第50話 現実の身体は大丈夫なんでしょうか

 パキラは銀の獅子商会本部の貴賓室へ入るや否や、スタンピートの制止を振り払い、出迎えたルードベキアに抱き着こうと駆け寄ったーー。だが、簡単に避けられて畳に突っ伏している。ルードベキアは嫌そうな顔を隠そうともせずに冷ややかな視線をパキラに向けた。


「そういうスキンシップは遠慮させていただきます」


「ルードベキアさん、冷たいです……。一緒にダンジョンに行った仲なのにーー」


「いや、1回だけだよね? しかもだまし討ちだし……。僕はカナデとスタンピートさんが来ると思ったからーー」


「そ、その件はごめんなさい、反省してます! ルードベキアさぁん、無事に目が覚めて、本当に良かったですぅ……」


 ルードベキアの言葉を切ったパキラは上目遣いで目をうるうるさせた。この期に及んでもツンデレ属性だからというポジティブ変換をして、推しの眩い微笑みを期待しているようだ。苦虫を嚙み潰したような表情のルードベキアを頬を赤らめながら見つめている。


 スタンピートはそんな彼女の腕を掴んで起こすと、呆れたような口調で言葉を吐き出した。


「そのことを聞くと誤魔化すから何かあると思ってたんだよね。パキラ、まじでそういうの良くないよ


「あっ……。えっと、ごめん、ホントに後悔してるの。でも、でも……すごく心配したし、少しぐらい優しくしてくれてもーー」


「パキラ、もうよせって。見苦しいというか、痛々しいよ」


 スタンピートの怒り顔にパキラはシュンとしてうつむいた。そんなひどいことを言わなくても……という風に顎にしわを寄せて口を歪ませた。


 そんな彼女を見たヨハンはルードベキアが会いたくない理由を察して苦笑いを浮かべた。ここに呼んだのは失敗だったかもしれない。顔色を窺うようにルードベキアを見ると……彼はプイっと横を向いてしまった。無言のままテラスのソファに移動して中庭を眺めている。


 単なるプレイヤーなら機嫌を取る必要はないが、ルードベキアなら話が変わる。リディの友人である彼は銀の獅子商会とっても大切な存在だ。ヨハンはささっと取り出した商会専用のタブレットで執事NPCのジェイに指示書を書き始めた。


 ーー銀獅子カフェでエッグタルトを買ってきてもらって、ジェイに紅茶を淹れてもらおう……。


 執事NPCジェイの人格設定にはマーフによって紅茶の淹れ方が事細かに記載されていた。そのおかげで、マーフがいない時でも美味しいお茶を口にできる。特別な茶葉でいれた紅茶とルードベキアが好物だというエッグタルトと組み合わされば……少しは機嫌がよくなるはずだ。

 

 ほっとひと息をついたのもつかの間、さっきまでどんよりした表情だったパキラの目が輝きを取り戻していた。鼻息荒くしてスタンピートの腕を振り払い、奥のテラスに足を進めようとしている。


 慌てたヨハンはルードベキアの姿を隠すようにパキラの前に出ると、営業スマイルを見せながら、右手をすっと座椅子に向けた。


「すみませんが、ここに来ていただいたのは俺の要望なんです。そろそろ話をさせていただいてもいいでしょうか? 」


 銀の獅子商会本部で暴れるのはやめろ。そう言わんばかりの視線に気付いたのか、パキラはやっと大人しくなった。もしくは笑顔なのに目だけは笑っていないヨハンに恐怖を感じたのかもしれない。泣きそうな表情を浮かべて、ぺたんと座布団に座った。


 ヨハンはさりげなく口元に左手で当てて、にんまりとした笑顔を浮かべた。マーフに止めた方が良いと言われた『目が笑わない笑顔』はこういう時には役に立つ。月並みな挨拶を交わしたあとに、早速、本題に入った。


「ーー唐突な質問になりますが、おふたりはログアウトできますか? 」

「え? できると思いますけどーー」


 キョトン顔になったスタンピートはジャケットのポケットに手を突っ込んだ。ログアウトするにはスマホの設定をタップして、少し下にスクロールすると……1番下に横長のボタンがあるはずなのだがーー。


