第12話 恋するパキラ

「私の名前はパキラ。チャームポイントは小麦色の肌と黒髪に映える白いケモミミ、職業は日本刀を主力に使うハンタークラスのサムライです。このゲームのお気に入り料理は、餡かけ焼そば! 考えただけでヨダレが出ちゃいそうですっ」


 ーーこんな風に滑らかに自己紹介ができればいいのにな……。


 ぽわんと浮かんでいた妄想の中で、ミニミニパキラが満面な笑みを浮かべながら手を振っている。パキラは小さくため息を吐き出すと、1人の男性プレイヤーにチラッと目を向けた。


 銀髪の彼の瞳はブルーとイエローのオッドアイだった。パキラとは正反対の白い肌で、時折、銀縁の眼鏡をクイッと上げる左手の中指に翡翠の指輪をはめている。ちらりと袖からみえる手首には、鎖模様のタトゥーがバングルのようにぐるりと描かれていた


 今日はとてもラッキーだとパキラは喜んでいた。気になる彼を観察するにはベストポジションすぎる隣席に座れたからだ。ドキドキしながらテーブルに置いている手をぎゅっと握りしめ、ふふふと顔をほころばせている。


 ーーいけない……自然を装わなきゃ。


 スッと真顔になったパキラはコーヒーカップを両手で包み込み、名前も知ぬ相手をちらちらと窺った。真剣な表情で分厚い本を読みながら食事をしている彼は、カレーを乗せたスプーンを持ち上げたまま、ピタリと動きを止めていた。


 パキラはサッと目線をコーヒーカップの液体に移して、にやけそうになる口元を左手で覆った。冷静さを取り戻すために、九九を2の段を数えている。ーー4の段になってやっと少し落ち着いてきた頃に、店員NPCに大丈夫ですか? と声をかけられた。


 どうやら具合が悪いんじゃないかと思ったらしい。慌てて小声で、大丈夫ですと伝えると、店員NPCはホッとしたように厨房の方へ歩いて行った。


 ーーヤバかった……気を付けないと……。萌え爆発を抑えるのって大変すぎるわ。え~っと、メモ取らなきゃ……オッドアイな銀髪さんは読書をしながらカレーを食べている。あれはたぶん……グリーンカレー。本のタイトルは……良く見えないなぁ。


 まるで探偵のようだと思いながら、パキラはスマホのメモ帳に観察内容を書き込んだ。早鐘を打つ鼓動を感じながら火照った頬を左手で押さえて、美味しいと評判のコーヒーに口をつけた。


 このVRシンクロゲーム神ノ箱庭は世界で初めて、料理の味や食感を楽しめるシステムを導入したとしてもてはやされていた。また1/3痛覚でハラハラドキドキ体験ができるゲームとしても有名になっていた。


 いままでのVRゲームでは料理を食べる、ではなくポーションのように使う、という形で消費するだけだった。そのためオープン当初はログイン制限がかかるほど人気だった。


 しかしーー。


 いち度きりの人生を豊かに! と歌われた通り、1つかキャラクターが作れない上に、職業は体験クエストはあるものの、選択してしまうとやり直しができなかった。さらに、重いデスペナルティや数々の理不尽なゲームシステムがプレイヤーを苦しめた。


 早々に見切りをつけ、去っていくプレイヤーの数は徐々に増えていた。魅力的な新しいゲームが次々に売り出される昨今では、別のゲームに目移りして浮気してしまうのは仕方がないことだろう。


 ーー何か特別なことや目標がない限り、1つのゲームだけをずっと続けることは難しい……。


 常日頃、そんなことを考えていたパキラは、人間関係や思うようにレベルが上がらないことに嫌気がさして、VRゲーム神ノ箱庭からの撤退を考えていた。だが、つい最近……特別な何かが生まれた。


