第29話、甘酸っぱい青春の味

 俺が純白とのランニングに選んだコースは川沿いの散歩道だった。


 今日はとても気持ちの良い快晴だし空気も澄んでいて風も心地良い、絶好のランニング日和だ。


 俺達はランニングシューズを鳴らしながら軽快に走る。こうして二人で並んで走るのは本当に楽しかった。


 走りながら雑談をしたり、時には競争したり、互いに爽やかな汗を流せる最高の時間。

 

 隣を走る純白の表情はいつも以上に生き生きとしていて、走っている最中だというのに終始笑顔を絶やさなかった。


「どうだ、純白? いつもと同じくらいのペースで走ってるんだけど、純白は疲れていないか?」

「はいっ、平気です。それにしても兄さんはやっぱり凄いですっ。毎日こんな長距離を走ってるなんて」


「忙しかったりする日はもう少し短いコースにしたり、雨の日も違うコースを走るんだ。今日は天気が良いから、やっぱり走るならここかなって」

「春休みから毎日ですもんね、一日も休まないで本当に尊敬しますっ」


「まあ俺が好きでやってる事だからな。それにこうして純白と二人で走ると楽しいしさ。たまにはこういう休日もいいんじゃないか?」

「はいっ。わたしも楽しいし嬉しいです!」


 俺の言葉に純白は元気よく返事をする。

 その声色は弾むように明るくて、俺も自然と顔が綻んだ。


 何より純白の走る姿はとても綺麗だった。後ろに結んだポニーテールをなびかせながら軽々とした足取りで走っている。その姿はまるで風のようで、純白が運動神経抜群であるのは以前から知っていた事だが改めて見るとやっぱりすごい。


 こうして純白が一生懸命に走っている姿を見るだけで嬉しくて心が温かくなるのだ。


 それからしばらく走り続け、俺達の前方に公園が見えてきた。


 木々に囲まれた緑豊かな公園であり、ランニングの休憩スポットとしては最適の場所だ。


 流石の純白もここまでずっと走っていた事もあって息が上がっていた。休むタイミングとしてもちょうどいいだろう。


 俺と純白はそのまま公園内に入り、少し広めの広場までやってきた。


「よし。結構走ったしここで一旦休憩にしよう」

「はあっ、はあっ……はいっ」


 立ち止まった純白は肩で息をしながら呼吸を整える。額からは汗が流れていて、かなり体力を使ったようだ。


「すごいです……兄さんっ。わたしなんてもうバテバテなのに……まだ余裕そうです」

「純白も俺みたいに毎日走るようになったらきっと余裕になるさ。とりあえずはそこのベンチでゆっくり休もうか」


 俺は近くにある木製のベンチを指差す。

 そこに腰掛けるなり、純白は大きく深呼吸をして体から力を抜いた。


 俺もその隣に座ってタオルとスポーツドリンクの入ったペットボトルを取り出す。


「はい、純白。これで汗拭いて、水分補給も忘れずに。最近は春って言ってもすぐ暑くなるからな」

「えへへ……兄さんは本当に優しいです。ありがとうございますっ」


 純白は渡されたタオルで汗を拭いて、それからゆっくりとスポーツドリンクを口にする。


 美味しそうな表情を見せながらこくりこくりと喉を鳴らしていた。


「ぷはぁ……。運動の後のスポーツドリンクは格別ですねっ」

「だな。動いたら動いた分だけ美味しくなるよな」


「はい。でも今日は特に美味しいですっ。やっぱり兄さんと一緒に運動したからでしょうか、本当に楽しかったですよ」

「俺も楽しかったよ。それに隣で走ってる純白の楽しそうな顔を見てたら、俺ももっと頑張ろうって思えたし」


「わたしもですっ。頑張る兄さんがかっこよくて、それで一緒に走れるのが楽しくて、気付いたらいっぱい笑ってました」

「そうだな、走ってる最中の純白ずっとニコニコしてた。本当に純白って笑顔の似合う良い子だよな」


「えへへ。良い子なのでちゃんと兄さんの分のドリンクも残しておきましたし、汗も拭き終わったのでタオルをお返ししますっ」

「お、サンキュー。んじゃ、早速俺も頂こうかな」


 純白から半分くらい残ったスポーツドリンクを受け取って、俺も額に流れていた汗をタオルで拭って気付くのだ。


(このタオル……めっちゃ良い匂いする。え、あ……もしかして純白の汗の匂い?)


