公爵令嬢の戦果

第13話 新たな目標



 天馬がテーマだったローデリッツ伯爵主催の夜会の翌日。昨夜の気疲れを残しながら、シリルは朝から図書院に出向いていた。

 夜中から朝にかけてしか会えない種の学者たちに話しかけ、日中になって動き出した文官たちにも挨拶をして、さまざまな情報を集める。

 そんな他愛のない日常の中で元気を取り戻したシリルが、鼻歌混じりに公爵邸に戻ったのは、昼を過ぎたころだ。


 帰宅した公爵邸が妙に騒がしい。何かと思ったら、フィオナの姿が消えたとメイドたちが慌てている。

 あの姉のこと。非常識なことはしないはず。姿が見えないのなら、きっとメイドたちが思いつかない場所にいるだけだろう。

 そう笑いつつ、それでも念のためにとシリルも捜索に加わったのだが。

 意外にすぐに見つかった。……書庫の作業室で。



「……姉さん、こんなところで何をしているの」


 姉フィオナを見つけたシリルは、やや強張った笑みを浮かべていた。


 メイドたちが思いつかないのは仕方がない。

 今、フィオナ付きになっているメイドは若い娘たちが多く、昔のフィオナを知っている古参メイドは一週間前から休暇に入っている。

 普段のフィオナは、何の問題も起こさない。

 そんな公爵令嬢がいつもと違う行動をとった途端に慌ててしまったのは、ここ最近のフィオナがもの静かな令嬢だったためだろう。


 しかし彼女たちも、秘書官や会計官のところには探しに行っているから、無能なわけではない。

 シリルだって、まさかここにいるとは思わなかった。

 ただ、メイドたちが探していないであろう場所を一つ一つ潰していくつもりが、いきなり見つけてしまっただけだ。


「あら、シリル。何か用かしら」

「用かしら、じゃないよ。急に姿を消すから、メイドたちが青ざめているんだけど」

「……置き手紙を忘れていたのね。嫌だわ、ポケットに入ったままだった」


 そんなことを言いながら、くしゃりとしわが寄った紙を取り出している。

 だがその格好は、公爵令嬢とは思えない。

 男装だ。美しい銀髪は、そっけなく一つに束ねただけ。背中に長い髪が流れている姿は美しくないわけではないが、シリルは深刻そうにため息をついた。


「あのさ、一応聞いておくけど、その服、僕のだよね?」

「正確には少し違うわね。昔シリルが着ていた服よ。小さくなって着なくなったものを、私がもらっていたの」

「……そうなんだ。サイズ、姉さんにぴったりだね」

「調整してもらったのよ。モーラがこういうのが得意でしょう?」

「…………ああ、モーラね……」


 そのベテランメイドのことは、シリルも知っている。

 だからため息をついたが、それ以上何かいう気にもなれない。

 普段はフィオナの身の回りの世話をするモーラは、裁縫がとても得意だ。特にドレスの作り直しが上手い。そのせいで、シリルは何度も姉のドレスを着せられた。

 思い出したくもない。

 我ながら最高に可愛いかった。……そう思ってしまったことを含めて黒歴史だ。


 シリルは咳払いをして、改めて姉の姿を見た。

 男装で何をしているかといえば、古書の修復らしい。丁寧に紙の補修をしている。でも手にインクがついているから、午前中は書写をしていたのだろう。

 昔からフィオナはここが好きで、よく遊びに来ていた。シリルも姉と一緒に古書の修復を習ったこともある。

 メイドたちが朝食後に姿が消えたと言っていたことを思い出し、シリルはため息を我慢して、もう一度咳払いをした。


「姉さん、昼食は?」

「ビスケットとリンゴを食べたわ」

「飲み物は?」

「水を飲んだわよ」

「へぇー、そうなんだね……」


 確かに、壁際のテーブルには水差しがあった。ビスケットやリンゴを包んでいたと思しき布巾もある。

 それなりに充実した昼食だったようだ。

 目元に落ちてくるプラチナブロンドをかきあげ、シリルは今度こそ長いため息をついた。


「……あのさ、なぜそんなことをしているの?」

「古書修理はいつも人手が足りていないでしょう?」

「うん、それは知っているけど、いきなり姉さんが始めることじゃないよね? 最近の気分転換は、会計官と一緒に計算をしたくらいだったよね? 申告書の書面作りでもないなんて、どういう心境の変化なの?」


 公爵令嬢フィオナは、自分の仕事は持っていない。

 いずれは嫁ぐことになるとわかっているから、結婚相手に何の不利益ももたらさないようにと、自分の知識を磨く以上のことはしなかった。


 ただし、フィオナは公爵家のあらゆる事業に関わっている。会計官たちと領地から集まる帳簿をまとめたり、政治に関わる秘書官の仕事を手伝ったり、いつの間にか増えた自分の領地の経営を管理官たちと話し合ったり。

