第8話

「朝子ちゃん!ただいま!大丈夫!?」


家に着くと、朝子はソファで横になっていた。

力無い声で、おかえり、と言う。


「そんなに具合悪そうなのに、なんでベッドで寝てないんだよ」


「いやー、さっきまでは調子良かったのよ。急に気持ち悪くなって、ちょっと休んでた」


家の中は、荒れ果てていた。

毎回、朝子が鬼だった後の部屋は荒れていて、俺が帰るとまずは掃除から始まるのは慣れっこだった。だが、今回はレベルが違う。

2ヶ月という長期間だったとはいえ、いつもの朝子ならさすがにここまでは放置しないだろう。

やはり、何かの病気なのでは。


「…朝子ちゃん、俺に心配掛けないようにして何か隠してるんじゃない?大丈夫だから、正直に話してよ」


「…うん。話したいから、電話して、帰ってきてもらったんだしね」


朝子は、身体をゆっくり起こしてソファに座り、いつになく神妙な面持ちでいる。


「あのね…」


何かを発言するのを躊躇う彼女は、かなり珍しい。


「あの…ね…」


「うん」


そんなに重い、例えば…癌とか…なのだろうか。だとしても、俺は全力で支える。


「実は……妊娠、しました」


え。


「いや、最初は私もまさかと思ったんだけどね、ずっと全然出来なかったから違うよなーって。でも、病院もちゃんと行って、ほらエコー写真」


え。


「ヒロにすぐ言いたかったんだけど、どーしようか迷ってる内に悪阻つわりが始まっちゃって。すぐ落ち着くかと思ったら、私、全然落ち着かないタイプみたいで。それで今に至る……って、浩哉、聞いてる?」


俺は、思わず朝子を抱きしめた。気づいたら、泣いていた。


「ありがとう!朝子ちゃん!ありがとう!俺、俺、嬉しいよ!すっげーーー嬉しい!」


「…うん、うん。私も」


「いやー、ついに俺もパパか。朝子ちゃんも、ママだねー」


すると、急に朝子の目から涙が溢れた。

滅多に泣かない朝子の、貴重な涙。

嬉しいのかと思ったが、少し悲しい顔をしている。


「…ごめん、なんか最近、涙腺おかしくて」


「どうしたの?」


「………。ヒロは…私と会えない間寂しかった?私に会いたかった?私のこと、必要だと思ってくれてた?」


子供みたいに矢継ぎ早に質問攻めにする。

こんな朝子は初めて見た。


「…急に、どうしたの?」


「だって……ずっと、本当にずーーっと妊娠出来なかったから。…ママじゃない私でも…ヒロにとって存在価値はあった?私を……私単体を…愛してくれてる?」


言いながら朝子は、大粒の涙を止めどなく流した。

それを見て、鈍い俺でも分かったことがある。

朝子は、本当はずっと苦しんでいたんだ。


朝子はいつも飄々としていて、子供を授かれない原因が分からずに諦めると決めた時も、しょうがないね、と明るく平然としていた。ネガティブな俺とは違って。


でも、それは勘違いだった。

俺と同じように、いや、俺以上に落胆していたし、傷付いていたんだ。もしかしたら、子供が出来ないのは自分のせいだと責めていたかもしれない。きっとずっと悩んでいたんだ。


「何言ってんの。俺ずっと寂しかったよ!会いたかったよ!愛してるよ!これからも!例え子供が出来なかったとしても変わらないよ!それに、ただ子供が欲しかったわけじゃないんだ。大好きな朝子との、子供が欲しかった。大好きな朝子と、育てたかったんだ。だから、朝子がいないと意味ないんだよ。今まで言葉足らずでごめん」


俺は、朝子が泣き止むまで、しばらくずっと抱きしめていた。

ごめん、嘘、盛った。実際俺の方が、号泣していたし、抱かれてた。


「朝子ちゃんはさ、なんで、俺を選んでくれたの?」


この鬼ごっ婚で、再認識した。朝子は良い女だ。今でも十分モテる。

涙声で、急に何?と笑う朝子に、なんとなく、と返すと、一瞬考えてから口を開いた。


「浩哉は、会って間もない頃、言ってくれたんだよね。朝子ちゃんは、俺が今まで出会った女の人の中で一番おもしろいって。それがなんか、綺麗とかかわいいとか言われるより、全然嬉しかったんだよね」


それだけで。

そんなの、シャイだった俺が、綺麗やかわいいを君に言えなかっただけだ。

でも、何とか少しでも気持ちを伝えたくて、唯一口に出せたのが、おもしろいって言葉だっただけだ。

それだけで、俺はこの素敵な人を射止めることが出来たというのか。人生ってやっぱ分からんな。


「で、ヒロは?何で私だったの?」


「…それは、朝子ちゃんが、綺麗で可愛くてスタイルも良くて性格も明るくて、なにより、どんな人よりも一番おもしろいからだよ!」


朝子は声を出して笑った。

昔の俺よ。今の俺はこんなに素直に言えるんだぜ。


「鬼ごっ婚、楽しかったけど、解消だね。もう子育てで物理的に無理なのもあるけど、シンプルに旅費が掛かりすぎる」


「……朝子ちゃんに、お金とかそういう概念あったんだ…」


「えー、あるよー」


思い付きで和歌山から青森まで行く奴に、そんなものがあるもんか、と俺は思ったが黙っていることにした。


「でもさ、どっちかが、もういいやって探すの諦めてたら、どうなってたのかな?」


俺はふと思い付いて、朝子に訊ねてみた。


「それはー、やっぱり、離婚だったんじゃない?」


「え!」


「だって、探さないっていうのは、いなくても良い存在ってことでしょ?」


「そう…だけど。朝子ちゃんは離婚はしたくないって…」


「もちろん離婚なんて考えてなかったよ。でも、流れで、もしそうなっちゃったら、しょうがないかなって思ってた。そういう運命ってことで」


「えぇー…」


俺は血の気が引いた。さっきまでのしおらしい俺の朝子はいずこへ?


「でも、そうはならなかったんだから、やっぱりこういう運命なんじゃない?」


朝子はニヤッと笑った。

おれも思わず、笑った。

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鬼ごっ婚 せかしお @25air-7

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