで車で迎えにきていたのだそうだ。

 そのまま二人で柳川の家に帰って食事をしたのだが、柳川がひと浴びて出てくると山際綾子がいつにない剣幕で怒っていた。

 彼女の手にはあの千切れた形代が握られており、どうやら台所のゴミ袋に捨ててあったものを食事の後片付けをしていた彼女がみつけて怒っているようだった。

 柳川の方も、自分と別れようと神頼みしていた彼女への怒りが再燃して言い合いになり、かっとなった柳川が近くにあったワイン瓶で彼女の頭を殴打して死に至らしめてしまう。

 彼女が死んだことがわかり、柳川はすぐに彼女の遺体をどこか人目のつかないところに隠そうと考えた。幸い、二人の付き合いは社内では秘密にしていたため、山際綾子が行方不明になったとしても自分が疑われることはないという思いもあった。

 のちの捜査で、柳川は他にも社内に付き合っている女性がいたことがわかっている。おそらくふたまた状態を維持していくために、社内では女性との付き合いを隠すようにしていたのだろう。

 柳川は遺体を山にでも捨てに行こうかと考えたが、山間部に土地勘があるわけでもない。そこで、以前木島晴美とおうをしていた空き家のどこかに隠すことを思いつく。

 早速その日の晩、柳川は海外旅行用のトランクに山際綾子の死体を詰めて、車であの家へと運び込んだ。幸いその家の庭には園芸用品を入れておく簡易物置があって、穴掘り用にちょうどいい大きさの金属製スコップもみつけた。

 ひとまず家の中へ遺体を運ぶと、置かれたままになっていた古いベッドに毛布にくるんで置いておいた。そして、みなが寝静まる夜中を待ってスコップで穴を掘った。

 しかし、遺体を穴に運ぼうとしたところで柳川はハタと気づく。

 彼女の手には千切れた形代が握りこまれたままだったのだ。

 そこには彼女の名前が書かれていた。柳川篤志のイニシャルである『Aさん』と書かれた部分は縁切り縁結び碑に貼り付いたままだったが、万が一にも彼女の遺体が誰かに発見されたときに手に握りこんだ形代がきっかけとなって自分とのつながりが明らかになることを柳川は恐れた。

 柳川は彼女の指を開いて形代を取りだそうとするのだが、彼女の指はまるで陶磁器の人形のように固くなっていて動かなかった。

 きっと死後硬直のせいで指が固まっているのだろう。時間が経てば自然と硬直は取れて指が開くにちがいないと考え、柳川はしばらく遺体をそのままベッドに置いておくことにした。

 死後硬直は死後半日から一日程度がピークで、やがてじわじわと解けていき、二、三日もすれば完全に解けてしまうこともスマホで調べて知っていた。

 それなのに、山際綾子の遺体は三日経ち、四日経って全身の死後硬直が解けてぐったりとかんした状態になっても右手の指だけは変わらなかった。しっかりと形代を握りこんだまま少しも動かせない。

「それで……僕は、段々怖くなっていったんです。この指の硬直は永遠にとけないんじゃないかって。僕の罪をあばくために、死んだあともなお彼女があの紙を握りこんでいるんじゃないかって……それを考えたら怖くて、仕方なくて……」

 取調室の中で柳川篤志はしようすいしきった顔で何度もそう繰り返した。

 そして恐怖のあまり、発作的に彼女の手首を風呂場で切り落としてしまっていたと証言した。切り落とした手首は新聞紙にくるんでレジ袋に入れ、車で通勤途中に見かけた人の気配の少ない路地のゴミ集積所に捨てたのだそうだ。