「……あれ? おかしいな。パキラ、ログアウトボタンある? 」

「あるよ。ほらっ」


「ええっ? 俺のスマホに無いんだけど……。何でだ? 」


 ヨハンは大きなため息を吐いた。長机に置いたパソコンにはログアウトできないという不具合情報はいまだに入っていない。それなのに、まさかこんな身近で遭遇するとは……。


「4人目が出ちゃいましたね……」

「よ、4人? 俺の他にもボタンでてない人がいるんっすか? 」


「……俺と、今は外出中の商人のディグダムさんと、そこにいるルードべキアさんがログアウト出来ないんです」


「ルードベキアさんが!? 」


 パキラは驚いたような声を出して慌てて立ち上がろうとしたが、肩をスタンピートにがっちりと掴まれて抑え込まれた。顔をしかめたスタンピートが首を横に振っている。


「パキラ、迷惑がかかるからよせ」

「で、でも……」


 心配しただけで、そんなつもりはないと言い訳をしたものの、傍に近づくチャンスだという邪な考えが浮かんでいたことは否めない。テラスの方に目を向けると、ここまで案内してくれたNPCのジェイがパキラを見ていた。彼は左手に茶器を乗せたトレーを乗せてルードベキアの姿を隠すように仁王立ちをしている。


 ジェイは茶菓子を長机に置いている時は微笑んでいたが、外敵から主人を守る護衛騎士のような表情を浮かべていたーー。そんなに自分の行動はいけないことなのだろうか……。さすがにポジティブ変換できなくなったパキラは意気消沈して下を向いた。


 ヨハンは静かにお茶に口を付けながら、有能な執事NPCに目で合図を送った。軽くうなずいたジェイは何事もなかったように、ルードベキアの方へくるりと向き直した。


「ルードベキアさま、紅茶と茶菓子のエッグタルトをお持ちしました。茶葉はヨハンさま秘蔵のチャチャティーでございます」


「え、茶葉イタチ村の!? 」


「はい。それとーーこちらのドライフルーツは受付嬢たちからです」


「リザとカレンが? ……ありがとう、あとでお礼を言いに行くよ」 


「そうしていただけるとありがたいです。これはそのまま召し上がって頂いても良いのですが、紅茶に入れても美味しいと言っておりました。ドライフルーツティーというものだそうです。お作りしましょうか? 」


「うん。頼むよ」


 ルードベキアは陽だまりの中にいるようなほわっとした笑顔でエッグタルトを手に取った。



 ログアウト出来ない者同士でフレンド登録し終わったヨハンは長机の端に置いてある急須を手に取った。新しい茶葉に変えて湯沸かしポットのお湯を注ぐと、不安そうにしているスタンピートの湯呑に淹れた。


「スタンピートさん、この貴賓室を集合場所にしているので、外出しても必ずここに戻ってくれますか? 」


「あ、はいーー。あの、ログアウトボタンが無いのはアプデのバグなんですか? 」


「それが……。ヘルプセンターが閉鎖されてるんで、よく分からないんです。申し訳ない。ディグダムさんに連絡するので少し待って貰えますか? 」


 スタンピートは目の前が真っ暗になったような気がした。診療所が閉鎖されたのは知っていたが、まさかヘルプセンターまで……。現実世界に戻れない状態が続いたら自分はどうなってしまうんだろうか。不安と言う文字で作られた渦の中に落ちていくような感覚を覚えた。


 身体の奥底から襲ってくる寒気にぶるっと震わせ……膝に置いた手を固く握ってスマホを叩いているヨハンに目を向けた。同じようにログアウトできない彼は冷静さを失っていないように見えるーー。スタンピートは落ち着こうと自分を言い聞かせたが、動揺を誤魔化すのは難しいようだった。


 うつむいているパキラに無理やり作ったような笑顔を向けている。


「パキラは……リアルに帰れるみたいで良かったな」

「う、うん……」


 頬を引くつかせているスタンピートを見たパキラはなんとなく彼の心境を察した。慰めようと口を開いたが、すぐに固く結んだ。同情するような言葉は彼を傷つけてしまうかもしれない。湯呑の中のぷかぷか浮かぶ茶柱に悶々とした視線をぶつけた。


