再会

 見田が意識を取り戻したのはそれから三十分後の出来事だった。

 道場内には羽柴と若島の姿しかない。それから少し時間が経過して見田の頬を涙が伝う。


 完全な敗北だった。悔しい。自分よりも強い掛川が、神野が憎かった。


 「せっかく若島師匠に弟子入りして強くなったのに…。これじゃあ修行が何も生きていないじゃねえかよ…」


 見田は涙混じりの言葉を吐く。神野千里に負けた時に、不敗を誓った。

 その時差し伸べられた若島の手の温もりを忘れた事は無い。そのはずが、コレだ。


 「見田君…今の段階では技を身につけただけだよ。決して君が掛川君に劣っていたわけじゃない」


 若島が声をかける。だが若島は己の言動の軽率さに後悔はしていた。

 見田に素質を見出して滅びつつある古武道の流れを組む拳法、浪岡流を伝授したのは他でもない若島自身なのだから。


 見田は起き上がり出口を目指して歩いた。


 「師匠。早速帰ってトレーニングですよ。こうなったらリベンジしかありません」


 若島と羽柴は互いに目を合わせる。今回の連戦で見田が負ったダメージは下手をすれば入院するレベルだった。

 さらに掛川から受けた精神的なダメージたるや格闘技を止めてもおかしくはない。

 だが、そこで終わる見田助六ではない。打たれれば立ち上がり、倒されれば尚立ち上がる。それが格闘家 見田助六の本質だった。


 「はは。心配するだけ無駄だったか。羽柴さん、今日はご迷惑をおかけしてもうしわけありませんでした。引き上げさせてもらいます」


 若島が頭を下げると入り口近くの見田も両手を揃えて深々とお辞儀をする。羽柴もまた苦笑しながら挨拶を返した。


 「気にするなって。それより見田君、リベンジマッチの事だが私に任せてくれないか?明日にでも進藤師範に掛け合ってみるよ」


 羽柴の中にも火が点いていた。見田と掛川の戦いをここで終わらせてはいけない。 

いつの間にか、そんな使命感が生まれている。


 「あざっす」


 見田は最上級の敬意を込めて羽柴に礼を言った。若島も弟子にならって頭を下げる。


 こうして不確かだが見田と掛川の再対決の道筋が出来上がった。


 見田はこの後、朝まで若島と共に今日の戦いの反省点を研究する。

 その間、掛川は紫苑は神戸の実家で父親と父親と祖父から父方の祖父トミー・ブラウンと桜井雷蔵の因縁を聞き出していた。


 「?」


 父掛川アントン(和名 安惇)は予想通りに質問の意図を理解していない。祖父掛川岳はいつものように気難しい顔をして答えた。


 「すまんな、紫苑。その雷蔵さんという方には俺も会った事が無いんだ。トミさんにもアントンの事を宜しく頼むとしか言われた事が無え」


 二人とも知らなかったらしい。


 「糞。予想はしていたがかなり最悪な展開だよ。明日進藤師範にでも聞いてくる」


 紫苑は不機嫌な顔をしてキッチンに移動しようとする。そこを父アントンが呼び止めた。


 「待て、紫苑。俺はアメリカで見田助六ってのに合った事があるぞ。親父の記念館ミュージアムでな」


 「は?何で?」


 「ああ。実はその子、親父のファンじゃ無くて俺のファンだって熱心に質問されたんだ。いやあの時は調子に乗って色々と喋っちまったんだよ。もうボクシングなんて出来る身体じゃなかったのにな」


 言葉の最後の方ではアントンは寂しい顔になっていた。二十代の頃、彼はたった数発のパンチを顔面に浴びたばかりにパンチドランカーの兆候が出てしまったのだ。

 米国の祖母は今でもアントンが格闘技に関わる事を嫌がっていると紫苑は母親から聞いている。


 「だが問題は紫苑。お前が野試合とはいえ”無雷”を使った事だ。どう始末をつける?…昔なら切腹物だぞ」


 祖父 岳の声はいつにも増して厳しい。無雷はそもそも格闘技の技ではない。暗殺を目的とした殺人拳だった。

 岳は今は亡き桜井幸四郎からも一子相伝のはずの桜井流を授かった事に恩義を感じている。


 「幸四郎先生はな、自分のお子さんの十郎太さんを戦地に送った事を死ぬまで後悔していた。だから行き場の無くなった俺なんかに桜井流の秘伝を授けてくださったんだ。それを私闘に使うなどもっての外だ。仮に見田君だったか、彼が格闘技を止めるみたいな事になったら俺が腹を切って詫びるぜ?」


