第4話 金閣寺

「はあ、入部希望者、全然来ないでございますなぁ」


 誰もいない法学部棟の4階空き教室で、ススムは机に突っ伏し、深くため息をつく。


「そりゃそうだよ、活動内容謎いし、それに大量に貼ったあの汚いチラシ、すぐに剥がされてたし」


 トオルは呆れたように視線を窓の外に移す。外を見下ろすと、ダンスサークルであろう集団が練習している様子をまじまじと観察できた。


「ていうか、チラシ貼る許可とか取ってなかったんだね」


「いやー、バレないと思ったのですが」


「法学部棟の入り口にまとめて4枚くらい貼ったりしてたのになんでバレないと思えんの!?」


 トオルの声が2人しかいない教室に響き渡る。


 5日前、トオルとススムの2人は、サークル勧誘のチラシを大学中に貼り付けたものの、すぐに大学職員に見つかり、大目玉を食らっていた。ススムは懇願し、なんとか一枚だけ貼る許可を得たが、チラシに記載したサークル公式TwitterのアカウントのDMは現在も沈黙を貫いている。


「何かいい方法はないものですかね」


「まず名前を変えるべきじゃ––––––」


「それは却下でございます」


 ススムは食い気味にトオルの案を否定する。驚くべき瞬発力だ。断固としてサークル名を変える気はないらしい。


「んー、じゃあTwitterの方を充実させてみるとかは?京都の観光が目的のサークルなんだし、行った神社仏閣とかの写真を載せたりしてさ。ハッシュタグもつければ誰かしら見るでしょ」


 そうトオルが提案すると、ススムは手を打ち、なるほどと頷く。


「京都の美しい写真や神社仏閣の紹介を載せることで、Twitterを見た人の観光したい欲を促進させるわけですか。良い提案でありますな!それでは早速写真を撮りに行こうではありませんか!」


 ススムが机を勢いよく叩く。教室の前を通りがかった学生がその音に驚き、振り向いた。


「お!サークル初活動か!どこ行くの?やっぱ龍安寺?」


 期待の面持ちでトオルが尋ねると、ススムは顎に手を当て、考えるような姿勢をとる。


「うーむ、また龍安寺でも良いのですが、勧誘という観点からすると、いわゆる『映え』というのが必要になってくると思うのです。となるとやはり、目につきやすい派手なものが良いのではないかと」


「ほう、派手ねぇ。なんかそれらしいところがあるの?」


「もちろんですとも!しかもこの大学の近くに!それはもう京都を代表するお寺が一つあるではありませんか!」


 ススムは嬉々とした表情でトオルに顔を近づける。


「本日の行き先は、京都の象徴の一つ、金閣寺にいたしましょう!」


「おお、金閣寺!すごい有名なやつだ!いいね、行こうか!」


「承知いたしました!金閣寺は大学から歩いて大体15分くらいでございます。早速参りましょう!」


 そうして2人は颯爽と大学を後にした。






 トオルとススムは大学の正門を右に折れ、回転寿司屋のある交差点を直進する。あまり風情はないが、ここも龍安寺のときと同じくきぬかけの路だ。


 さらに北へ進むと、10分もかからないうちに、住宅街には似つかわしくない広大な森が見える。人の数も段違いに増えたそここそが世界遺産、金閣寺だ。


「実は金閣寺というのは正式名称ではないのですよ」


 トオルの左隣を歩くススムがつぶやく。


「え、そうなの?金閣寺以外を聞いたことないな」


「その名前で定着しておりますからね。この寺の舎利殿しゃりでん、いわゆる『金閣』があまりにも有名なために金閣寺と呼ばれていますが、正式名称は鹿苑寺ろくおんじというのです。まあしかし、公式でも金閣寺と呼んでいますので、金閣寺と呼んでも問題ありませんよ」


 トオルは、また一つ勉強になったと感心しながら、ススムとともに金閣寺の黒門を通過する。


 黒門を通過し、綺麗に整備された道を歩いていくと、端正な門が現れる。


 ススムが門を指差す。


「こちらは総門でございます。金閣寺の入り口というわけでありますな。そして、門の左側をご覧ください!ここには『五用心』が掲示してあります。五用心とは仏教徒が守るべき5つの事柄でございます。この先は観光地といえど仏教空間の中。この五用心に目を通し、仏教の志を胸に参拝することが最低限のマナーというものです!」


 そう言うと、トオルとススムは五用心を読み、門の前で一礼して、先へ進む。


 総門をくぐったトオルとススムは立派な大木を左手に見ながら、拝観受付を済ませる。拝観料は400円。意外と高くないなと思ったトオルは、興奮した様子で、貰ったパンフレットとお札を右手に握りしめた。そうして2人は小さな門をくぐり、林の向こうにあるお待ちかねのあの場所を目指す。


