第13話 爽籟を仰ぐ


 あんなに赤々と燃え盛っていた、彼岸花も一瞬で枯れ、息を呑む暇もなく、厳冬へと到来したかのような、寒気を覚えた。




 狭野神社のほうの県道を戻り、一本道を下り、大きな二つの鳥居の脇道を抜けた。


 祓川(はらいかわ)のせせらぎが風にのって耳朶に誘う。




 白く霞んだ夕日が、天高い秋の暮に静かな、音響を催している。


 狭野神社の第一鳥居の前まで、足を踏み入れたとき、右か、左か、どっちに行ったんだろう、と迷いつつも、私の駆け足はすぐさま、右のほうへ出向いていた。




 右に行けば、御池が清く澄み渡った、湖面を湛え、白帝に合わせて霧島山をご覧になっている皇子さまがいらっしゃる。


 そうか、君は神話の地へ行ってしまったんだね。




 短く苦笑すると、私は荒い息を整えながら進み続けた。


 第一鳥居が見えなくなると、高原町の田園風景をバックに走った。




 祓川がドクドクと、霧島山の水の恵みを思う存分流し、一切の穢れを祓い、未来の果てへ行き交う、音も聞こえる。


 森の高貴な、爽籟が私の頬を染み渡らせる。


 ああ、そうだ。


 この小川もその皇子さまも幼少の頃にお遊びになられた、という謂われがあった。




 もっと、森の淵へ上がれば、御池(みいけ)だ。


 湖畔が空と繋がる、青を見つけた。


 御池に行くための駐車場から続く、砂利道の坂道を下り、荒れ果てたペンションが無数存在する岸辺で、私は大きく息を切らしながら、君を探し続けた。




 湖岸にはたくさんの渡り鳥が長閑に泳ぎ回り、数匹が私に餌をもらえる、と勘違いして、オスの家鴨が滑稽めいた鳴き声でおねだりし、私は小さく謝りながら、群れから離れた。




 白い桟橋に繋留された、家鴨のボートが目に入った。


 小さい頃、よくお兄ちゃんとこの薄汚れた、緑色のボートに乗って遊んでいたか。


 そんな他愛ない郷愁に浸ると、君は青い湖畔の波打ち際に独り、佇んでいた。




 あのとき、自らの手首を傷つけた、透明なナイフは利き手ではない、左手で持ったままだった。私が放った声さえ、風で消え去った。


「待って。そこに行くから」



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