 いつの時代の人間だよ?紫苑と安惇の父子は互いの顔を見合わせる。


 「それなら問題ないよ、祖父ちゃん。見田君は絶対に俺にリベンジしに来るって。まあその時は負けるつもりはないけど」


 「フン。それで負ければやはり切腹だな」


 掛川紫苑はキッチンに向い、夕食の洗い物をしている妻と母と祖母の手伝いをする。そして残った掛川岳と安惇は二人が出会った頃の昔話に花を咲かせるのであった。


 翌日、見田はフラッシュプロレスの本部が入っているビルに向った。高層ビルの入り口には【フラッシュプロレス】という大きな看板がかけられているが実際にはフロアの一部を占めているにすぎない。飛ぶ鳥を落とす勢いの天眼道場に比べると寂しい物があった。


 「うらあっ‼いるか、社長っ‼」


 ガタン‼


 見田は入り口を開けるなり怒声を上げた。普通、外部の人間がこんな事をすれば道場に連れて行かれて【プロレスの素晴らしさ】をみっちりと教えられる物だが相手が見田なので強面の巨漢たちは落ち着いた雰囲気で聞き流している。


 「おう、見田ちゃんじゃないの。今日は社長に用かい?」


 髭の紳士然とした巨漢が見田の前にやって来た。じゃんけんが弱い事で有名なプロレスラー、日向大介である。


 「日向さんよ、社長を呼んできてくれ。いやむしろここは俺が行くべきか?」


 「別にいいけど、昨日は若い連中のトレーニングにつき合って腰が痛いとか言ってたからな。お手柔らかに頼むよ」


 リングの上では【極悪のヒューガ】と呼ばれている悪役レスラー《ヒール》だが普段はとても温厚な紳士である。そのザ・ヒューガの弟子である黒田マルコがため息を吐きながらいそいそと見田と日向の下にやってきた。


 「見田君。桜井社長、今日は本当に具合が悪そうだからあまり無理をさせないでね」


 黒田は先輩の日向に向って頭を下げる。日向は黒田の様子から桜井の現状を察して部屋から出て行った。

 若手を奮起させようとしてトレーニングに桜井を参加させたのは何を隠そうこの日向の仕業だった。


 「助六か。俺は今、首が超絶痛いんだ。興行も近いし、今日は用事が終わったらすぐに帰ってくれ」


 桜井雷蔵は思い切り不機嫌そうな顔をしていた。


 「何だよ、社長。それでも日本最強のレスラーかよ。そんなんだから総合格闘技そうごうの連中に脚本がどうとか言われるんだぜ‼」


 見田は中指を立て桜井に抗議する。

 桜井はしっしと追い払うジェスチャーを返してきた。


 「はっ!それで挑発しているつもりか、助六よ!そもそも総合格闘技そうごうの連中と俺らじゃ目指している場所が違うんだよ。最強なんてのは今の世の中じゃ老害が吐くセリフだ!」