 林を抜けると、広い鏡湖池きょうこちにポツンと建つきらびやかな建造物が見えた。池の柵ぎりぎりまで近づいた沢山の人が、それに向けて皆一様にスマホを構えている。かなり異質な光景だ。


「すごいな……まるで海の向こうに沈んでいく夕陽がすぐそこにあるみたいだ」


 トオルは初めて見たその黄金の輝きに感嘆の息を漏らす。これは人がカメラを構えて群がるのも仕方がない。記憶に留めておくだけではもったいない光景だ。そう思ったトオルはスマホを構え、4枚ほど同じ位置から連続でシャッターを切った。


 そんなトオルの姿を見たススムはニヤリと笑う。


「おや、トオル殿、偉く感動しているようでございますな」


「ああ、なんかベタな言い方になっちゃうかもだけど、極楽浄土にいるみたいだ」


 トオルは金閣を見つめたまま答えた。一瞬ですら目を離したくなかったのだ。すると、ススムはふむふむといった様子で話し始める。


「トオル殿、まさにそれは正解でございますぞ」


「え?正解?」


「ええ、この金閣寺の庭園や建造物はまさに極楽浄土を表したものと言われているのです。さらに、創建当時は今よりも規模が大きく、北山大塔という巨大な七重の塔も建ち、それは豪華であったとか。ちなみに事実上の金閣寺の建立者である足利義満は、当時の幕府の政務機関である花の御所ではなく、この現世の極楽浄土で政務を行っていたそうでございます」


 トオルはゆっくりと周囲を見回す。木々に囲まれた穏やかで美しい池に、松の生えた小さな島が浮かぶ。その横にはこの世のものとは思えぬ黄金の楼閣。この美しい場所が義満の時代においては政治の中心地であったのか。トオルは鼻から歴史の息吹を深く吸い込んだ。


 そんなことをしているうちに、ふと疑問に思ったトオルはススムに尋ねる。


「元々の政治の中心は花の御所ってとこだったんだよね?その花の御所っていうのは近くにあったの?」


「いいえ、現在の京都御所のあたりにあったと言われております」


「ああ、あのめっちゃ広いとこか。そうなると結構花の御所と金閣って距離あるよね。なんでこんな遠いとこにわざわざ極楽浄土を作ったんだろう。花の御所の近くに作った方が色々便利そうなのに」


 すると、ススムは腕を組み、淡々と話し始めた。


「義満は、真の極楽浄土というものを作りたかったのではないでしょうか。極楽浄土は西方にあるとされているのですが、花の御所から見ると、まさにこの地は西方にあたります。さらにいえば極楽はこの世のものではないわけでございます。花の御所という、いわば俗世の近くに極楽浄土らしきものを造営したとしても、所詮それは俗世にあるエセ極楽浄土でしかないのです。義満は激動の幼少期を過ごし、将軍職を継いでからも、歴史を動かす重大な仕事を成し遂げてきました。その責任の重圧は相当なものであったろうと容易に想像できます。そこで花の御所という俗世から、遠く離れた西方のこの地に真の極楽浄土を作り、ストレスフルなこの世から少しでも逃避したかったのではないかとあたくしは思います」


 不意に一陣の風が吹き抜けた。松の葉が揺れるのに合わせて、鏡湖池もゆらゆらと揺れ、水面に映る金閣の姿がぼんやりと崩れた。トオルには、その朧げな姿が鎮座する仏に見えた。


「これは……確かに真の極楽だね」


 トオルは無意識に手を合わせていた。


「まあ、この美しい金閣を少し歪んだ見方に変えてしまう自説もあたくしは持っているのですがね」


 感動するトオルをよそにススムはケタケタと軽やかに笑う。


「え、ちょっと興味あるな」


「では、それはまた今度来たときにでもお話しましょう」


「なんだよ、気になるじゃんか」


 そう言うと、トオルとススムは顔を見合わせ笑い合う。傾き始めた陽がそんな2人を赤く照らす。ススムはほんのりと赤くなった空と金閣のツーショットをスマホに収め、Twitterに投稿した。


「この写真で1人でも興味を持ってくれると嬉しいですね」


「大丈夫でしょ、この世に極楽浄土を求めていない人なんていやしないんだから」


 2人は池の柵へ近寄り、少しの間、ぼうっと金閣を見つめ、その後帰路に着いた。


 TwitterにDMが来たとススムからトオルのLINEに連絡があったのはその夜のことであった。

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