after the rain

 歩き続け、とうとう二人はパイン村へと到着した。

 門をくぐり、真っ先に目に入って来たのは家をなくした乞食だった。

「随分と悲惨だね。」

「……そうだな。」


 村のホテルにでも泊まり、村の現状でも聞こうかと思った時、一人の村人の男に声をかけられた。

「おーい! そこのお嬢さんどうしたんだい? 頭にやかんなんか乗っけて。」

「……!」

 あまりにも馴染んでいて、やかんを降ろすことを忘れていた。

「いえ。これは何でもないです。」

「そ、そうか……? 僕の名前はウバリ。結構汚れてるし、旅人かな?」

「まぁ、そんなところです。泊まる場所探してて。」

「お! それならうちに来なよ! 妻と娘もいるし、居心地も悪くないよ。」

 少女は考えた。本当に妻と娘がいるのなら、怪しい人ではないのだろう。でも信じてもいいのだろうか。この不景気の風がなびく社会では何が起きるかわからない。


 その時やかんがかすかに揺れた。

 そうだ。何かあればやかんがどうにかしてくれる。

「じゃあお邪魔してもいいですか?」

「いいよ! ついておいで!」

 少女は安堵すると同時にふと思った。

(死ぬ覚悟は出来ているのに何を恐れているんだろ。)

「そういえばお嬢ちゃんの名前は?」

「ミンジュです。」

「いい名前だね!」




 男は質屋を経営していた。

 その仕事の性質上、すぐに路頭に迷うことはなかったそうだ。

「貸した金には利子がつくし、金が返ってこなけりゃ、預かったものを売っちまうからね。だから俺は大丈夫だったけど……。」

 ウバリはそんな事を口にした。

「でも村がな。飢餓なり、貧困なり……。」

「でも作物に影響はないんじゃ?」

「畑は不思議とどうにかなったらしいな。でもプラムは水田地帯で、あろうことか氾濫が起きてしまったからな。ほとんどの米が駄目になっちまった。作物が腐るどうのこうの話じゃないんだ。」

「そうだったんですね。」


「人間とは過ぎ去ったことをよくわめくものだな。」

「え、え! や、やかんがしゃ、喋った!?」

 ウバリは尻餅をつき、後ろに手をついた。驚愕の感情が顔に出ていた。普通の人間なら正しい反応だろう。

「失礼なこと言わないで。」

「ふん。これは自業自得というものだ。砂漠化が進み、水を喉から手が出るほど欲し、その結果こうなったのだ。願ってもみなかっただろう。」

「お前はどの立場だよ……。」

 そう言って、ウバリが苦笑した。

「いい加減にして。」

「ほ~? ミズよ怒っているのか? お前にしては珍しいな。」

「……。」

「ぐうの音も出んか。」

「……ウバリさん、このやかんはいくらで売れますか?」

「お、おい! 俺を質に出そうとするな!!」

「う~ん。ヤナギ国でよく使われているタイプか~。普通のやかんなら安いけどね。なにせ喋るから、値段をつけるのは難しいかな。」

「ど、どうだ! priceless!」

「……。」

 少女の顔は悔しさでにじんでいた。やかんはその顔を見て優越感に浸っていた。


 少女はそっと質屋の隅へ行き、何かを手に取った。

「ここら辺は売り物ですか。」

「そうだね。もう売りに出すものだよ。」

「じゃあこれを下さい。」

 少女の手の中にあったのは”ケトル”だった。

「お前~! 裏切るつもりか! この俺が傍に居ながら!」

「同じでしょ。」

「違う! 俺はヤナギ国の伝統的なフォルムなんだ! その南蛮野郎と一緒にするな!」

「こっちの方がオシャレ。」

「お、俺の方が凄いに決まっている!!」

 声を低くして少女は言った。

「ほ~? やかんよ怒っているのか~?」

「……!」

「あなたにしては珍しいね。」

「…………!!」

「まあまあ、二人とも落ち着いて。」

 やかんは口から湯気を出していた。少女はこれ以上ない満足感を得ていた。


「はぁ。わかった。俺が悪かった。だから買うのをやめてくれ。」

「やだ。」

「は? 反省していると言って……。」

「あ、あなたでお湯を沸かしたくないの。あなたが傷つくでしょ。今のは……からかった、だけ。」

「……。」

 ウバリが呆れて言った。

「君達は仲がいいのか、わるいのか……。」

 やかんの笛が鳴り、再び口から湯気が出た。



 その後少女は夕食をご馳走になった。ウバリには娘が3人いてとても騒がしく、愉快な家庭だった。

 寝る時も二つのベッドの上に4人で眠った。とても窮屈であったが、少女にとって不思議な心地よさがあった。


「ミンジュちゃん。起きてる?」

「?」

 それは深夜の事だった。少女は朦朧としていた意識を目覚めさせた。どうやらウバリの長女のリワが声をかけているようである。

「起きてる。」

「相談があるんだけど聞いてもらえるかな。」

「うん。」

 丁度ミンジュとリワは同い年だった。うってつけの相談相手だったのだろう。

「今、世界がこんなことになっているでしょう?」

「そうだね。」

「でね……、きっとそのせいで私の友達が失踪したの。」

「……。」

 あいにく、少女は同情の念を持ち合わせていなかった。死を覚悟してから、いや、母親が亡くなってから感情というものを忘れかけている。

 だからこそ、やかんといる時は調子が狂うのだ。


「家庭の事情……か。」

「多分ね。裕福な家庭ではなかったから……。職業も農家だったしね。」

 少女はリワが何を言いたいのか分からなかった。

“回りくどい“とさえ感じていた。この感情をやかんに言ったら、何か言われるのだろうか。


「それで……、私思ったの。私が生きてる意味はあるのかなって。」

「……!」

 これはリワにとって告白のようなものなのか。意外な文言に上手く言葉を返せなかった。

 少女は憐れんだ。絶望に満ちた世界を。その世界に生死を左右されるリワを。

 少女はこの世界を甘く見ていた。母親が死んでもなお希望を求めていた。自分の運命さだめに失望しても、世界の成り行きには期待した。でもリワの告白が、少女の希望をいとも容易く破壊した。



 止まない雨はなかった。確かに止んだ。

 でもに希望はなかった。



 少女は寝返りを打ち、振り返った。不安に満ちたリワの顔が見えた。月の光が眩しく射し込んでいる。

「あるよ。意味。」

「え……。」

「死んだらそこで終わり。だから死んではいけない。自分で選んではいけない。」

「そう、かな。」

「私はお母さんが死んだ。でも希望は捨ててない。頑張っていきようよ。ウバリもついてるでしょう?」

「そう、だね。そうだよね。」

 その顔は今にも泣きそうだった。

 リワは優しく眠っている妹の頬に触れた。

「生きなきゃ、だよね。」



(本っっ当に薄いなー。あいつの言葉。自殺しようとしたくせに。)

 枕元のやかんがふてくされていた。







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