第11話 癒して、赤い歳月を


「普通、という城壁に囲まれた、透明な僕らはこの世界では何も成し得ない。逐一、他者と関われない、過ちを糾弾する、鏡の表面に僕らは少しも映っていないから」


 君の長い睫毛にたゆたう一筋の翳り。まるで、青筋揚羽の触覚のように鋭敏に肌と触れ合っている。




 癒してくれれば、癒せば。


 私が癒せば。


 私にはこれくらいしか、出来ないんだ。


 終日、やりがいも見出せず、飽き足らず、怠惰にやり過ごす私を私は恥じた。


 歳月が無慈悲にスピードの速い水車のように過ぎていく。




「ここ」


 君は自ら、まだまだ大人になり切れない、繊細な撫で肩を持ち上げ、私の視界の先に刺青のように滲んだ、その腕を突きつけた。


「ほら」


 そう、簡単なことじゃない。


 私は躊躇うこともなく、空中をさ迷い歩き、唇をその腕につけ、秋の暮れ泥んだ、陽射しをゆっくりと浴び続けた。


 耳の奥底で、オルゴールの和やかな音色が私を包み込んでいる。




 慣れない舌が過敏に鉄の味と反応する。


 他者の異物に触れても、何の抵抗もなかった。


 いつまでもこうしておきたい、この残酷な世界がこの場で壊れてもいい。


 私というちっぽけな存在が粉塵と化してもいい、とさえ、自らをしっとりと慰めた。




「ここにいるよ」


 零れ滴る悪意を祓うような、清浄な秋の暮、夕闇が世界と一体化するまで、私は彼を癒し続けた。


 私は跪くような体勢になって、しがみつくように彼の腕に舌を這わせ、可笑しなくらいに取り留めもない、遊戯に耽った。


「……くすぐったいよ。真依ちゃん」


 君は時折、夕風と戯れるように私の凍えた、耳たぶを触っている。




 その緩やかな振動が私の内奥まで響き、なだらかな吐息に沿って、甘美な血潮が滾るようだった。


「どう? 夢見心地は?」


 きっと、お伽の国で衣から輝くような、お姫さまと睦まじく、心通わせる皇子さまも、そんな戯言を口にはしないだろう。


 蒼い神楽装束を身に纏った、一国を統べる、皇子さまは星が降る深夜の、湖畔で夜風を掴まれよう、としているんじゃないか。


 子供じみた小さな空想はとめどなく続く。




 この公園の向こう側にはある御池(みいけ)には今でも、暗い過去と繋がっている。


 その御池にはその皇子さまが水浴びを為され、夜になれば降るような星をご覧になり、孤独を呑み込み、湖面へと星を宿らせたのだ。




「僕らが空っぽならば」


 君は魔女からかけられた、眠り姫の呪詛を解くように、私の顔から手を離した。


 大人になったら、不穏な童話からいとも容易く、卒業できる、と漠然と思っていた。




 今でさも、この小さなモヤモヤをうまく消化できないのに、歳月だけが朽ち果てて、よりによって幼い頃に軽蔑していた、未熟な大人という存在になるんだろう。


「君はまだ知らなくていい。もし、話したら今までのようにいられなくなるから……」



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