 翡翠湖で自分を助けてくれたプレイヤーを、ガロンディアの街にある、まんまる豚亭で発見したからだ。


 それからずっと……パキラはゲーム内でストーカーだと思われても仕方がないような行動をとっている。ログアウト後には欠かさず、オッドアイの銀髪さん日記を観察記録の他、沢山の妄想や感想で埋めていた。


 ーーそう言えば……そろそろ2冊目になるなぁ。今日も寝る前にいっぱい書こうっと。



 パキラが心の中でガッツポーズをしていると……気になる彼の隣に金の瞳で金髪のポニーテルの女性プレイヤーが座った。大きく目を開いて見つめ過ぎたのか、彼女とパッと目が合ってしまった。


 やばい! と思ったパキラは目線を店内のあちこちに移動させて、まだかなぁとつぶやいた。平静を装って友人を待っているような振りをしている。そんな彼女の心の中では大汗をかいているミニミニパキラがうちわを扇いでいた。


 女性プレイヤーはパキラの視線を気にすることなく、本を閉じてカレーのスプーンを置いた相手を見つめながら微笑んでいる。


「ルー、お待たせ」

「ーーやぁ、リア。そんなに待ってないよ」


「またタイカレーなの? 好きねぇ」

「カレーはリアルでも好物だからね」


「食べ終わるまで待ってる」

「飲み物でも買ってきたら? 」


「私はこれでいい」

「リア、それーー僕のアイスティー……」


 パキラはテーブルに頬杖をついて顔半分を隠していた指の隙間から彼らを覗き見していた。女性プレイヤーは後頭部の高い位置で1つにまとめた絹糸のような長い髪を流れるように揺らしながら、間接キッスと言って男性の頬を指でツンっと突いている。


 ーーそれ、銀髪さんが口をつけたやつなのにぃ!


 モヤモヤ袋がどんどん大きくなってきたパキラは、白いケモミミを激しく動かしている。右手で持った攪拌スプーンで何も加えていないコーヒーを面白くなさそうにくるくるとかき混ぜた。


 リアと呼ばれた女性はキャラメイク方法を教えて下さい! と言いたくなるぐらいの美女だった。その容姿から彼女が廃課金者だと分かったパキラは、妬ましい気持ちが風船のように膨らんでしまった。いじけたようにうつむいて、液体から取り出した攪拌スプーンから垂れる雫を眺めている。


 ーーいいなぁ……。白いケモミミしろけもはイベクエでゲットしたけどさ。他はずぅっと、デフォルトのままだよ。


 このゲームはマイルームのドレッサーで性別以外の、顔や身体の特徴などの容姿変更が可能だった。リアルマネーを投じれば、髪型や髪色はもちろん、眉毛や瞳、輪郭などの様々な種類を増やすことが出来る。クエストでも多少は手に入るが、あまり人気がなかった。


 ーー商会のアイテム屋で課金品買えるけど……高くて無理ゲーすぎなんだよね。少しぐらい無課金者に優しくしてくれてもいいのにぃ。カサンドラに似た感じにしたいんだけどなぁ……。


 最近、パキラはとある動画配信サービスのオリジナルアニメにハマっていた。いきなり異世界に呼ばれて魔王を倒せと言われたけど、魔王が超可愛いいので一緒に世界征服をしようと思いますーーと言うやたら長いタイトルで、善良な魔族たちがあくどい人間たちと戦うという内容だった。


 主人公ではなく魔族の猫亜人カサンドラの大ファンだったパキラは、このゲームで彼女になりきりたかった。容姿変更アイテムがあれば、よりも細かく、理想に近いキャラクターを作ることが出来る。パキラは俳優や女優、アニメのキャラに似せているプレイヤーを見る度に羨ましく思っていた。


 パキラは心の中で大きく膨らんだ風船をパンッと日本刀で割るようなイメージを描いた。嫌な感情に振り回されるとろくなことが起きない……そう思って気持ちを切り替えている。再び彼らの様子を窺おうを顔を上げたーー。


 ーーあれ!? いない……!


