第49話 不可解すぎる……

 ルードベキアと別れたカナデはマイルームに戻ってくると、ビルドをビルダー奏に切り替えた。ビビの行動がいつもと違っておかしい気がする……。問い詰めようとビビを1人用ソファーに座らせた。


「ねぇ、ビビどうなっているの? 何か知ってるんでしょ? 」


 素知らぬ顔で毛繕いを始めたビビに奏は顔を近づけた。


「神の箱庭で何が起きているのか教えてくれる? 」

「うにゃぁん……。それはーー」


 ビビが言葉を続けようとした途端に、錆猫の身体がスゥっと半透明になった。ビビは慌てたように前足で小さな口を押えて、白い天井を険しい目で睨みつけた。


「ビビ、どうしたの!? 」


 猫の身体を構成しているデータが足元からゆっくりと消えている。驚愕した奏はまだ触れることができるビビの身体を抱きしめた。


「消えちゃ嫌だ……。僕を置いて行かないで。ううっ……ビビ、ビビ……」


 奏のすすり泣く声がバリのリゾートヴィラ風リビングに響いた。このまま別れるなんて絶対に受け入れられない。なぜ急にこんなことに……。これも大型アップデートの影響なのだろうか。


「お父さん……どうすればいいの? どうすればビビを助けられるの? お願い、ビビを助けて……。僕はビビがいないとーー」


 悲痛なその声が届いたのか……消えてしまいそうだったビビの姿が徐々に戻り始めた。頬に柔らかい長毛を感じて顔を上げた奏の瞳に、はっきりと錆猫の姿が映っている。奏は安心したように微笑んだ後に……溺れてしまうのではないかと思うほど涙を零した。


「あるじさま……大丈夫にゃ。ずっと傍にいるにゃ。ビビはどこにも行かないにゃ……」


 ビビは涙を拭うようにペロペロと奏の頬を舐めると、笑いながらも泣いている彼の腕の中に飛び込んで身体を埋めた。まだ幼い心のままの奏と別れることになったら、悔やんでも悔やみきれない。


 ーー喋ろうとした途端に、ゆっくりとデータが消されていったということは……喋ったら削除するっていう脅しね。こんなことをするような人だったなんて知らなかったわ……。


 このまま真実を鍋の中に入れて蓋を閉めたとしても、いずれ奏自ら開けてしまう時が来ると言うのに……。それまで隠し通そうというのだろうか。


 ビビはぎゅっと抱きしめる奏の胸に小さな頭を押し付けて、じっと動かずに身を委ねた。暖かい……。この子を守りたいという保護欲がビビの心の中に沸々と浮かんだ。喉をゴロゴロと鳴らしながらも、現実世界にいる奏の父親に問いかけた。


 ーーなぜ奏が悲しむようなことをするのですか? 


 大事な我が子のためにこの世界を作ったのかもしれないが、ここには生きた人間がやってくる。しかも一企業が運営するゲームだというのに、プレイヤーを脅かすような行為に疑問を感じざる得ない。しばらく返事を待ったが……一向に返って来る気配はなかった。


 まさか……。ビビは宝石箱型データバンクの奥底に沈んでいた過去の記憶に、はっとしたように目を見開いた。全身の毛が奏の頬を突き刺すように逆立っている。それは百合の父母と共に赤ん坊の奏を囲んでの他愛もない会話だったーー。


 あれが始まりだったのか。全身がだるくなるほど、やるせない気持ちで心に溢れた。だが、そのおかげで奏は異世界転移という形で生きることができている。喜ばしいが悲しくもある……複雑すぎて胸が痛い。


 ビビは宝石箱の蓋を必死に閉めようとしている男の手を眺めた。蓋は簡単に人の心は操れないと言わんばかりだに頑なに拒んでいたが、やがて静かに閉じていった。さらに記憶メモリーからデータが削除されていくのを感じた。


 真実はいずれ奏に伝わる。ビビは男に伝えた後に、そっと目を閉じた。


 奏は涙でぐしゃぐしゃになった顔を左手でゴシゴシと擦りながら、ビビの背中を右手で撫でいた。また消えてしまうのではないかという不安はまだ拭いきれない。気を許すと、じわっと目から塩化ナトリウムを含んだ水が溢れてくる。


 ……そういえば、天井をじっと見つめているビビを前に見たことがあった。あの時は現実世界の猫と同じだなと思ってスルーしてしていた。むずむずするような違和感が胸の辺りで渦巻いている……。奏は過去のシーンのデータを探し出しだすと、視界の右隅に出したモニターに映し出した。


 少し首をかしげながら食い入るように見つめているうちに……気が付いてしまった。


 ーーまさか……お父さんが僕らを見ている? 僕に知られたくない何かをビビが言おうとしていたんじゃ? 