 実態としては、普通の貴族当主以上に働いているんじゃないか、とシリルは疑っている。


 だが、そういういつもの仕事ではなく、いきなり書写や古書修復などの地道な仕事を始めたということは……。


 フィオナは弟の質問に答えない。

 目も合わせずに、修復を終えた古書に注意深く重石を載せている。シリルはまたため息をついた。


「姉さん」

「今、忙しいの」

「うん、それはわかるけど、いろいろ意味がわからないから。メイドたちを泣かせてまで何をしているの?」


 珍しく食い下がる弟に、フィオナはぐっと唇を引き結ぶ。

 でも目の前の作業はきっちり終わらせて、それからようやく口を開いた。


「……だって、悔しいんですもの」

「悔しいとは?」

「ちょっと想定外な状況になったけれど、それでも昨夜は私の顔を売る機会にはなると思っていたのに! 私たちの年齢が話題になったくらいで、あとはあの男が全部持っていってしまったわっ!」

「あー……やっぱり、それだよね……」


 シリルは苦笑する。

 昨夜の夜会は……いろいろ突っ込みどころがあるにせよ、姉フィオナとあの男の独壇場だった。

 特にあの男――ローグラン侯爵はすごかった。

 何度婚約が解消されていこうと落ち着いていたフィオナを、凹ませ、悔しがらせている。


「何というか……年の功って感じかな」

「たかだか三十一歳で『年の功』なんて、若すぎるわよ! あの男の弱みはないの? 何か情報はないの!?」

「ああ、うん、ローグラン侯爵の情報はね、僕も探っているんだけどよくわからないんだよ。前歴が騎士で、今も武人で、婚約を繰り返しては解消しているというくらいで」


 シリルだって腹は立ったのだ。無策にやられっぱなしでいた訳ではない。

 なのに、これというものが何も見つからない。

 ふうっとため息をつき、美しい美貌を苦悶に曇らせながら首を振った。


「前歴を探りたくても、爵位を継ぐ前は南部のローグラン領にいたらしいからね。あそこは間諜が入りにくくて……ほぼ全部の領民が同じ民族だから。現侯爵だけはあの容姿だから、親のどちらかかが異国出身なんだと思うけど、そういう情報も公開していないんだよ。年齢だって元婚約者の家くらいしか知らなかったんじゃないかな」

「……醜聞はないの?」

「あ、女性関係はけっこう聞いたよ。でも現状で独身だから、どうしても醜聞ってほどにはならないし、自慢している女性たちもなんかお互いに張り合っている感じがあるんだよ。話をかなり盛っているようだから、そもそも本当に寝たのかどうかも怪しいんじゃないかと……っと、失礼!」


 愚痴じみたことをぶつぶつ言いかけて、シリルは潔癖な姉にする話ではないと気付いて慌てた。でも、フィオナはたいして気にしていないようだ。

 色恋に縁の薄いフィオナは、寝たと言われても犬が番っているくらいにしか思えないらしい。

 それに、今は他の何かを真剣に考えている。


「えっと、姉さん?」

「……あの男、私と婚約していたフォール様の領地の女性関係の話を敏感にかぎつけていたわよね。自分がそうだったとか、そういう可能性はないかしら」

「えー? そういうことって……いや、あるかもしれないね。……あー、でもあそこは入りにくいから、やっぱり難しい!」

「十五回も婚約と解消を繰り返しているから、そこに何がヒントはないの?」

「うーん、繰り返している婚約は完全に利益目的で、期間限定で婚約していたこともあったみたいだけど。容姿は重要視せず、家柄より利益、年齢もバラバラ。最高齢は六十代だったかな。元婚約者だった女性はその後普通に結婚したり、しなかったりはあるけど、婚約解消後に没落した相手はいないのは特徴的、かもしれない。……けど、役には立たないよね」


 シリルは頭を抱えてしまった。

 でもフィオナは諦めた様子はない。

 なおもじっと考えていたが、やがて表情が薄いなりに、にんまりと笑った。


「では、あの男と噂になった女性たちに接触してみようかしら。どういう夜会に行けばいいと思う?」

「えっ? それは……婚活中の姉さんには合わない客層の夜会になっちゃうよ?!」

「そうなの? でも何事も経験でしょう。社会勉強と思って出てみるわ。お父様のところに招待状はあるかしら」

「え、ええー……そういうのも来ているとは思うけど……え、本気っ?」

「本気よ。でも、シリルは行きたくないわよね。とすると、同行者は他の人を探した方がいいかしら」

「いやいや、僕が一緒に行くから! そういう夜会が得意な友人も一応いるから、そいつも誘えば安心でしょ!?」

「あら、いい友人がいるのね。では、シリルは行かなくても……」

「絶対に僕も行くからね! 友人と言っても、姉さんを前にして理性的であり続ける保証はないからっ!」


 シリルは悲壮な決意を込めて叫ぶ。

 そこまで行きたくないのなら、別に行かなくても……とフィオナはもう一度言おうか迷ったが、結局弟の強い決意を尊重することにした。

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