第59話 何も知らない彼ら

 銀の獅子商会の執務室でリディ消失を目撃したマーフこと春香は、神ノ箱庭からログアウトしてすぐに、近所に住む姉夫婦のマンションへ向かった。


 玄関のチャイムを鳴らしたが、いつものように姉がドアを開けてくれなかった……。不審に思って電話をかけてみたが、そちらも出る気配もない。不安になった春香は倒れているかもしれないと、マンションの管理人室へ駆け込み、ドアの鍵を開けた。


「お姉ちゃん! 」


 姉の玲奈は夫である拓真の仕事部屋で倒れていた。春香はすぐさま救急車を呼び、病院に付き添ったのだがーー目を覚ました玲奈は……。


「春香? た、拓真が、拓真が……。スマホ、スマホはどこ? 動画を……春香! 動画を見て! 」


「お姉ちゃん、もう大丈夫だから安心して。ーーすみません、誰か! 」


 錯乱した姉を宥めながら、春香は不思議に思った。スマホ? 動画? なんのことだろうか……。春香は青ざめた表情で病室に入って来た両親とバトンタッチをした後に姉夫婦のマンションに戻ると、入院で必要なものをそろえる次いでに、姉が気にしていたスマートフォンを探した。


「リビングにはないな。お義兄さんの仕事部屋かな……」


 さっきは気が付かなかったが、160度リクライニングしたゲーミングチェアの下に姉のスマートフォンが転がっていた。


「お姉ちゃん、『動画を見て』って言ってたけど、ロックは……。ふふふ、相変わらずしてないのね。えっと……最新のやつかな?」


 動画を再生してすぐに、春香は驚きのあまり玲奈のスマートフォンをポロリと落とした。拾おうとしているがうまく掴めない。床に置いたまま、小刻みに震える指でもう1度、再生した。


「そんな……お義兄さんがリアルでも消えたなんて!? どういう事なの? この動画を撮った時刻はーー」


 ファイルの詳細情報を確認すると、神ノ箱庭の大型アップデート後に銀の獅子商会のリディと執務室で待ち合わせた時刻だった。まさかゲームに取り込まれた? バカげた考えだと思ったが、この動画を見る限り、そうとしか思えなかった。


「この動画、私のスマホにコピーした方がいいわね。それから警察と、ゲーム会社にーー。でも、信じてくれるかな……」


 春香はすぐに行動に移したが……警察は『よくできたトリック動画ですね』と言い、ゲーム会社のオペレーターからはテンプレート通りの文言を聞かされただけだったーー。



 大型アップデートの次の日、カンナはマイルームのベッドでうつ伏せ用枕を抱えながら、萬屋商会のディグダムにメッセージを送っていた。彼が午前中からログインしているのは実に珍しかったが、買い取り業者に早めに連絡できることをラッキーだと思ったぐらいで、すぐに気にならなくなった。


「さてさて、萬屋さんは白牡丹の髪飾りを、いくらで買ってくれるかな。銀獅子だと、買取価格が低いんだよねぇ」


 ディグダムの返事を心待ちにしながら、カンナは缶ジュースをポイッと正面に投げ捨てた。缶は飲み残しを撒き散らしながらコロコロと転がり……少し食べ残した焼きそばのフードパックで止まったーー。


 ベッドの周囲は食べ終わった菓子袋やペットボトル、ストローがついたままのチルドカップが足の踏み場もないほど散乱している。『腐敗と腐臭』の概念がないゲームの世界ゆえの弊害を現したような光景だ。


 しばらくの間カンナはブラブラと両足を動かしていたがーー。


「返事……遅すぎね? おいおい商人なんだからさ仕事しようぜ? 」


 返事待ちの苛立ちを発散するかのように、カンナはベッドの上にかろうじてのっていたペットボトルを足で勢いよく蹴り上げた。うまい具合にスナック菓子の袋にすっぽりと入り、右拳を振り上げ喜んでていると……ピヨピヨという着信音が鳴り響いた。


 高値買い取りを期待して確認したメッセージはーー。


「はぁ? 『ログアウトできますか? 』って、何だよこれ。白牡丹の買取価格が書いてないじゃないか。ディグダムさんよ、馬鹿にするのもいい加減にして欲しいな」


 『ログアウトできますよ』と返事をしてすぐさま、カンナはイライラしながらエンダ商会のロイジィに買い取り相談のメッセージを書き始めた。まだログインしていないが、どうでもいいメッセージを送って売るディグダムよりはましだろう。そうこうしているうちに、また着信音が鳴ったーー。


