第30話、はむはむっ

 ランニングを終えて家に帰った俺と純白。


 シャワーで汗をさっぱり流した後、俺は自室で今日も筋トレに励む。腹筋や腕立て伏せなど、今日も基礎的なトレーニングをひたすら繰り返していた。


 そうして体を動かしながら考えるのは純白の事だ。


 毎日のように甘えてきて、兄さん兄さんとくっつく純白。頭を撫でればふにゃりと頬を緩ませて、俺の腕に抱きついて猫のように甘えて、そんな可愛い純白を毎日見てるからこそ、妹の些細な変化にも気付けるようになった。


(さっきの公園で……俺との間接キスを意識していたの、間違いじゃないんだよな?)


 自分に問いかける。

 言葉では気にしていないように聞こえても、耳まで赤くして恥ずかしそうに視線を逸した純白。


 あれは見間違いじゃなかったのか、俺の勘違いではなかったのか、と。


 もしあの反応が本当だったとしたら、俺達は両想いで、純白は俺の事を異性として見ているって事になる。

 

 妹としてではなく一人の女性として、兄ではなく一人の男性として、互いの想いは通じ合っているのではないか。そんな期待がどんどん膨らんでいく。


 しかしそれと同時に不安も湧き上がってくるのだ。


 単にランニングで純白の顔が火照っていただけで、それを俺が誤解しただけなんじゃないか、と。


「はぁ……駄目だ、筋トレに集中出来ない……」


 腹筋を中断してベッドの上に寝転がる。

 白い天井を眺めながら、ひたすら純白の事を考えた。


 俺はタイムリープして青春をリスタートさせた。


 その最終的な目標は純白と添い遂げる事、一度目の人生で抱いた後悔を断ち切って純白と幸せな日常を送る事。 


 しかし二度目の人生でも、その想いを果たすのは難しい事だと俺は思っていた。


 俺は純白を異性として意識しているが、純白の方がどんな感情を俺に抱いているのか確証を得る事が出来ていなかったのだ。


 兄妹として好きと、異性としての好きの間には、とてつもなく高い壁がある。同じ愛情でも全くの別物だ。いくら純白が俺を慕って懐いていても、それが恋愛的なものなのか家族愛によるものかを判断するのは難しい。


 俺達は父さんから実の兄妹として育てられてきた。純白も当然、俺達が実の兄妹だと思っている。


 そんな純白に血の繋がりがない事を告げずに、その高い壁を乗り越えて好きになってもらうには途方もない努力が必要だと考えていた。


 だからこそ俺は純白に好かれる為に変わろうと、タイムリープしてからは筋トレにランニングに身だしなみなど出来る限りの努力をした。純白に振り向いてもらう為なら何でもしようと頑張ってきた。


 けれど既に純白はその高い壁の、俺と同じ側に立っていたとしたなら? もう既に純白は俺の事を、お兄ちゃんではなく一人の男性として見ているのだとしたら? 俺達の想いは通じ合っていて、恋人になれるのだとしたら?


