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「彼女の名前は石原舞香いしはらまいか。君と同じこの大学に通う普通の大学生さ」


 俺が通う大学は北側を山に面しており、南に正門が建てられている。そして大学敷地内最北方に、横に伸びた古い平屋状のかつて使われていた部室棟がある。周りに生えている草木は長年手入れがされておらず縦横無尽あたり一帯に広がっており、その棟は、たまに資材ないし荷物置き場として時たま部員が出入りするのみである。


 そんな棟の、またさらに最北方にある部室の中に俺はいた。部屋の内部は、まだ日暮れ前だと言うのに明かりが入ってこず、部屋四隅に置かれた小さなスタンドライトが僅かなオレンジの色を出しているばかりである。そして、入って正面の壁には、柄が付いていない全体鋼色をしたなものが立て掛けられている。


 グチャグチャとした金髪の前髪下にある、細めの目は扉前に佇む俺を射抜くように見つめている。痩せコケた頬はオレンジ色の明かりによって不規則な影を発生させ、不思議とその人物の妙な神々しさを演出させている。ボロボロな黒色スウェットに身を包み、部屋中央に置かれた長机の上に腰掛けた男は不敵な笑みを浮かべながらこう続けた。


「そして、君の予想していた事柄は実に正解だったよ。いやいやこれは厄介だね。おそらくこのことが一枚噛んでいることは十中八九間違い無いだろう。ああ、そうさ。彼女、石原舞香はこの大学での宗教サークルに所属している。表向きはボランティアサークルと謳っているがね、もちろん大学非公認サークルだよ。大学側も手を焼いているらしい。確か名前は」


 蝶の会。そう男は、部屋に響き渡る重低音な声色で続けた。ヒラヒラと羽ばたく蝶の姿は浮遊する霊魂に重ねられ、度々このような文化の中で扱われる生き物だそうだよ、とさらに付け足しを加えた。


 彼女、「楓」もといマイカの胸元で光る蝶型のペンダントを俺は構内で見たことがあった。それは、俺が構内を一人でぶらついていた時のこと、ボランティアに興味がありませんか、と顔に貼り付けたような笑顔で質問してきた女が同じ物を首にぶら下げていたのを覚えていたからだ。その時の俺はどこか確信的な胡散臭さを感じ適当に断りを入れたのだが、やはり宗教的なサークルであったのか、と俺は頭を悩ませる。


藤原ふじわらさん、そのサークルのことでわかっていることはないのか。あまりにもそのサークルについて知らなさすぎる」


 藤原、半年ほど前に俺はコイツと出会いどうしようもない状況から俺を人としてこの社会に引き摺り戻した際、そう男は自身のことを説明した。この人は果たして大学生なのかそうでないのか、それ以上のことを俺は詳しくは知らないし、踏み込むこともしない。こんな、に精通しているヤツなんかと深く関わるべきじゃないしな。


「そいつは残念だが、僕もわからない。なんせこのサークルに所属している人たちは他とのコミュニティの接触を可能な限りしていないみたいだ。周りに比較対象がいないことで、それが正常であると認識せしめるためであり、異常だと認識せしめないためであろうね。よくあることだよ。至って正常だ」


 まあ、それもそうか、と彼の発言に納得をするもののやはり、少しばかり頭を悩ませることになった。というのも、結局俺は、「楓」との対話の中で核をついた話をすることができなかった。彼女は、自分自身のことのおおよそについて語ることがなかった。


 そして俺は彼女が宗教サークル所属ではないかと疑った時よりこんなことになるのではないかと薄々感じていた。そして俺の悪い予感は、素晴らしいことによく当たるのだ。


「じゃあやっぱり、この手段しかないのかね。あんまりこういうことは得意じゃないし、役でもないんだけどな。やれやれだよ。いつだって神とやらは俺に困難で危険で面倒で周りくどい道を歩みたがらせる」


 藤原は俺が言ったことの意味を理解しているだろう。あるいは、彼は俺がこの方法をとると予測ぐらいできているかもしれない。全くもって掴みようがなく、それでいて人間じみていない感覚をこの男に感じるのだ。


「おそらく君が考えているその方法こそ、最短ないし最速で答えにたどり着けるだろうよ。まあ危険だ、と言っても所詮建前は学生サークルだろ、そこまで酷いことにはなりゃしないさ。あっても、彼女に腕の12もっていかれるだけのことだろうよ。」


 そして、藤原の目が割れたガラスの様に鋭く俺を見つめ直し、それに、と言葉を続けた。


「君にとっても、もう時間は残されていないだろ。怠けていた分のツケってやつさ。いやはや全く君には計画性がまるでないね。君の重大事項だろう、これは。もっと計画をもって行動していれば、もっと簡単なモノを見つけることができただろうに。でも、もうこれを祓うしか君には道はない。せいぜい頑張りたまえよ」


 東雲出しののめいづるくん。藤原は俺の横を通り過ぎながらそう答えると、部屋を音もなく出ていった。外に出てみるが彼の姿は見えない。


 ちなみに俺は計画性がないわけではない。いつでもできるからギリギリまで残しておくんだ。まあ、それを計画性がないと言われるだろうが、そんな、常に全力疾走みたいな生き方なんて俺はムリ。君らだってやりたくない時はやりたくないだろ。俺もこんな事できるだけやりたくないんだよ。


 ゆっくり、人が歳をとるスピードと同じ早さで生きていきたいものだな、と俺はつくづく思う。それが、生き物としてのあるべき姿ではないだろうか。だがしかし、ここで生きて行く上で、そんなことは許されないのだ。マニュアル通り時刻表通りの各駅停車を余儀なくされてしまう。その列車に乗り遅れた者は総じて、出来損ない扱いだ。全くもって、狭苦しいね。形はイビツでも、果実はいつだって最高の甘みをお前らに届けてくれるじゃないか。


 いつの間にか、構内上空の空はオレンジ色に染まりかけていた。旧部室棟、北方の山に生えるわずかな葉をつけた木々が冷たい風に吹かれ、ざわざわと音を立てて鳴いていた。

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俺は霊媒師じゃないのだが @ginnganouede

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