 ほんのりと柑橘系の爽やかな香りが漂っていて、さっきまで俺が持っていたタオルとは全然違うものになっていた。


 純白が使っただけでこんなに良い匂いになるなんて凄すぎる。純白の汗が染み付いたタオルを使っているのだと実感した瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。


 照れて熱くなった顔の火照りを誤魔化そうとペットボトルに口をつけようとして、それが俺にとって更なる追い打ちになる事に気付いて固まってしまう。


 これ、間接キスだよな。だって純白が半分飲んで、それをそのまま俺が飲もうとしているんだから、当然そういう事になってしまうよな。


 ちらりと横目で純白を見ると、妹は首を傾げながら俺を見ていた。


「兄さん、どうしましたか?」

「いや、えっと、その……」


「あはっ。もしかして間接キスを気にしてます?」

「そんなことは……」


「気にしなくて良いですよ、だって兄妹なんですっ。遠慮しなくて大丈夫ですっ」

「ま、まぁ……そうだけど……」


 にこにこと微笑む純白の顔を見たら何も言えなかった。というか……少しだけショックに感じてしまう。


 俺が関節キスを意識しているだけで、純白はなんとも思ってない。


 最近のイチャイチャ甘々な関係を通じて、もしかすると純白も俺の事が……なんて淡い期待を抱いていたのだが、どうやらそれは俺の思い込みだったらしい。


 純白が言った通り兄妹だから遠慮なくスキンシップして欲しいと、妹として大好きなお兄ちゃんである俺に甘えているだけなのだ。


(まだまだ頑張りが足りないのかもな……)


 俺は純白と兄妹以上の関係になる為に、タイムリープして青春をリスタートさせた。けれど俺が望む理想の関係に辿り着くのは程遠い、遠すぎて泣きたくなる程に感じてしまう。


 その悲しさと共にスポーツドリンクを飲み干してしまおう、とそう思った時だった。


 今日の純白はランニングの為に髪をポニーテールにしている。いつもなら長い髪で隠れている耳が露わになっていて――そこで気付くのだ。


 真っ赤に染まった耳たぶ、そして首筋から頬にかけてうっすらと浮かぶ朱色に。


 それは紛れもなく、純白が俺との間接キスを意識している証拠であった。


「純白……?」

「ど、どうしました?」

「いや……何でもないんだ」


 俺は思わず口元を隠してしまう。にやけてしまう、緩んでしまう、嬉しくなって笑ってしまう。さっきの悲しい感情は一瞬にして吹き飛んだ。


 今まで俺は純白を照れさせるような事を何度もしてきた。けど今の反応はそれとはまるで違う。


 俺の事を大好きだと、愛していると何度も伝えてくれる純白。


 でもその言葉は兄としての俺に向けられているもので、異性としての俺に向けたものではないと思っていた。


 それなのに純白は俺との間接キスを意識してくれた。


 もしかしたら純白も俺と同じ気持ちになってくれてるんじゃないか、今の反応で感じたその希望が俺の胸の中で熱を帯びていく。


 そのまま俺は黙ってスポーツドリンクを口にする。すると隣に座っていた純白は顔を赤くしながらそっと視線を逸らす。その仕草が答え合わせのように思えて心臓が激しく高鳴っていく。


 そうして飲み干したスポーツドリンクは――甘酸っぱい青春の味がした。

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