 それを考えただけで胸が熱くなってどうしようもなくなる。


 俺は今すぐにでも純白の部屋に行きたい衝動に駆られた。


 確かめたかったのだ。この想いは一方通行ではないと、純白も同じ気持ちなのだと、知りたかった。


「でも……駄目だ」


 聞けない、怖くて聞く事が出来なかった。


 もしそうじゃなかったら、きっと純白との関係はどうしようもない程に壊れてしまう。


 今の幸せが崩れてしまうかもしれない恐怖が俺を躊躇わせた。


 これは奇跡なんだ。

 一度目の人生への後悔が、あの時の願いが、神様が叶えてくれた一度きりの奇跡。


 失敗出来ない、二度と間違えないと決めたんだ。リスタートしたこの青春で、俺は純白との幸せを掴み取る。その為に俺は必死に足掻いてここまで来たんだ。


 ゆっくりと着実に、焦っても仕方がない。

 俺は自分の心を落ち着かせるように、目を閉じて深呼吸をする。


「飲み物でも取ってくるか……」


 冷蔵庫の中にオレンジジュースがあったはず。きりりと冷えた飲み物が喉を通るのを感じれば、少しはこの熱くなった頭も冷めるだろう。


 部屋を出て階段を降り、リビングの扉を開ける。そのままキッチンに向かおうと思って中に入り、俺はその途中で立ち止まった。


「あれ……純白?」


 リビングのソファーの上で横になって、すぅすぅと可愛い寝息を立てている純白の姿がある。


 シャワーを浴びて、髪を乾かして、部屋着に着替えたその後、もしかすると慣れない事をしたのもあって疲れて眠ってしまったのかもしれない。


「今日は俺とランニングする為に早起きしてたもんな」


 純白とのランニングも割と長距離を走ったし、汗もかいていたからお風呂に入った後で睡魔に襲われたのだろう。


 そういえば髪を乾かしている最中もうとうとしていたっけ。そんな事を思い出しながら俺は純白の眠るソファまで歩み寄る。


 あどけない表情で眠り続ける純白。一体どんな夢を見ているんだろうか?


 ああもう、口がちょっと開いてよだれが垂れてる。俺はポケットに入れていたハンカチを取り出して、それをそっと純白の口元に当てる。


 そして純白のよだれを拭いたその後だった。


「にい……さん、すきぃ……えへへ」


 まぶたを閉じたまま柔らかな笑みを浮かべて純白は寝言を呟く。まさか夢の中でも俺に甘えてるんじゃないだろうか、なんて考えてしまう。


「全くもう。純白は本当に甘えん坊なんだから」


 純白を起こさないように、そっと妹の体に寄り添った。夢の中だけじゃなく、現実の世界でも純白を甘やかしてあげようと思って、俺は可愛らしい寝顔に手を伸ばす。


「純白は良い子だな。よしよし、可愛いぞー」


 純白の柔らかな頬を指先でつついてみる。ぷるるんと弾力のある感触が伝わってきて、とても心地が良い。ずっと触れていたくなるような肌質だ。


 こうして頬をつついても純白は気持ちよさそうに眠ったままで起きる気配はなかった。


 そんな純白を見ているとイタズラしたくなってしまうのが俺の悪い癖だ。


 頬をつついていた指先でそっと純白の唇に触れる。潤んだ桜色の唇はふっくらとしていて、とても柔らかい。


 指で唇をなぞれば、純白はくすぐったそうに顔を動かし、むにゃむにゃと言いながら寝返りを打った。


 そのせいで純白の長い髪がさらりと流れて、シャンプーの良い匂いが漂った。


 普段から甘い香りのする純白だが、お風呂上がりということもあっていつも以上に良い香りがする。


 今度は純白の頭を撫でるように手を添え、さらりとした光沢のある銀髪に優しく触れる。


 絹糸のような細く滑らかな銀色の髪は、俺の手のひらに吸い付くようでいつまでも触れていられるような錯覚を覚えさせた。


 手櫛を通すようにして純白の髪をすく。すると純白はまたくすぐったそうに身を捩って、今度は俺の方に向き直って――可愛らしい瞼がほんの少し開いた。


「に、い……さん」


 まだ夢の世界にいる純白は、ふにゃふにゃにとろけた声で俺を呼ぶ。そのまま夢の世界の続きをするかのように、両手を広げて俺の方へと伸ばしてきた。そして純白は俺をぎゅっと抱きしめる。