 ゴミとして処理場の炎で燃やされてしまえば、すべて灰になるだろう。

 遺体の他の部分は穴に埋めた。やがて遺体が白骨化したあかつきには、掘り返して砕いて同様にゴミとして捨てれば見つかることもないだろうと一安心した。

 しかし、ゴミ収集車が発火したことで、すぐに手首は発見されてしまう。

 それでも柳川は自分に捜査が及ばないよう、表向きは以前と変わらず平然と日常生活を送っていた。

 これが事件の真相のすべてだった。

 任意聴取を受けてからは、いつか山際綾子の死体が見つかってしまうんじゃないかと怖くなって、仕事終わりにちょくちょくあの空き家周辺を見回っていたらしい。

 そこに自分を聴取した刑事の阿久津と亜寿沙の姿が見えたので、息を潜めて様子をうかがい殺害して埋めようと考えたのだという。

 取り調べの途中で柳川は何度も、

「彼女は怒ってるんでしょうね……きっと、いまも……。だから、死んだあとも指を開かなかったんだ……」

 とつぶやいては始終何かにおびえているようだったと、取り調べのあと自席にもどってきた徳永強行三係長が珍しく薄気味悪そうに渋い顔をしていた。

 そこに風見管理官が、

「まるで呪われてるかのようですよね」

 なんて真面目な顔をして応じたものだから、徳永係長はさらに顔のしわを深くして、

「管理官まで、あの変人みたいなこと言わんでください」

 なんて大きな声で言い返すのが、自席のノートパソコンで書類整理をしていた亜寿沙の耳にも聞こえてくる。

 変人って、たぶん、いや間違いなくうちの係長のことだろうなとこっそり向かいの席の阿久津の様子をうかがうが、彼は徳永係長の声が聞こえていたはずなのにちっとも気にしたそぶりもない。

 黙々と書庫の奥底から出して来たらしい年代物のファイルを読みふけっている。

 ああやって、過去の記録の中から怪異がかかわったとおぼしき事件の情報を収集しているらしい。

 捜査に役立つこともあるというが、おそらく本当の目的は彼をんだという鬼につながる情報を探しているのだろう。

 間違いなく変人だ、と亜寿沙は認識を新たにした。

 とはいえ、今回の事件は通常の捜査だけでは解決にもっと時間がかかったことだろう。

 一足飛びに木島晴美へとたどりつけたのは、安井金比羅宮で手に入れた形代のおかげだ。

 あのとき縁切り縁結び碑の穴から見えたものがなんだったのか、いまだに亜寿沙にはわからない。あれが崇徳上皇だったのか、それとも別の怪異と呼ばれるものの仕業だったのか知るよしもないけれど、あの形代を目の前に落として亜寿沙たちを助けてくれたことは間違いないように思うのだ。

「今回の事件、考えてみればみるほど不可解なことばかりでしたよね」

 亜寿沙のつぶやきに、阿久津は顔を上げると苦笑を浮かべた。

 彼の頭の傷も、あれだけ流血していたにもかかわらず、夜が明けた数時間後に病院で診てもらったところすでに傷はふさがっていたそうだ。この阿久津という男の存在もまた、不可解なことだらけだった。

「絶対に犯人を許さないっていう山際綾子の執念がなしたことだったんじゃないかな。その執念に崇徳上皇がこたえて、あのゴミ収集車発火事件はおきたのかもしれない。崇徳上皇も、自分のとこに救いを求めに来た相手を殺されて怒ったんだろうしな。そもそも安井金比羅宮は人気だから、縁切り縁結び碑に貼られる形代の数はものすごい量になる。それで、ときどき取りがしておき上げするそうだ。だから、二年前の形代が残っているなんて本来あり得ないことなんだが、あの木島晴美の形代はいったいどこから出てきたんだろうな」

 わからない。不可解なことだらけだ。

 事件のことも、この目の前の上司のことも。

 亜寿沙は釈然としないものを感じながらも、おんねんや呪いといった怪異はもしかしたら存在するのかもしれないと考え始めていることに自分自身で驚いていた。


 その後、拘置所の中で柳川は自分の首を自分の両手で絞めて命を絶った。

 柳川の両手は自分の首をしっかり握ったまま、司法解剖が済んでに付されるまでずっと死後硬直が解けず、まるで誰かが柳川の首を絞め続けているかのようだったという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憧れの刑事部に配属されたら、上司が鬼に憑かれてました 飛野猶/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