「お。ディグダムか? やっと価格を……はぁぁあ? 『ログアウトできないと言っている人がフレンドさんはいませんか』って? 知るかよ、ぶわぁあか! 」


「いや、ちょっと待て……。これは金を稼ぐチャ~ンス!! ただで情報を得ようとするなんて甘いですわよ、ディグダムさん。そうだな、幾らにしようかな……」


 起き上がったカンナは胡坐をかいて腕組みをした。脳裏ではソロバンの五珠と一珠をパチパチと弾いている。


「ん~。1件12万で教えるってことにするか。ってかさ、白牡丹の買取価格早う送れや! イライラするわ、マジで」


 カンナは本日9回目の舌打ちをした後に、床にあるゴミを蹴り飛ばしながらベッド側にある冷蔵庫を開けた。


「ちぇっ、オレジューこれで最後かよ。リアルよりも安くて助かるけど、あんまり金は使いたくないんだよねぇ……。『だが! ドリンクや菓子が無いと生きていけないのも事実なり! 』……決まった。くくくっ。ーーって、あれ? ディグダムから返事こねぇじゃん。何なんだよあいつ! 」


「ロイジィはまだログインしていないし……。金持ちヨハンに聞いてみるのも手だな。あいつなら、ちょ~っとサービスすればーー。ぐひっ、ぐひひひ」


 カンナはベッドの上ですくっと立ち上がると、ふわふわした長いピンクの髪を両手で女優っぽくかきあげて、なまめかしいポーズをとった。



 金持ちと言われたヨハンは銀の獅子商会の貴賓室にいた。つい先ほどログインしたマーフと、スマホに表示されたカンナのメッセージを渋い顔で見ているディグダムと長机を囲っている。同じ部屋にいるルードベキアは会話に参加せず、中庭が良く見えるソファからずっと動いていない。


 ヨハンは静かにディグダムの愚痴を聞いていたが、スマホに表示されたメッセージを見て、おもむろに右手を挙げた。


「ディグダムさん、そのカンナから俺んとこにメッセ来てますわ」

「え? ヨハンさん、ホントですか? どうするんです? 」


「買取NPCから適切な値段を連絡させます。マーフさん、それでいいですよね」


「それがうちの商会のやり方だからね。筋は通してもらわないとーー。ところでヨハン、ログアウトできない人が増えてるって? 」


「そうなんですよ。本部に、相談が3件来てます。マーフさんは、大丈夫ですか? 」


「今のところログアウトボタンが見えてるから大丈夫。さっき、うちの販促担当NPCから『レッツログアウト&ノーログイン』を促すメッセージを一斉送信させたけどーー」


「ログアウト出来ないプレイヤーがどんどん増えそうですよね……」


 商会からのメールマガジン的なメッセージを煩わしく感じて通知設定をオフにしてるプレイヤーは多い。銀の獅子商会に登録している職人たちはさすがにそんなことはしていないだろうが、ログインしてすぐにメッセージを見るかどうかは分からない。


 それでもマーフは少しでもいいから被害者を減らしたいという気持ちに突き動かされていた。


「もっと、表に見えるような活動しないと駄目だよね。良い方法ないかな……」


「それならマーフさん、情報ギルドを作りませんか? その方が活動をアピールしやすいし、情報も集めやすいかと」


「なるほど……それいいアイデアですね。ディグダムさん、うちの銀の獅子と萬屋さんでタッグを組みませんか? 」


「もちろん、オッケーです! 実のところ、俺は商売よりも、情報集めの方が得意というか……好きだったりするんですよね」


「それは頼もしい。では工房塔の商会用レンタルスペースに本部を作りましょう。」


「マ、マーフさん。確かに、どの街からでもアクセスしても、同じ空間に繋がる工房塔は活動拠点にするには丁度いいですけど、それ……めっちゃ、お金がかかりません? 」


「あはは。ディグダムさん、ご心配なく。もう少ししたら、一緒に工房塔に行きましょう」


 明るい笑顔をディグダムに見せたマーフはノートパソコンに目を移すと、ユニークNPCの情報が書かれているテキストを開いた。暴食の女神クイニーや笛吹ヴィータよりも、ミミックの王ハルデンの項目を気にしているようだ。


「ユニークNPCの目撃情報だけどーー」


「スラプト地方の笛吹きヴィータはルードベキアさんに、そして俺はミミックの王がいるらしいダンジョンを何か所か確認してきます。どうやら……調査に参加してくれるプレイヤーが集まったようなので、そろそろ出発しますね」


「ヨハン、気を付けて……。良い写真を期待してる! 」

「あはは……頑張ります。ーールードベキアさん、出番ですよ! 」



 銀の獅子商会本部1階受付前に調査依頼を受けたプレイヤーたちが集まっていた。その中にはビビを頭に乗せたカナデとスタンピートの姿も。彼らはカンストプレイヤーのボーノたちと楽し気に談笑していたが、神妙な面持ちで歩いてくるヨハンに気が付くと、慌てたように口のチャックを閉じた。