 純白から抱きしめられるのも、俺から抱きしめるのも珍しい事じゃない。甘えん坊の純白といつもしている事だ。


 でも抱きしめられたその後、純白が続けてしてきたその甘え方は俺にとって初めての経験だった。


 ――ちゅっ。


 首筋に伝わる柔らかな唇の感覚、そして伝わる優しい温もり。一体何をされたのか気付いた瞬間、心臓がバクバクと跳ね上がった。


 それは紛れもなくキスだった。首筋とは言え、確かに純白は俺にキスをした。


 今まで一度もして貰ったことのない純白からの愛情表現。驚きのあまり俺は固まって動けない。


「にいさっ……すきっ……んちゅっ……」


 そして動けないままでいると、純白は俺を求めるように首筋に吸い付いてくる。まるで赤ちゃんみたいだった、ちゅっと何度も音を立てて口付けを繰り返す。


 それから唇ではむはむと甘噛みをして、舌先を這わせてくる。ぴちゃぴちゃと唾液が絡み合う音と共に、ぞくりとするような快感が体中を駆け巡る。


「はむっ…はむ……ちゅっ」


 俺の首元に顔を埋め、頬ずりをしながら何度も口付けと甘噛みを繰り返していく。


 その度に純白の甘い吐息がかかり、俺の理性が溶け落ちてしまいそうになる。


(純白……お前、本当にここまで俺を……)


 純白は今も夢を見ている。

 現実では出来ない事を、本当はしたい事を、夢の中で叶えている。


 夢の中で俺を求めて、夢の中の俺に甘えて、夢の中で俺に想いを伝えている。


 けれどその夢の先は現実に続いていて、純白は現実の俺に甘えている。そしてそれに気付いておらず、こうして俺に口付けと甘噛みを繰り返しているのだ。


「ふにゃ……?」


 そんな寝ぼけた声が聞こえて、不意に純白は夢の世界から戻ってきた。


 ふにゃふにゃとした様子で俺の顔を見つめ、徐々に意識が覚醒していく。


「兄……さん? あれ……わたし、夢で……」

「お、おはよう純白。よ、よく眠れたか?」


 純白はさっきまで口付けを繰り返していた俺の首筋に気付いて、とろけていた顔が見る見る内に真っ赤に染まっていった。


「あ……ああっ……ゆ、夢じゃなくて……! わ、わた、し……!」


 あわあわと慌てる純白は恥ずかしさからか瞳を潤ませていて、咄嗟に俺から離れて起き上がった。


 真っ赤に染めた顔を両手で隠してベッドの上で正座をしている。


 寝ている間にしていた大胆な行動を思い出したのか、耳たぶまで真っ赤になっていた。


 俺も俺で、寝ている純白にイタズラをしていた後ろめたさが残っていて、純白と目を合わせられずにいる。


「に、兄さん……わたし、もしかしてずっと……?」

「あ、ああ……だな。俺に抱きついたまま、首のところをずっと……」

「〜〜っ! ご、ごめんなさいぃ……っ!」


 純白は羞恥心に耐えられなくなったのか、ソファーに置いてあったクッションを取って顔を埋めた。


 頭から湯気が立ち上りそうなくらい、純白の体は熱くなっているのだろう。


 俺も同じで、純白がしてくれた事への嬉しさや、純白が俺を求めているという事実にドキドキが止まらない。何より今朝の間接キスで俺を意識してくれていた事、そして今のように兄妹以上の関係を求めている事が分かって、さっきまで抱いていた不安が一気に消えていった。


 俺と純白は両想いだった、兄妹としてではなく、異性として互いを意識をしている。俺と純白は同じ想いを胸に秘めていた。それを知れて幸せ過ぎてどうにかなりそうだ。


 それから純白はちらりとクッションから顔を覗かせると再び俺の首筋を見つめた。


 そこに出来ているのはキスマーク。


 そしてそれを付けたのが紛れもない自分だという事に純白はひたすら恥ずかしがって、俺も純白から付けてもらったキスマークが妙にくすぐったくて仕方がない。


「兄さん……嫌じゃなかったですか……? わたしから、あんなことされて……」

「全然。むしろ純白が赤ちゃんみたいに甘えてて、それがすっごく可愛くてさ。だからされるがままになってた」


「うぅ……っ。は、はずかしいっ……です……」

「恥ずかしがってる純白も可愛いな。よしよし」


 俺は純白の隣に座ると、ぽんっと優しく頭を撫でる。びくっと肩を震わせた純白だが、やがてゆっくりと俺の方へと顔を向けた。


 そのまま俺は純白を安心させるように微笑みかける。すると純白はまたも恥ずかしそうに視線を逸らすと、ぽてっと俺の肩に寄りかかる。


 それから互いに落ち着くまで、俺達はそうして寄り添い合った。

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