第8話 冷たい朝

 目を覚ました時、最初に感じたのはひんやりとした肌寒さだった。


 いつの間にかずいぶん長いこと地上で暮らしていて、季節はいくらか移ろい始めている。そろそろ暖房器具でもこさえようか。そんなことが思い浮かぶ自分は、バベルにいた頃より少しは逞しくなったのかもしれない。


 だけど毛布に手をかけた瞬間、あるはずの温もりの喪失に気がついた。


 ヨルがいない。それはアポロが激情を発したあの日以来、初めてのことだ。


「ヨル、いるかい?」


 訝しみながらも、バスの中を進む。ちょうど真ん中の座席に山のように本が積み重なっているのが見える。航空力学に工学、物理学。スペースシャトルの設計図。


 広げられたままになっていたページを確認して、アポロは昇降口のドアをほとんど体当たりするように開いた。心臓が早鐘を打つ。


「ヨル!」


 スクールバスの周りに人の気配はない。ヨルが毎朝嬉しそうに覗き込んでいる花壇にも、水を溜めているバケツのそばにも。


 最初は呟くように。だんだん大きく。最後は張り上げるようにヨルの名を叫ぶ。気付けばアポロは駆け出していた。


「きっと朝ごはんを獲りに行っているだけさ」


 今日は海鳥の卵で作った目玉焼きかな。釣りたての焼き魚でもいい。すぐにひょっこり顔を見せるに決まっている。ヨルの手には釣り竿と、魚でいっぱいになったクーラーボックスが握られている。「おはようアポロ」なんて呑気に挨拶するヨルを出迎えるのだ。


「そうに決まってる。迎えに行かないと」


 呟きとは裏腹に、アポロの足は海鳥の巣の岩場にも海辺にも向かっていない。だってそれなら、どうしてゴーストの衣装がクローゼットから消えているんだ。


 アポロはスクラップ置き場へと急いだ。自分の足がおぞましいほど鈍く感じる。


「心配のしすぎだ。ゴーストには無敵のガスマスクがあるじゃないか」


 次々と都合のいい考えを思い浮かべては、自分で破り捨てて棄却する。


 ヨルは言っていたんだ。ガスマスクをつけていても、近づいちゃいけない場所があると。ヨルは単純にガスが濃いと思っているみたいだけど、アポロの見立てではハイテクが使用された機械が積み上がっていて、自然には発生しないガスが充満しているようだった。


 どうして今日に限って、ヨルはアポロに黙って出かけた。考えるな。そんな暇があればもっと足を動かせ。


 スクラップ置き場にたどり着いたアポロの目に飛び込んだのは、地面に倒れ伏す黄色いゴーストの姿だった。



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