 エルフ耳の美女が食事を終えた男性プレイヤーの腕に手を滑らせて、楽しそうに出口に向かっていた。その様子を肩越しに眺めたパキラは暗い穴の中に突き落とされたような気分になった。パキラの白いケモミミがしゅんと前に倒れている。


 「日記はシュレッダー行きだな……」


 パキラはぐいっと冷めたコーヒーを飲み干すと、両手でカップを持ったままテーブルに突っ伏した。



 カナリアはルードベキアの隣席にいる白ケモミミの女性プレイヤーが緊急支援の笛で自分を呼び出した召喚者だとすぐに気付いていた。話しかけようと思ったが、ルードベキアの様子をコソコソと窺っているのを見て、止めてしまった。


 なぜだか、胸の辺りで赤い警告ランプがチカチカと点滅している。さらに自分たちの間に割り込んで欲しくないーーという文字が目の前に表示されているような気分になっていた。


 カナリアはいつもならこんなことは考えないのに不思議だなと思いながら、ルードベキアのアイスティーに口を付けた。


 ーーリアルはどうなのか知らないけど、マッキーと一緒でファッションに気を使わないし、ぼさぼさ頭で、女の子に気の利いたセリフとか言わない人なんだけどなぁ。そういえば、リアルに彼女がいるって言ってたような……。


 ルードベキアはドリンクを奪われて困ったような顔をしていたが、半分ほど残っているカレーを食べ始めた。カナリアはアイスティーが入っているグラスを静かに置いて、テーブルに置いてあった本を手に取った。


 制作に関する本なのかと思ってタイトルを見ると、最近、海外で流行っているファンタジー小説だった。王立図書館の販売コーナーで最新刊を買ったとルードベキアが嬉しそうな顔をした。


 ーーそういえば2巻のまで読んだけど……忙しさにかまかけて手にしてなかったなぁ。通勤の時に電車で読んでみようかしら。


 販売書籍の購入はリアルマネーのみだったが、現実世界でもスマートフォンの専用アプリをダウンロードすれば電子書籍として読むことができた。ルードベキアだけでなく、読書好きなプレイヤーによく利用されている。


 食事が終わったルードベキアが後でじっくり読むんだと言いながら、スマホのインベントリに本を収納している間に、カナリアはチラッと白いケモミミのプレイヤーに目を向けた。彼女はうつむいてコーヒーカップをじっと見つめていた。


 ーーそれにしても……あの子がこんなに近くにいるのに、ルーは気付いてないのね。あの後、召喚者の無事を確認したって言ってたのに。


 ルードベキアは付き合いのないプレイヤーは記憶ボックスから追い出してしまうタイプだっため、まったく覚えていないようだった。



 まんまる豚亭から外に出た彼らはデートスポットにもなっている緑が美しいシラカバ並木へと歩みを進めた。いわゆるネトゲカップルという間柄ではなかったが、なんとなく腕を組んだままでいた。


「マッキー、最近来ないね」

「仕事が忙しくてログイン出来ないって泣いてたよ。リアだって久しぶりじゃん」


「う~ん……ちょっと、いろいろ合ってね……。久々のログインだったので~1番最初に~ぃ。ルーに連絡しましたっ! あはっ」


「サンクス。じゃあ、ちょっと素材掘りにつき合ってよ」


「OK! いつでもカナリアさまが『ヒーロー参上』って手伝っちゃうよ! 」

「よろしく、僕らのヒーロー」


 ガロンディアの街の門の外に出ると、カナリアはスマホのインベントリにある騎乗アイテムのアイコンをタップした。具現化された空色のクルマを見たルードベキアは少し驚いた顔をした。


「これ、ずいぶん前に僕が作ったやつじゃないか。まだ使ってたんだ? リアならもっと良いのが買えるんじゃないの? 」


「私のお気に入りなの。はい、どうぞ」


 カナリアは大切な友人であるルードベキアのために助手席のドアを開けた。

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