「お集まり頂きありがとうございます。初めての方もいらっしゃいますね。銀の獅子商会のヨハンです。では、フレンド登録させて頂いた後に、チーム分けしたいと思います」


 ダンジョン探索にかかせないスキル解錠が使えるシーフ職のスタンピートは対象の写真撮影を主とするヨハンをリーダーとしたミミックの王ハルデン調査隊に抜擢された。しかし嬉しさも束の間、メンバー5人のうち1人だけレベルが30台であるスタンピートは不安に苛まれた……。


 いま向かっているダンジョンの探索推奨レベルが45だと聞いたからだ。翡翠湖の悪夢が蘇り、さっきから背中に寒いものが走っている。分かり切っているが自分は戦力にならない……。思いつめたような顔をしているスタンピートの肩にアイノテが軽くポンと手を乗せた。


「大丈夫だよ、あのダンジョンはボーノさんや俺が攻略済だし、いろいろ知っているからね」


 古参でレベル50のデルフィも、笑顔で首を縦に振ってアイノテの言葉を後押ししている。翡翠湖の時はまるで違う。スタンピートは安心したような表情を浮かべた。



 カナデは笛吹きヴィータ調査隊に参加していた。ルードベキアのレトロなワンボックスカーの助手席で後部座席にいるミンミンの豪快な笑い声を楽し気に聞いている。


 どうやら昨日、ディスティニーと一緒にキャンプ場で開催されたフィッシングイベントに参加したらしい。ミンミンは釣り上げた魚を売りに会場の魚換金所に行ったら、1グラムにも満たないゴールデンアズキフィッシュが1番高値で驚いたという話を愉快そうに喋っていた。


 澄んだ水を優雅に泳ぐ砂金のような魚たち……。カナデはそんな光景をぽやんと思い浮かべて、口元を緩ませていたのだが、銀の獅子商会本部を発つ前にヨハンがルードベキアに言った『気掛かりな内容』が脳裏を過ぎった。


「ルードベキアさん、あの……笛吹きヴィータがマキナさんに似ているって、本当なんでしょうか……」


「……どうだろうね。実際に見てみないことには分からないな」


 重たい空気がルードベキアの身体からじわりじわりと噴出している。そう感じたカナデは……余計なことを言ってしまった!? と妄想ワールドで叫んだ。さらに後悔のどん底に落ちた自分を往復ビンタしている。リカバリーするための言葉が見つからず、しおしおしていると……。


 薄汚れた床を掃除するように、ビビがルードベキアの膝にふっわふわな身体を無理やりねじ込んだ。くるりと回転すれば、埃と一緒に憂鬱な心も拭き取れるに違いない。ちょっぴりグッジョブと感心したが、すぐにカナデは我に返った。


「ビビ! ルードベキアさんは運転中なんだから駄目だよっ」

「嫌にゃ! ビビはルーの膝がいいにゃ! 」


 可愛らしい声に驚いたのか、ディスティーが目を大きく見開いて後部座席から顔を覗かせた。ボーノも感心したような声を出しながら、ルードベキアを愛称で呼んだビビをじっくりと観察している。


「カナデ君の猫ちゃんが喋れるようになったなんて、すげぇな。情報アプリにペットアイテムの更新情報あったっけ? ディスさん知ってる? 」


「いいえ、全く……。恥ずかしながら、ペットアイテムは放置気味なもので、気にしてませんでした。それにしても、今回のアプデは昨日の釣りといい、驚きの連続ですね」


 彼らの会話を聞いていたビビは笑い顔を見られないように、ルードベキアのコートの隙間に頭を潜り込ませた。ゲームをする人間は、とことんゲーム脳らしい。そしてミンミンの笑い声は淀んだ空気を吹き飛ばし、車内を明るい雰囲気に塗り替えた。


「あっはっは! マキナさんがこの事を知ったら、大喜びするんじゃないかな」

「……うん、そうだね」


「ルードベキアさん、まだヴィータがマキナさんって決まった訳じゃないんだから、そんな顔しちゃダメですよ。それとですねーー。私の騎乗に変えましょうか」


「ディスさんありがとう。でも、運転してる方が気が紛れるんだ……」

「あっはっは! ルーさん、ディスティニー氏に任せた方がいいと思うよ? 」


「え? ミンさん、何で? 」


「だってねぇ……。カナデ君もそう思うよね」

「えっと、う、うん…‥‥その、ルードベキアさん、方向が……」


「カナデ君、もっとはっきり言わないとーー。ルーさん、道、思いっきり間違ってるよ。このまま行くと、どんどん目的地から離れちゃうね。あっはっは! 」


 ルードベキアは静かにクルマを止めると、握っていたハンドルに額を乗せた。自分が思うよりも気が動転していることにやっと気が付いたのか、大きなため息を吐いている。


「ごめん……。ディスさんと変わった方がいいね」

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神ノ箱庭 SouForest @Sou_Forest

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