 そこまで行って桜井は市販の鎮痛剤を飲む。本人の弁では就寝前は何でも無かったのだが今朝起きた途端に痛みがひどくなったらしい。

 見田は桜井の弱気とも取れるセリフと醜態に嫌気がさしてつい声を荒らげてしまう。


 「なあ、日向さん。こんな老害レスラー追放して新団体を立ち上げちまおうぜ?」


 「言わせておけばこのガキが…」


 桜井は見田にヘッドロックを極める。


 「?」


 「社長!見田君、白目になってますって!」


 黒田が大慌てで指さす。見田は抵抗もしないうちに気を失ってしまっていた。桜井は見田の背中に喝を入れた後、来客用のソファに寝かせる。

 それから桜井たちは見田が渕上派の猛者たちと孤軍奮闘した経緯を聞いたのであった。


 「掛川さんの孫ね。天才奇才と話には聞いていたが助六を倒すほどの実力者だったとは…」


 「つうかさ、今の俺じゃ全然勝ち目がねえわけよ。社長、桜井流の無雷を俺にも教えてくれよ。この通りだ」


 見田が土下座をしようとしたところを黒田と日向が止めた。

 彼の姿をよく観察すると服の上からでも昨日の試合で負った怪我の数々が見て取れる。見田は満身創痍の身の上でフラッシュプロレスまで訪ねてきたのだ。

 その覚悟に心を打たれた桜井は神妙な面持ちで桜井流の秘伝について打ち明ける。


 「知っての通り。桜井流ってのは俺の祖父さん桜井幸四郎の代で終わっている。俺もガキの頃、死んだ親父に叩き込まれたがせいぜい道場で教わるレベルだ。身内以外で唯一、直弟子を名乗る掛川岳が教わった秘伝なんかは名前と技の知識しか知らねえよ」


 そう言って桜井雷蔵は日中戦争で死んだ父十郎太の横顔を思い出す。

 あまりに幼い頃なので朧げにしか思い出せないが、今考えてみると秘伝を教える事には抵抗のような物があった気がした。


 「知識だけでも教えてくれよ」

 

 見田は真剣な表情で桜井を見つめる。可能性と危うさを秘めた若者の瞳だった。

 年齢としを重ね、子供のいない桜井にとってはかけがえのない宝のようにさえ見える。


 「…他言無用だぞ?無雷ってのは桜井流の秘伝”八雷やついかづち”の一つで三つの過程を経て完成する技だ。通俗的には演武限定の連続技って事になっている」


 見田は桜井の言葉を聞いて掛川紫苑との戦いの中でのある体験を思い出した。


 


 「にひっ。そういう事かよ」


 掛川紫苑は見田との試合の中で何度か触診に似た攻撃を繰り出していた。

 おそらくそれが無雷の骨子なのだろう。


 「俺が親父に聞いた話では、無雷とは相手の身体に雷を通す白雷はくらい、相手の耳に雷の音を覚えさせる轟雷ごうらい、最後に脳天に雷を落とす無雷という三つの行程が存在するらしい」


 「なるほど白雷ってのは覚えがあるよ。掛川の連打の中に妙な虎爪(※見田の使う浪岡流での掌底打ちの事)が混じってた。点穴ってのを探ってたんだな」


 見田は首を振って一人合点する。

 実際、動いている相手の点穴を圧すのは難しく何度か試し打ちをして位置を探った方が効率が良いのだろう。

 おそらく掛川岳という人物が実戦の中で見出した独自の手法と見田は考える。


 「点穴ってな。…お話の世界じゃねえんだぞ、助六。仮に対戦相手が俺たちプロレスラーみたいな体つきだったらどうするんだよ?」


 「レスラーのタフネスだって限界はあるだろ?」


 見田は会心の笑みを浮かべる。

 プロレスラーの肉体は不死身と呼んでも過言ではないほど強靭な代物だが、筋肉を締めていない時やスタミナ切れをした時などは思いのほかモロくなってしまう。

 日向と黒田に至っては自身の耐久力の限界を見誤ったばかりに敗北を喫した苦い経験を思い出していた。


 「掛川岳は護身術から派生した空手の使い手だ。だから掛川紫苑の部位鍛錬もかなりの物と考えていいよね」


 そこに黒田が食いついてくる。黒田も掛川紫苑の強さに興味を持っていた。


 「じゃあ投げ技はどうかな。空手の選手ならきっと…」


 「黒田さん、それ駄目だったよ。向こうさんは最初からタックルを警戒していたし、前の試合では組打ちの時に白雷を食らったんだ」

 

 その時、社屋の出入り口から一人の男が現れた。

 


 「失礼する」

 

 中肉中背の男で黒い半袖のシャツからは鋼のような筋肉と拳が目立つ。眼光は森林に潜む飢えた虎のように鋭く、地黒の肌は黒い虎を想起させた。


 漂うは南風はえの匂い。


 見田は総毛立ち、桜井らを守る様にして獣の前に立った。


 「神野…」


 扉の奥から現れたのは見田に敗北の何たるかを教えた男、神野千里その人だった。

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寸止無用 未来超人@ブタジル @0121

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