第14話 弟の友人


   ◇


「いやー、こうしてお近くで拝見すると、フィオナ嬢は本当にお美しいですね! シリルに誘われた時は何事かと思ったけど、噂のフィオナ嬢とご一緒できるなんて大変に光栄ですよっ!」

「……頼む。僕が君を殺したくならない程度に自重してくれるかな」

「あれ、シリル、君はそんなに神経質な男だったか?」


 イカルド伯爵の夜会へ向かう馬車の中は、呑気な男の声とシリルの深刻そうな声で賑やかだ。

 乗っているのは、フィオナとシリル、それに馬車に乗る前から浮かれ続けている若い男。


 この若い男はシリルの友人で、年齢は少し上。二十三、四歳だろう。少し垂れた目元に愛嬌があって、女性に人気がありそうな、なかなかの色男だ。

 ダーシル男爵エリオット。

 シリルが飛び級に飛び級を重ねた学問院で知り合ったとのことだが、フィオナは初めて会った。


(シリルには、こんなお友達もいるのね。意外に顔が広いじゃない)


 ずっと微笑み続けているフィオナは、心の中で弟を見直していた。

 でも、シリルはピリピリしていてそれどころではない。

 今もまた、馬車の揺れに乗じて、向かいのフィオナの隣に移動しようとする男の肩をつかんで睨みつけた。


「エリオット。流れるように何をしているのかな?」

「美女がいれば、隣に座りたいと思うのは自然の摂理だろう?」

「……君、僕に『義兄上』と呼ばれる覚悟はある?」

「えっ?! そ、それは……そこまでの覚悟は、まだないかな……うん、悪かった」


 完全に座っているシリルの目に、エリオットは青ざめて大人しくなった。

 フィオナはそんな二人を見ていたが、ふと首を傾げた。


「もしかして、私を口説いてくださろうとしたの?」

「美女に対する礼儀ですから」

「姉さん!」

「嬉しいわ。私、男性に口説かれたことはないから」

「おや、では私は名誉ある一人目の生贄ですか? でも、きっと今夜の夜会では聞き飽きるほど愛を囁かれますよ」

「エリオットも、姉さんに変なことを吹き込まないでくれ!」

「さっきから、シリルは騒がし過ぎないかしら?」

「フィオナ嬢が美しい過ぎるからでしょう」

「……あー! もう二人とも、しばらく黙っていてくれるっ?!」


 いつもより念入りに整えていたプラチナブロンドをかき乱し、シリルは真顔で二人をにらむ。

 弟のその迫力に、フィオナは思わず口を閉じる。

 エリオットはさっきよりさらに青ざめ、でも懲りずにフィオナににこっと笑いかけ、シリルにギロリと睨まれて慌てて窓の外を見始めた。




 イカルド伯爵の夜会は、思ったより普通だった。

 フィオナは目元を隠す仮面をつけた姿で会場の隅にいたが、同じように仮面をつけた男女が行き交う周囲を観ながら首を傾げた。


「入り口で仮面を配っていたから、こういう場所はもっと……見るからにいかがわしい雰囲気かと思っていたわ」

「ははは、フィオナ嬢は面白いですね! そういう夜会もありますが、あなたをご案内するとなると、この辺りが限度なのですよ」

「あら、そうなの? そうだわ、ダーシル男爵、今度、そういう夜会に私を連れて行っていただけないかしら?」

「ははははは……」


 赤い羽でふっさりとした仮面をつけたエリオットは、チラリとシリルを見やって顔を引き攣らせた。シリルが選んだガラスを多用した青い仮面は、氷のような視線をさらに強調している。

 しかし、エリオットは簡単に折れる男ではないらしい。孔雀の羽のような色鮮やかな仮面をつけたフィオナに笑顔を向けた。


「申し訳ありません。お連れしたいのはやまやまですが、私はまだ命は惜しいし、領地も田舎にいる弟妹たちも大切でして。でも、今夜の夜会も悪くはありませんよ?」


 にやっと笑ってから、広間の向こう側を指差して声をひそめた。


「花まみれの仮面の女性がいるでしょう? あれ、ボース侯爵夫人です。若い男を五人ほど連れてきていますが、あれは全員愛人ですよ」

「まあ、そうなの?」

「豪快ですよね。で、反対側の廊下の、ちょっと人目につきにくい柱の影では、彼女の夫君が今まさに年若いお嬢さんを口説いているようです」

「……うわ、夫婦でそれなのか。……ん? あの令嬢は知っているぞ。就職先に恵まれていないとは聞いていたが」


 エリオットから目を離したシリルは、令嬢を見て顔をしかめた。

 フィオナも口説かれているという令嬢を見た。片目だけを隠す仮面だから、顔立ちはよくわかる。

 しかし見覚えはない。高位貴族でも名門でもないようだ。伯爵より下位の家で、経済的な理由で成人後も社交界に顔を出せていないだろう。


「あの女性、シリルの知り合いなの?」

「学問院ではわりと有名だったよ。奨学金で学ぶとても優秀な人だったけど、卒業後は苦労しているみたいだね。彼女の水路設計は工夫が面白いんだけど、学問院時代に有力者に睨まれてしまったようで、知識を活かした職にはつけていないという噂は聞いていたんだ。……でも、まさかこういう場に来ていたのか」

「ああ、たぶんだけど、彼女はまだ愛人業はやっていないと思うよ。抵抗があるみたいでね。それがまた、ボース侯爵の心をくすぐるんだろうな。……という、貴族の闇も垣間見れてしまうんですよ!」


 ふと目を向けたエリオットは、フィオナが眉をひそめてあることに気付いて、少し慌てていた。

 美しい公爵令嬢が、その潔癖さ故に気分を害してしまったと思ったらしい。


 でも、シリルは別の意味で慌てた。

 仮面からのぞくエメラルドグリーンの目はキラキラと輝いている。姉のあの顔は、何かを真剣に考え込んでいるはずだ。たぶん、いや絶対に、令嬢らしくないことを考えているのだろう。


「あの、姉さん? 今夜は、ローグラン侯爵の弱みを探す目的があったよね? 噂になった女性たちを探そうと言っていたこと、覚えている?!」

「……ねえ、シリル。あの女性に声をかけてもいいかしら。水路設計が専門と言ったわよね?」

「あ、やっぱりそこに食いついちゃうんだ。でも横取りはまずいと思うよ!」

「私は女で、あの方を愛人にしたいわけではないから、横取りではないでしょう? あの侯爵があの方の雇い主でもないのなら、ヘッドハンティングでもないし、あえて言うなら……ナンパかしら?」

「せめて勧誘と言おうよ!?」


 シリルが頭を抱えた隙に、フィオナはスタスタと歩き始めた。人の少ない場所へ向かっていくから、慌ててシリルも追いかける。エリオットも面白そうな顔で、少し遅れて追いかけていく。

 ただし、絶対に追いつくつもりはないようだ。

 問い詰められたら「万が一にも侯爵に睨まれると生きていけない男爵家の悲哀だよ」とでも言うんだろうなと、シリルはちらと振り返って考えた。


 だが、今は姉フィオナを止めなければ。

 さらに足を早めようとした時、フィオナがぴたりと足を止めた。

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