 ふと……推しフィルターによって眩しい笑顔に変換されたルードベキアが脳裏に浮かんだ。テラスのソファにいる彼はNPCの背中で隠されて見えない。


 ーー颯爽とモンスターを倒していた彼は素敵だったのになぁ。なんでこんなにガードが堅いんだろ。


 パキラはショコラダンジョンで散々な目に合ったというのに、日が経つうちにその内容をポジティブ変換していた。ハムスターに変身したことも今では良い思い出になっている。


 ーールードベキアさんの寝顔、可愛かったなぁ……。


 不謹慎だと思いつつもついつい顔がにやけてしまう。下を向いたまま顔を隠すように両手で覆って、はっとしたように気が付いた。そう言えば……バレンタインのあの日からルードベキアは現実世界に戻っていない。


 血の気が引くのを感じたパキラは顔をパッと上げて、おずおずと右手を挙げた。


「あ、あの……」

「どうしました? パキラさん」


 パソコンを眺めていたヨハンは無表情というか訝し気に少し首をかしげた。そんなに信用ないのかとパキラは悲しくなったがそんなことを考えている場合ではない。焦ったように言葉を吐き出した。


「ピートはさっきログインしたけど、ルードベキアさんは14日の夜からログアウトしていないんですよね? 現実の身体は大丈夫なんでしょうか」


「あっーー」


 VRシンクロゲーム神の箱庭は6時間以上の接続は禁止されていた。それを過ぎるとログアウトを促す小窓が表示され、5分後に強制ログアウトになる。さらにメンテナンス時には強制ログアウトされる。


 それなのに……ディグダムとルードベキアはまだゲーム内にいた。なぜこんな大事なことを失念していたんだろう……。


 ヨハンは口をかすかに開けて言葉を失ったような表情を浮かべた。呼吸がままならず、額から汗が噴き出ている。何度も思うことだが、VRゲームだからといってこんな細かい身体的表現は必要ない。暗闇に身を委ねれば少しは楽になるのか? ヨハンの身体は前のめりになり……左に傾いた。


「ヨハン、ゆっくり息をするんだ! 」


 ルードベキアの叫び声が聞こえる……。我に返ったヨハンは自分を抱きかかえる腕をポンポンと叩いて、ふぅ……と息を吐き出した。


「早急に……ルードベキアさんとディグダムさんの身体が、現実でどうなっているのか確認しないと……。スタンピートさんは、強制ログアウトがくるまで待ってみて下さい」


「ヨハンは? 強制ログアウトはどのくらい先なんだ? 」

「ルードベキアさん、俺は……。もう、過ぎてしまいました」


 声を出すことが禁じられたような空気が流れる中、ガララララッという開き戸が開く音が響いた。彼は靴を脱ぎながら、新しいクエスト配布NPCが美人だったと喋っている。屋台で買ってきたのか、白い袋を両手から下げていた。


「ーーで、ヨハンさん、好感度ってものがあるらしくて。……あれ? お客さん? えっと、皆んな深刻そうな顔しているけど、どうしました? 」



 テラスのソファに戻ったルードベキアは物思いにふけっていた。考えないようにしていたことを突き付けられて、いまは誰とも喋りたくなかった。ジェイが淹れてくれたフルーツティーの味を感じらず、口をつけたティーカップをそっとソーサーに乗せた。


 ディグダムは長机に並べた屋台料理に手を伸ばしながら、お茶をすすった。外で仕入れた面白い情報を話したい気持ちを抑えて、弱々しい笑いを見せているヨハンの話に耳を傾けている。


「……なるほど。それでリアルの身体を確認したいとーー。で、誰に見に行ってもらいます? 」


「そうですね。事情を知っている人がいいでしょうから……。パキラさんは、どこから繋いでますか? 俺は九州なんですよね」


「わ、わたしは神奈川です」

「ヨハンさん九州なんですか!? 俺、大分ですっ」


「同じ九州男児なんですね! ご近所っていうわけじゃないけど俺は鹿児島なんですよ。ーーディグサムさんはどちらから? 」


「俺は大阪からですよ」


 長机を囲む者たち全員が同時にルードベキアに視線を送った。ゆっくりと立ちあがったヨハンはテラスに向かうと、ルードベキアの対面にあるソファに座った。自分ために紅茶を淹れようとするジェイを制止して、ぼんやりとしている銀髪の青年顔をじっと見つめた。


「ルードベキアさん、ご自宅はどこですか? 」

「え? 僕は東京だけど……」


「それはちょうど良かった。早急な確認が必要な人は、ルードベキアさんですから……」

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