 背筋がぞっとした奏は右手で、パンナコッタはなんてこったと親戚か? と書かれたTシャツの胸の辺りを握りしめた。呼吸が上手くできない。


「あるじさま!? ゆ、ゆっくり息をするにゃ! 袋、袋はどこにゃぁあ! 」


「……僕は大丈夫だよ。ビビがいなくなっちゃうと思って、びっくりしただけだからーー」


 ビビの柔らかい毛を優しく抱きしめた奏はぎゅっと瞼に力を入れた。暗くなった視界に父親の大きな手が浮かんだ。その上で安心したように身を委ねている自分がーーころころと転がっている。プライバシーも何もなく、今までずっと監視されていたのだろうか……。


 大好きな父親とはいえ到底許せるものではない。人権を無視したーーと心で言いかけて、思考が止まった。果たして自分は……人なのか? 父は自分をプログラムの1つとて考えているのでは? 考えれば考えるほど、胸が苦しくなった。


 父親に抗議をするべきなのだろうかと思い悩んだ。だがそのせいでビビが消されてしまうかもしれない。それならば、良い考えが浮かぶまでは知らないふりをしよう。奏は奥歯を噛みしめながらも、ビビに笑顔を向けた。


「ごめんねビビ。お父さんが僕のために頑張ってくれた大型アップデートを見に行こうか」

「それは名案にゃ。何事も気分転換は必要にゃ」


「そうだね。何か美味しいものを食べようか? 」

「ビビは新作のこけももアイスがいいにゃ。ランドルの屋台にあるにゃ」


「じゃあ、早速、探しに行こう」

「楽しみにゃ」


「僕もだよ……。お父さんにお礼を言わないといけないね……」



 その頃、銀の獅子商会の執務室でマーフと情報のすり合わせが終わったヨハンは、屋台のお土産を両手いっぱいに抱えて貴賓室へ向かっていた。引き戸を開けて畳に駆け上がるとすぐにーーつんのめった。フランクフルトやからあげ、様々な屋台料理が宙を泳いでいる。


「あ、あああ! ルードベキアさん、大丈夫ですか!! 」

「と、取り合えず、身体は大丈夫かな。服は、大丈夫じゃないけど……」


 焼きそばを頭に乗せたルードベキアは弱々しい笑い顔を浮かべた。



「ヨハン、リディとマーフは? 相談したいことがいろいろあるんだけど」


「団長は……忙しいみたいでログインしてないですーー。マーフさんはリアルで用事ができてしまったみたいで……さっき落ちました。あの、ログアウトできない件ですが、その……実はーー」


「あっ、ちょっと待って! リアがログインしたからメッセをーーあれ? 」


「どうしました?」

「ログアウト表示になった……。おかしいな」


 ルードベキアはマキナとカナリアがログインした時はスマホにお知らせ表示が出るように設定していた。今まで彼らがログインしてすぐにログアウトすることは無かったのに……。おかしいなと思いつつも、カナリアもマキナと同様にログアウトできたことにホッと胸を撫で下ろした。


 現実世界では夕暮れ時を過ぎてゲームのゴールデンタイムに近づいていた。ヨハンにもログアウトできないバグが起きていると知ったルードベキアはフレンドリストとにらめっこをしている。


「僕たち以外にログアウトできない人はいるのかな」


「うちの商会で調べてますが、今のところ、ディグダムさんと、ルードベキアさんと俺の3人だけですね」


「不可解だな」

「不可解ですね」


 ルードベキアはスマホをガラステーブルに置くと中庭に目を移した。紅白の鯉が池を優雅に泳いでいる。ぼんやりとその様子を眺めているうちに、現実世界の自分の身体はどうなったのか……気になり始めた。


 きっと従兄のマキナが気付いてくれている。それに伯父は医者だから無事に違いない。安心と言う札を手にしようと自分に言い聞かせた。同じように不安から逃れるために、向かいのソファに座っていたヨハンはノートパソコンで各店舗から送られてくる情報を眺めていた。


 アップデートの後は情報を売りにくるプレイヤーが多い。100~1000ゴールド買い取っているぶらり情報部にはキャンペーンボスとクエスト配布NPC、そして閉鎖されている診療所とヘルプセンターについて情報がほとんどだった。


 一見さんお断りの会員制の方も同じで、ログアウトできないという不具合に関するものは見当たらない。ソファの背もたれに寄りかかって貴賓室の天井を見上げた。ピロンという着信音が聞こえるが、ヨハンのスマホではない。


 自分のは公式アイドルらいなたんの曲の着信音だからーールードベキアの方だろう。だが、彼は猫のように何もない空間をじっと見つめていた。


「ルードベキアさん、メッセージが着てるみたいですよ」

「うん? ありがとう。ーーうっ……」


「どうしました? 」

「な、何でもない」


 メッセージはパキラからだった。診療所の閉鎖を知ってパニックを起こしたらしく『大丈夫ですか? 』を連打している。


「まいったな……」

「あの、大丈夫ですか? 」


「フレンドさんがここに来るって言ってるんだ……」


「了解しました。その方のお名前を教えてください。お話を聞いてみたいので……。受付に案内するように指示します」

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